日本財団 図書館


 
 
編集注記:
・回想記の掲載順は、旧運輸省国際課長に在任された方、旧運輸省に在職された方及びその他(五十音順)とした。
・回想記の文責は、各執筆者にある事を申し添えます。
 
 
塩田澄夫
 
 社団法人海外運輸協力協会が本年創立30周年を迎えられましたことに心よりお祝い申し上げます。
 貴協会の前身の社団法人海外運輸コンサルタンツ協会は、昭和48年4月運輸部門の国際協力の民間における推進者であったコンサルタント会社を中心とする社団法人として設立されました。その後3年経過したところで、私が運輸部門の国際協力を所管する職につきましたが、当時は国際協力の業務が資金協力と技術協力と両分野で大きく発展しつつあり、アセアンをはじめアジア地域の各国が鉄道、海運、港湾整備などの運輸部門の国際協力を自国の経済社会の発展のための重要な問題として取り組んでいたため、わが国の民間コンサルタントもこれを背景に活発な活動を展開していたのです。
 丁度この頃は、政策面でも大きな展開がありました。1つは、中国に対する経済協力が開始されたことです。そのうえ、中国は、内陸部の原材料輸出の振興のために、鉄道と港湾の整備を超重要点項目にしたのです。この頃の中国に対する資金協力の70〜80%は、この2つの分野で占めたように記憶しています。2つ目は、マラッカ海峡の安全対策が総合的に推進されつつあったことです。海洋法条約が採択される前後で領海の無害通航権の問題がわが国にとって重要な政策課題でしたが、航路整備、水路測量、航行援助施設の整備などの問題が山積していました。このほか王朝時代のイランが推進していたテヘランーマシャド間の新幹線鉄道の整備は、詳細設計を受託される段階まで進んでいましたし、インドネシアをはじめラ米諸国のプロジェクトもあり、鉄道プロジェクトは目白押しでした。
 このような背景で当時運輸省は、わが国の運輸部門の戦後の復興の経験を生かした得意分野の国際協力に力を入れていました。世界の開発途上国の運輸分野の研究会をたち上げ、その成果をふまえて通勤鉄道、港湾整備などに関し、大規模プロジェクトの発掘推進を図ったり、開発途上国のカウンターパートとなる部門の要人の招へいを推進したりしましたが、海外運輸コンサルタンツ協会には、いつも絶大なご協力を頂きました。
 鉄道、港湾、航空の各分野においては、それぞれ専門の強力なコンサルタントが活躍していましたが、運輸部門全体をにらんだ民間コンサルタントの活動を貴協会が積極的に支援されており、日本財団の大きなご協力を頂きコンサルタントのプロジェクト発掘活動のための資金調達を支援する基金が整備されたことは忘れられない想い出です。
 平成6年度には、日本財団のご協力により貴協会の中に運輸協力研究センターを設立して機能を強化され、更に平成14年4月には、観光分野の国際協力に長い年月にわたり貴重な活動を続け立派な功績を残した(財)国際観光開発研究センターと統合し、これを貴協会の観光開発研究所とされましたことは、今後も発展の可能性の大きい分野に活動を展開していくための時宜に適した決断をされたと思っております。
 今後は、わが国の国際協力は、その規模よりも質が問われる時代を迎えていると思います。その意味で注目すべきことは、昨年わが国が地球温暖化防止対策のために京都議定書に加入したことです。わが国はこれにより2010年前後5年平均で1990年における温室効果ガス排出量を6%削減する義務を負い、これを国内の諸施策によって実現することを目指していますが、わが国における温室効果ガスの削減は、既にエネルギー効率の良い石油依存度が高くなっていることなど今後の削減には高いコストが必要とされています。そこで、条約上は排出抑制義務を負わない開発途上国の温室効果ガスの削減効果のあるプロジェクトに支援し削減した場合、支援国が自国の排出枠を拡大できるようにする「クリーン開発メカニズム」という制度を設け、先進国が開発途上国の温室効果ガスの抑制に協力しながら、自国の削減義務の履行をコストの安い開発途上国で実施する途をひらいているのです。この分野に限らず、運輸部門の国際協力は、協力を受ける開発途上国の環境の改善に結びつくプロジェクトが多いように思います。このことは、運輸部門はコンサルタントが今後も活躍するための重要な部分であることを意味すると思います。クリーン開発メカニズムに関しては、削減実績の評価の関係で国際的な実績のある監査法人も活動を活発化しています。貴協会がこのような分野にも関心を持って、運輸部門の国際協力にこれまで以上のご活躍をされますことを心よりお祈りいたします。
(元運輸省国際課長・現(財)空港環境整備協会会長)
 
 
新井佼一
 
 海外運輸協力協会が30周年を迎えるので一文を、という申し出をいただいた。
 当協会の名前を認識したのは昭和51年に船舶局管理課に勤務していた頃で、当時、海外運輸コンサルタンツ協会といっていた協会に対して日本船舶振興会からの基金拠出を求めてきたときであった。船舶局の前には外務省経済協力局に出向していて、その間、国際協力事業団の発足のための法律制定作業を終えたばかりであり、運輸省もようやく経済協力に取り組むようになったことを改めて認識させられた。
 
昭和62年度コンサルタンツ研修開講式
(筆者が国際協力課長時代)
 
