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症例研究
食道がんを見つけた食欲不振のフィジカルアセスメント*1
池田洋子*2
 
骨折で入院していたTさんの退院
 
 8月になり連日30度を超す猛暑である。今日の午後は退院してきたTさんのお宅に伺う。Tさんは73歳の男性で、要介護度4の認定を受けている。6月末にデイサービスの通所中に転倒して大腿骨頸部骨折になり入院、手術を受けて一昨日退院してきたばかりだ。
 Tさんは5年程前に脳梗塞による左半身麻庫となり、現在はマンションで妻と2人暮らしである。妻は介護保険制度開始前から1人でTさんを介護しており、開始後はヘルパーやデイサービス、ショートステイ等を利用して在宅介護を続けている。
 普段からよく冗談を言う妻と普段は無口だけれど時々ユーモアのあることを話すTさんはとても仲のいいご夫婦であり、私もお2人にお会いすることをいつも楽しみにして訪問している。今日はそのTさんと約1カ月半ぶりにお会いする日である。
 
病院の食事は食べたくない!?
 
 Tさんはいつもの通りに車椅子に座り、居間でくつろいでいたが、ややスリムになっていた。妻は安心した様子で「ようやく帰ってきました。おかげさまで手術も無事に終わり、こうして帰ってこられてほっとしています」と言った。
 私はバイタルサインを測定しながら妻に入院中の様子を尋ねた。術後の経過をはじめ、食事や排泄、睡眠の状態、退院時の説明や指導、今後の受診予定等の妻の話に、Tさんは時々うなずきながら聞いていた。その中で1つ気になったのは食欲があまりないということだった。
 「お父さんは病院の食事が嫌いでね。おいしくないって言うのよ。それにこの暑さでしょう。すっかり食欲が落ちてしまって・・・。だから入院中は差し入れとか持っていきたかったけど、ほら、お父さんは糖尿病があるじゃない?かかりつけの先生は普段はあまり厳しいことは言わないでしょ。年をとっているのでたくさん食べるわけでもないし、好きにしていいよって言われているけど、病院ではそうもいかなかったのよ。カロリーも1,400kcalで差し入れはしないでくださいって言われちゃったの。だからあまり食べなくてやせてしまってね」と妻が話をしてくれた。
 私が最初に車椅子に座っているTさんを見て少しスリムになったな、と感じたのはそのためだったのかと納得した。
 Tさんも「病院の食事はまずい。食べたくなかった」と言葉少なに言い、退院後は早速好物のお寿司などを少しずつ食べていると言う。在宅では食事摂取量が少ないTさんに対して厳しい食事制限はしていない。血糖降下剤の内服でFBS110〜120(mg/dl)で経過していた。
 
 
食欲不振の原因を探る
 
 食欲不振は病院食が原因だろうか?暑さもあって食欲が低下したことも影響して食べられなかったのかもしれない。それとも入院によるストレスなど精神的なものか?それとも別に原因があるのかしら?などいろいろ考えた。一口に食欲不振といってもさまざまな原因がある。食欲不振という症状の裏には意外なことが隠れていたりする。
 排便の有無も確認した。便秘が原因で食欲が低下することもあり、排便を促すと食欲が回復する場合もあるからである。
 しかし、Tさんは入院中から便秘もなく、今日もすでに排便はあり、「いいお通じだった」と妻の答えであった。
 脱水も考えてみた。Tさんは留置カテーテルを使用しており、尿量は確実に確認できた。尿はいつも昼過ぎに1日量を廃棄している。前日の尿量は1,100ml。今もすでに100mlほどあり、バイタルサインや皮膚の状態からも脱水は考えられなかった。表情も穏やかで少しスリムではあるがいつものTさんだ。
 退院してまだ2日しか経過していないが、家では寿司などを食べているし、大好きなコーヒーも飲み、日々の内服もできている。もう少し様子をみようと思った。
 Tさんご夫婦のお話をうかがっていて、私が病院スタッフヘ在宅療養中の情報を詳細に提供すれば、食事制限ももう少し緩やかだったかもしれないと反省した。
 いつものケアを行い、食事については好きなものを食べるように、また暑さが厳しいので脱水予防として水分も摂取するように説明し、私とは別の日に家事援助と食事介助の目的で訪問しているヘルパーさんにも伝えてもらうことをお願いし、また連絡ノートにも記入して、この日は訪問を終えた。気になることや変化があれば連絡をくださいとお話しした。
 医師にはやや食欲が低下している現状とフィジカル・アセスメントの結果、家族への説明内容を報告しておくことにした。次回の訪問は1週間後である。
 
