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総説
老人のMental Frailtyとその予防へのアプローチ*1
道場信孝*2  日野原重明*3
 
はじめに
 
 Frailtyは壊れやすい状態を表す医療用語であり, Vulnerability(壊されやすい状態)と同義と考えてよいが適切な邦訳はない。筆者らはすでに老人におけるFrailtyの考え方や評価の方法, そして, 予防の可能性などについて述べ, そして, Frailtyを生じる機序とインターベンションヘのアプローチを筋肉減少症, 食欲低下, 意欲の減退など, 臨床的な症状や徴候について紹介した1, 2)。Frailtyはこのように身体的な表出に対して用いられることが多いが, 老人では心理・精神的な側面においても同様に脆弱的な要因を伴うのが普通であり3), したがって, 包括的, あるいは, 全人的に統括された医療を行う場合に, これらの問題は同時に評価し, そして, 適切に介入していかなければならない。
 Frailtyは疾病(illness)の概念とは異なり, 健康な機能を維持する能力と心身の欠陥とのバランスの上に成り立つものであり, それが関わる範囲(domain)は身体的能力(physical ability)と精神的能力(mental ability)に分けられ, さらに, 後者には認知の領域(cognitive domain)と心理的領域(psychological domain)が区別される。今回は精神的能力をテーマにFrailtyについて述べるが, 高齢化社会における老人医療の担い手であるプライマリ・ケア医, 地域医療の実践者として重要な役割を果たす保健師, そして, 看護師の理解を得るために, 問題の焦点を実践的な面に絞った。すなわち, 認知の領域とは記憶のFrailtyであり, そして, 心理的領域とはうつ(depression)を意味するものであって, 痴呆(dementia)とは趣を異にする臨床状態であることをまず強調しておきたい。
 
Mental Frailtyの考え方
 
 多くの老人は身体的な衰えとともに精神的な衰退としての痴呆を極度に恐れているが, これは不可逆的な人格の荒廃を意味し, 生きるに値しない実在と認識しているためと思われる。それは, 単に老人たちだけではなく医療者ですらそのように捉え, 評価も介入もすべて痴呆に的が絞られている。しかし, 老人の多くは決して痴呆そのものではないし, 人格の荒廃が痴呆のごとく進行するように運命づけられているわけでもない。それは問題の捉え方が適切でないことに大きく関わっている。
 現実に多くの老人がプロブレムとしているのはどのようなことであろうか。それらは, (1)思考の障害であり, (2)将来に対する不安であり, そして, (3)記憶に関する自信の喪失にまとめることができる。すなわち, これらがMental Frailtyの症状や徴候であるといえ, 還暦を過ぎれば多くの人達が多少とも経験している社会一般での実在であることから, Mental Frailtyは疾病とは区別して考える必要がある。
 記憶の機能が加齢とともに変わることは確かであるが, その変化には個人差があって一般には軽度であり, 変動も多く, 決して進行性ではない。そして, 実際に起こる変化としては, 新しく学習することに困難を覚え, 思い出しが遅くなり, そして, 専念したり集中することが次第に難しくなるので, 情報を統合する効率が低下すると感じられる。これまでの研究では, 記憶の能力におけるこれらの変化は加齢の結果として生じるか, あるいは, 認知障害や他の痴呆など病的な原因によって生じると考えているので, 老人の認知機能の変化にはネガティブなイメージがつきまとうのが常である。
 健忘や記憶の障害が老人において重要な関心事であるのは, それらが自立を脅かし, 日常活動を障害し, その結果, 不安やうつ状態をきたすためである。例えば, これまで第一線で活躍していた60歳半ばの女性インテリア・デザイナーが最近ものを置き忘れたり, 人の名前が出なくなるなど記憶の変化を認識し始めると, これまで旺盛であった新しい仕事に対する意欲に衰えを感じ, また, 新たな仕事を処理する自身の能力に不安を生じる結果, それまでの外向きであった生活が引きこもりの孤独な環境へ陥っていく。特に独居で有力な支援者(配偶者や子供など)がいない場合には, このようなdownhill spiralの状態から抜け出ることは容易ではない。したがって, 今日のように高齢化した社会において, 大多数の老人が共通して抱えているこのような問題に対応するには, メンタルヘルスの面からこれまでとは視点を変えたアプローチが必要である。
 
