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 このように部品を自作する努力はしていますが、それでも部品の不足から291両の機関車の内108両が修理待ちの状態だそうで、工場内にも修理待ちの機関車が数多く留置されていました。この数字から稼働率を計算すると63%となり、部品製作に相当の努力はしているものの稼働率自体はまだまだ低いと言えます。もっともいずれも車歴が古いので、その割にはよく修理して機関車を大切に使っている、と言うことができるかもしれません。
 
修理待ちの機関車群
 
 機関車の修理、機関車の部品・付属品類の製作の他にも、客車・貨車の部品製作、工場内設備の修理、鋼・鋳鉄・真鍮製品の鋳造、工場内の水・電力の供給などを工場内で行っています。また工場内に酸素プラント、アセチレンプラントと呼ばれる職場があり、溶接に使うガスを製造しているようです。
 工作機械は日本製が多かったのですが、いずれも1945年製など非常に古いものばかりで、修理しながら大切に使っている様子がうかがえました。比較的新しい機械も見かけましたが、それらは中国製で、品質が余り良くなく故障が多い、中国は機械は売ってくれるが技術は移転してくれないので自分たちでは直せない、と話していました。
 
部品をさらに削正して完成
 
日本製レールバス
 組立職場の入り口付近に1台のレールバスが止められていました。赤と白のツートンカラー、ワンマンカー、側面に小さく名鉄のロゴが描かれ、ボギー車であるなどの特徴から昭和62年に富士重工で製造されたLEカーの仲間で、名鉄三河線で使用されていたキハ20形と思われます。車内に書かれた車号は何故か「1304」となっており、その理由は不明でした。車体の塗装状態は非常に良く、車内はさすがに運賃箱、運賃表などは外されているもののつい昨日まで営業運転で使われていたような状態で、明日にでも営業運転に使用できそうな感じさえしました。
 「最近届いたが、運転台のスイッチの標記が全て日本語のままなので、スイッチの意味が分からない。ひとつひとつ操作してみてはその動作を確かめている。」と、文字通りの手探り状態で、「(訪問した)昨日になってようやく工場内で走行させることが出来た。運転操作が分かれば、環状線で使う予定だ。」と話してくれました。
 
名鉄のレールバス
 
終わりに代えて
 「歴史」の項でも述べましたように、1988年以前は日本を始めとする先進諸国の技術協力によって機関車、工場設備の近代化を進め、技術者の養成も盛んに行われていたのですが、政変によって日欧からの援助が止まって以降設備等の陳腐化が進行しているようでした。設備を自分達で直したり、部品も自分達で作るなど相当の努力をしていますが、現状維持が精一杯のようで、日欧で研修を受けた技術陣が高齢化していくなかで、今後技術水準をどう維持し更に高めていくかが課題のようでした。現在は中国の協力に大きく依存しているようですが、技術的には必ずしも満足のいく状況ではないように見受けられました。
 説明が修理の話ばかりなので「検査はしているのか?」と尋ねてみますと、「周期を定めてやっている。」と言う答えが返ってきました。しかしそれ以上検査の話題は発展せず、その後も説明は一貫してrepairという語ばかりでinspectionという語はついに出てきませんでした。検査基準や検査表があるのか確認したかったのですが、突然の訪問にもかかわらず好意で見学させていただいたのに、そこまで要求するのは、「査察」のようでさすがにはばかられました。故障が多くて修理に追われ検査をする余裕がないのか、そもそも検査による「事前保守」という考え方が確立されていないのか、残念ながら確認できませんでした。しかし今後より効率的な鉄道運営が求められるようになるとすれば、検査に対する考え方、体制、ルール、マニュアルといったものの整備が必要になってくるのではないか、との思いを胸に、親切に対応していただいた技術者の皆さんに感謝しながら、WORKSHOPをあとにしました。







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