食欲不振に関する豆知識
〈食欲不振をきたす疾患〉
(1)消化器疾患
(1)口腔疾患:口内炎、歯肉炎、舌炎
(2)食道疾患:食道がん、食道アカラシア
(3)胃疾患:胃下垂症、胃炎、胃潰瘍、胃がん、幽門狭窄
(4)腸疾患:便通異常(特に慢性便秘)、腸炎、十二指腸潰瘍、腸狭窄・閉塞
(5)肝疾患:急性・慢性肝炎、肝硬変、肝がん
(6)胆道疾患:胆石症、胆道炎、胆道がん
(7)膵疾患:急性・慢性膵炎、膵がん
(8)腹膜疾患:腹腰炎、腹水
(2)消化器以外の疾患
(1)中枢神経の器質的疾患:脳炎、髄膜炎、頭部外傷、脳出血、脳腫瘍
(2)代謝・内分泌疾患:下垂体前葉機能低下症、甲状腺機能低下症、副甲状腺機能亢進症、副腎皮質機能低下症、Addison病、Simmonds症候群、ビタミン欠乏症(B1、B2、ニコチン酸、B12)、亜鉛欠乏症
(3)膠原病:PSS、SLE
(4)呼吸器疾患:重症気管支喘息、肺気腫、肺がん
(5)循環器疾患:うっ血性心不全
(6)腎疾患:腎不全
(7)血液疾患:貧血(特に悪性貧血)、白血病、悪性リンパ腫
(8)感染症:急性感染症、慢性感染症(結核)、AIDS
(9)中毒性疾患:アルコール、治療薬剤(ジギタリス、抗菌薬、消炎鎮痛薬、抗がん剤)、工業用薬剤
(10)その他:妊娠悪阻
(3)精神科的疾患
(1)精神病:統合失調症、うつ病(うつ状態)
(2)非精神病性精神障害:神経性食欲不振症
引用文献)亀山正邦他編:今日の診断指針, 第5版, p.378, 医学書院, 2002.
 
スリムなままのTさん
 
 次の訪問日も暑い日であったが、Tさんのお宅はエアコンによって快適な室温に設定されていた。いつものようにバイタルサインを測定しながら、この1週間の様子をうかがってみた。バイタルサインをはじめTさんの状態に特別な変化はなかった。排便コントロールも良好で毎日の尿量も一定量がみられていた。
 「家に帰ってきて安心したのかしら?それに家は涼しくしてあるでしょう?少しは食欲も出てきたみたい。退院直後よりは食べているわね」と妻の言葉。
 Tさんもうなずきながら「やっぱり家がいいよ、病院では駄目だ」と言った。
 「そうですか。それはよかった」と答えながらスリムなままのTさんのケアを行い、完全にTさんの食欲が回復するにはもう少し時間がかかりそうだと思いながらお宅を後にした。
 次の訪問日に玄関で迎えてくれた妻にいつもの笑顔はなかった。居間に行ってみるとTさんはいつもの通りに車椅子に座っていた。早速バイタルサインを確認しながら妻とTさんに様子を尋ねてみた。
 「一時食欲も出ていたんだけど、また食べなくなってしまったの。大好きなお寿司を買ってきてもあまり食べないのよ。今までは一人前を半分ずつ食べていたのに、今はほんの少しだけで、残り全部を私が食べるような感じなの」
 私は言葉の少ないTさんにもう一度確認した。するとTさんは「なんとなく食べられないんだよ。食べにくいって言うのかな」とのこと。食べにくいと言うのはどういうことだろう?食欲がないわけではないのかしら?と思い、さらに詳しく聞いてみた。
 「飲み込みにくいのですか?」
 「そうだね。飲み込みにくい感じがあるね」とTさん。
 「食べようと思っても飲み込めない感じですか?」と続けて確認すると「うん」という答えが返ってきた。
 
食欲不振の本当の原因
 
 なにか異変が起きているのではないか?飲み込みにくいのは嚥下障害?再度脳梗塞を起こし、それによる嚥下障害なのだろうかと思いながら症状を確認したが、どうも違うようだ。私は妻に飲み込みやすいもの、のど越しのよいものを用意してもらうように説明した。また、医師の診察を受けたほうがよいと考え、在宅主治医に報告した。
 医師は病院で検査をすることが必要だとTさんと妻に説明し、すぐに検査目的で入院となった。検査の結果は誰も予測しないものであった。Tさんは食道がんであることが診断されたのであった。
 当初は食べられない、食欲がないという訴えであり、その原因を探りながら観察とケアを行ってきたが、再度見られた食事摂取量の低下から本人の訴えをもう一度確認していった。そこで聞かれた「食べにくい」という言葉。この「食べにくい」の一言は単に食欲がないのではなく嚥下障害であることを示していた。「食べたくない」と「食べにくい(飲み込みにくい)」では意味が違う。この言葉を聞き出すのに時間がかかってしまったことを反省すると同時に、予測しない結果に驚いた。
 このようなケースはたびたびあることではないと思うが、「食欲がない」という訴えを聞いた時にはその言葉の意味することを確認する必要性を改めて学んだのである。
 食欲不振という状態や訴えを聞いた時には一般的な原因や予測される疾患を考慮しつつ、再度本人の状態や訴えを確認することの大切さを伝えたいと思う。
 

*1 Importance of Physical Assessment in a Patient with Loss of Appetite: A case of Esophageal Cancer
*2 ライフ・プランニング・センター訪問看護ステーション千代田所長
『コミュニティケア』(日本看護協会出版会, 2003: 2)に掲載







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