Mental Frailty(MF)に関わる3つの要因
 
 うつは記憶能力や信念に対してネガティブに働き, Frailtyを悪化させる。また, うつは不安と健忘を生じ, MFを助長し, その結果依存の度合いを高めるので, これらを包括した対象者の全体像を適切に捉えることが問題へのアプローチの第一歩である。これらの対象者が痴呆の患者と異なるのは自身の問題を自己評価できることである。したがって, 対象となるひと自身が直面している記憶に関する問題を医療者が的確に認知するためには, システム化した自己評価の方法を実施することが妥当と考えられている4)。自己評価が有用な理由としては, (1)記憶の変化に対する訴えは認知能力に対する本人の考え方を反映していること, (2)自己評価は痴呆, 不安, うつの鑑別に役立つこと, そして, (3)自己評価によって老人の潜在能力に関する自信(自己効力:selfefficacy)の程度を知ることができるなどの利点が挙げられる。
 自己評価の実際については後述するとして, 全体として, うつの評点が高いほど記憶に対する自信や自己効力(self-efficacy)の評点が低くなり, また, MFに対する種々な介入を行う際に, 能力や信念を改善するために行われる記憶の訓練において, うつはネガティブな効果を及ぼすために, うつ状態がきわめて強いときには自己効力や記憶に対する自信について改善が得にくくなる5)
 このようにMFにおいては「うつ」「記憶」, そして, 「自己効力」は相互に関連し合う主要な要因であって, これらが適切に評価されなければ効果的な介入が望めない。
 
MFと自己効力
 
 自己効力はBandura(1997)が述べた概念で, それは「不確かでストレスを伴う未知の予測できない状況に対処するために必要な一連の行動を上手に統括し達成できるという判断に基づく自信」を意味する6)。したがって, 先の例にも述べたように, 記憶に対する自信を失うと不安が増し, 自己効力が障害される結果, 自ら希望し, また, 周りからも期待されるような成果が挙げられないのではないかと自身の能力を疑うようになるので, 行動の実行を見合わせる。その結果, 成功のチャンスを失うという社会的に不利な状況へ追い込まれ, downhill spiralの中で次第にうつの傾向を強めていく。また, たとえ自信はあっても周囲の評価が低いとか, 以前のようには注目されないとか, 失敗した場合の社会的な制裁を恐れるがゆえに消極的な行動へ向かう。このように記憶能力に自信を欠くと, 全体としてネガティブな自己評価となり, 他の人と比較して自分がより劣っていると感じ, 加えて徐々に迫ってくる身体的な衰えや痴呆に対する恐れなどで自己効力は極度に衰退する結果, 覚えたり記憶を必要とする状況に対して意欲をなくし, 消極的になる。
 自己効力の評価については(財)ライフ・プランニング・センター(LPC)式生活習慣検査の中にも取り入れられており, 自己効力の尺度には, (1)客観的判断力, (2)自立忍耐力, (3)対人対応, (4)生活設計の計画度, (5)自己適性の発揮度など5つのドメインが含まれる7)。これらについて少し詳しく述べると, まず客観的な判断力は, 「状況に応じて適切な判断が下せる」ことを意味し, 自立的忍耐力については2つの設問があって, 「物事を計画通り実行できる対人能力」と「周りの人と協力してやっていける」という能力を問う。生活設計の計画度は「将来の生活設計を明確に立てることができる」と「いつも目標へ向かって努力している」ことを意味する。最後の自己適性の発揮度は「自己の能力(適性)を十分に発揮できる」ことを示すものである。これらは三者択一で該当する解答を選ばせるが, 解答は, a.はい(2), b.どちらともいえない(1), c.いいえ(0)として定量的に評価し, 12〜0点で表すと, 点数が高いほど自己効力が高いと評価される。われわれが現在推進している新老人プロジェクトにおいてこのテストを施行した200例ではきわめて高い評点が得られている。
 
記憶能力の自己評価
 
 記憶の自己評価はmetamemoryと呼ばれるが, これには発達的(developmental)な側面と臨床的(clinical)な側面の2つの基本的な要素が区別される。発達的な側面とは記憶システムにおける情報に関するものであり, これにはそれぞれ個人の認識, 信念, 記憶機能や内容についての知識などが含まれるが, 記憶システム内の情報が同化できなくなることは記憶障害への心配や不安と重なってうつ状態へ導き, ひいては更なる記憶の障害へと進行する。臨床的な側面では記憶の障害が取り上げられ, そこには健忘の頻度などの記憶障害や, 思い出しの工夫や努力に熱心でなくなるなどの記憶不全が含まれる。
 したがって, 老人になると記憶容量が減少し, ストレスが記憶を障害し, 加齢とともに記憶が減退し, そして, それに対してはどうすることもできないという考えではなく, 記憶能力というものは発達させることのできる技術であると考えれば, 記憶の容量を増すことすら可能になる。
 北米ではmetamemoryにmetamemory in adulthood(MIA)quentionnnairesが広く用いられている8)。この評価法は記憶の問題や障害を強調するものでなく, 積極的に記憶に関する情報を求めるもので, その他, 患者の情緒や認知の状態についても知ることができるので, それらに基づいて適切なリハビリ活動が選択される。MIAは知識, 信念, 情緒など記憶要因を評価する方法で, 5段階のLikert scaleを用いた108の質問からなっている。7つのsubscaleにはstrategy, task, capacity, change, anxiety, achievement, locusが含まれ, それぞれに15−18の質問がついている6)
 Strategy(方略)には内的なものと外的なものがあり, 前者には綿密な仕上げやリハーサル, そして, 後者には記憶を助けるためのノート, カレンダー, リスト表の使用などが含まれる。task(努力の程度)は大多数の人たちに共通した記憶の過程を理解することで, 例えば, 興味のあることは覚えられるが, つまらないことは忘れるなど, Capacity(知的能力)は名前や事実を述べるなどの行為, Change(変化)は記憶の安定性や時間の推移による減退の予測に関する感じ方, Anxiety(不安)は記憶能力に対する不安やストレスの影響, Achievement(達成)はよい記憶力を持ち, そして, 特殊な記憶を必要とする仕事をうまくこなすことの重要性, 最後に, Locus(努力の位置づけ)は記憶力を維持するための自助努力をどれくらい信じているかといった内容になっている。
 質問の詳しい内容は直接文献に当たって検討することにして, その一部を紹介すると, 例えば, 方略に関しては内的方略でRehearsal 4問, Elaboration 4問, Effort 1問, そして, 外的方略ではList 2問, Note 3問, Place 2問, Someone 1問, Calender 1問よりなっている。また, Elaborationをとってみると, (1)あなたは会った人を記憶しようとするとき, 顔と名前とを結びつけますか, (2)何かを思い出せないとき, 似たようなことを思い出そうと試みますか, (3)何かを覚えておくために, 後になって思い出せるように何か他のことと関連づけることをしますか, (4)思い出しを助けるために精神的なイメージや絵などを描きますかなど, 記憶を確かにするあらゆる努力に対する質問であり, これらを総合すれば, 努力の足りないところと努力している領域が明らかになり, まさに行動療法の基本に則ったテストであるといえる。
 
記憶改善の方策
 
 包括的な記憶訓練や認知・行動介入プログラムでは以下の4つの要素, すなわち, memory training, memory self-efficacy, stress inoculation through imagery, health promotionが必要である。これらはもともとdepression, phobias, impulsiveness, evaluation anxiety, cognitive factorなどの情緒に関連した障害の訓練に開発されたものなので, 老人のMFにも当然有用と思われる。
 記憶訓練プログラムは伝統的にmnemonicな方法やstress inoculationを強調するものであるが, 最近では, いくつかのプログラムで個人の尊厳を改善する自己効力改善を目的とする方法が取り入れられており, 加齢によって認知能力が低下することは避けられないとする古い考えを打破する試みが実践されるようになってきている9)
 
まとめ
 
 以上をまとめると, 老人のMFはうつ, 不安, そして, 自己効力の低下が相互に関連して生じる生物学的事象として捉えることが可能であり, この状態は疾病とは区別して, 老人の健康の保持・増進の重要なターゲットとして位置づけることができる。そして, その評価には記憶の保持と増進を可能にする多くの行動パターンや記憶の変化に伴う自己効力の低下, うつ, そして, 不安などを自己評価させることが, 介入の方策を考慮した事象の評価を可能にしている。今日のようにfrailな老人が多くなっている現状で, 健康政策を論じる場合にはプライマリ・ケア医や地域医療に献身的に奉仕している保健師や看護師, そして, これまで地域の健康に大きな役割を果たしてきた保健所の機能を統合した「新たな老人の健康づくり」を身体的, そして, 精神的Frailtyをターゲットにして考えなければならない。
 老人に対してはMFの進行を阻止するためのサポートが必要であるし, そのためには特殊な記憶訓練法とともに, 老人の技術や記憶能力に自信を持たせるためのサポートも必要である。このような自信が自己効力感を高め, 自己調整に自信を持ち, 不安やうつが減じてMFの進行が減速し, あるいは, 改善されるといったアウトカムが期待できる。特に, ナースは老人の記憶に対する考えや記憶能力, そして, 情緒の状態, 特にMFに関連する不安やうつをテストし, そして, ケアするには最も適した位置にあるといえ, 老人医療に関わるナースはその能力の範囲, および, 今後の系統的に行われる医療の中での貴重な経験を通じて, さらに質の高い「健康づくり」に貢献し得ると思われる。これは挑戦的で, かつ需要の高い活動の分野であり, 新しい世紀の始まりにおいてvision, venture, victory, そして, voluntaryの精神で臨むことのできる明るい展望が予期される。
 

*1 Mental Frailty of the Elderly and Strategies to its Prevention
*2 ライフ・プランニング・センター研究教育顧問
*3 ライフ・プランニング・センター理事長
『日本医事新報』(第4096号, 2002年10月26日発行)に掲載
 
文献
1)道場信孝, 日野原重明:日本医事新報, 2002; 4085:26-32.
2)道場信孝, 日野原重明:日本医事新報, 2002; 4093:25-30.
3)Schaie KW: Geroltol 1989; 29: 484-493.
4)Dixon R et al: J Gerontol 1983; 83: 682-688.
5)Dellefield KS et al 1996; 45: 284-290.
6)Bandura A: Self-efficacy: the exercise of control. New York: WH Freeman, 1997.
7)道場信孝:高血圧を知る.NHK ブックス, 2002.
8)Dixon RA et al: Psychol Bull 1988; 24: 671-688.
9)Lachman ME et al: J Gerontol B Psycol Sci Soc 1992; 47: 293-299.







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