 長い空白期間を経て昭和61年に国際協力課長となり、海外運輸コンサルタンツ協会の業務に対して所管法人の一つとして本格的に取り組むことになった。運輸協力研究センターの大口の支援者である日本船舶振興会から社団法人として会員数の増大と財務面の自助努力を指摘され、もっともなことであり、その意向に沿うべく努力したが、残念ながら十全の成果を得ることはできなかった。
 昨年の3月に10年間勤務した国際観光開発研究センターを解散し、センターの業務を海外運輸協力協会に移管したこともあり、図らずも3ヶ月足らずの短い期間であったが、協会顧問としてお世話になることとなった。
 短い期間の印象で結論を出すのは性急すぎると思われるが、協会を取り巻く環境は大きく変化していることを痛感させられた。初期の頃は、経済協力の意義を関係者に啓発するという意味からも社団法人という形が良かったと思われるが、経済協力の規模が拡大し、内容が複雑化している現状から見て、常に会員の同意を得ないと新しい業務に取り組めないという建前が迅速・適切な対応を妨げているように感じられた。
 経済協力は政府の公的な資金を活用して途上国の経済社会の発展に資するというものであるが、国際社会への貢献は、災害時の復旧援助、難民救済、内乱・国際紛争等の後の戦後復興、地球環境保全のための支援等多様化してきており、従前の経済協力の枠組みでは捉え切れない様相を呈してきている。経済協力の分野に限っても従来の要請主義の見直し、一部開発途上国に対する円借款の免除等従来の援助の枠組みを大きく変えるような動きも目立ってきている。
 このような多様化し、複雑化する国際貢献に適切かつ迅速に対応するためには、海外運輸協力協会の業務・組織のあり方に抜本的な見直しを加える時機がきているのではないかと感じている。
(元運輸省国際協力課長・現 国際観光振興会理事)
 
 
松本登
 
 社団法人 海外運輸協力協会(JTCA)がこのたび創立二十周年を迎えられたことは、まことにおめでたいことと、哀心よりお祝い申し上げます。
 本協会は昭和48年社団法人 海外運輸コンサルタンツ協会として発足し、以来わが国唯一の海外運輸コンサルタントの事業者の団体として、会員が事業を円滑に推進して成果を挙げるように適時に適切な施策を講じられてわが国の海外協力事業の発展に大いに貢献をなされました。私の記憶では正会員数は創立当時の10数社から現在は26社になり、また、事業の予算は平成14年は創立2年目の昭和50年に比べて6倍強になっているとのことです。
 私が勤務していた株式会社 日本空港コンサルタンツ(JAC)は当協会の発足と同時に会員になりました。当時は日本のコンサルティング事業は国民一般に馴染みが薄く、国際的には後発産業で、歴史的に実績があり強力な基盤を持つ米国や英国、フランス、西独等の欧州勢には対抗して世界のマーケットに進出することは可成りの困難が予想されました。このためJTCAは先ず海外情報収集事業やプロジェクト予備調査事業を始め各種のコンサルタント支援事業を創設されました。このことは会員にとってまことに有難いことであったと思います。
 わが国と同様外国でも空港及びその関連施設の建設・整備は公共事業であり、事業実施の主体は一般的に政府やこれに準ずる所謂「役所」であったと思いますが、プロジェクトを実行する場合フィジビリティ・スタディやマスター・プランを担当するコンサルタントはこれら役所の担当部局の全面的な信用と協力が絶対必要となります。JACが社団法人であるJTCAの会員であることは、この場合大きなメリットであると思います。また、JTCAの創立当時はわが国のコンサルタントの財務状況は一般的に弱体で、自ら海外に出かけて営業活動をすることなどは困難で、プロジェクトの情報は主として商社、メーカー、建設会社等の営業情報に頼っておりました。JTCA創立後は会員はJTCAの海外情報収集やプロジェクトの予備調査事業等によって自分自身で直接海外営業活動を行ったり、必要な情報を得ることができるようになりました。
 私は海外情報収集やプロジェクト予備調査に度々参加しました。最初は先ず英国、フランス、西ドイツ、ベルギーの欧州諸国やオーストラリア等のコンサルタント業務の先進国の実情を調査しました。次いで潜在的クライアントのアジアや中南米等の発展途上国の情報収やプロジェクト予備調査を開始しました。またJTCAはASEAN諸国を対象として「ASEAN諸国巡回空港技術フォーラム」を実施しました。これは協会の藤野専務理事を団長としてわが国の空港に関連する電気、機械メーカーの有力メーカーや有力な建設会社等の第線の技術者で組織したチームを各国に派遣して空港建設技術のフォーラムを行うもので、主目的はわが国の有する空港に関する技術を各国に紹介することでしたが、航空局長以下の幹部も出席した国もあり好評であったと思います。これは、また、各国の技術者の相互親睦を深めることにもなり、色々な意味で大変有意義でありました。
 海外情報収集としては、当時北ベトナムと苦闘していた南ベトナムのサイゴン市(現在のホーチミン市)で遠雷のように轟く砲声の下で、日本大使や航空局長に表敬したことを印象深く思い出します。中国の情報収集はJTCAの髭田さんとご一緒に、北京−鄭州−桂林−廣州を回ったことがありました。河南省の黄河のほとりの鄭州で発掘中の殷・商(紀元前15〜12世紀)時代の廃墟を見学しましたが当時のものと思われる甲骨文、銅器、陶器などと共に人骨が陳列されており、説明者が上下に割れた髑髏の人工的と考えられる滑らかな切り口を指で示して、これらは当時の権力者が奴隷の髑髏を食器(ボウル茶碗)として使用したものらしいと説明したことを思い出します。これら殷墟の発掘などによって、従来から「幻の王朝」といわれた殷朝の存在が証明され、中国古代史上に大きな影響を与えることになったとのことです。桂林は数多の奇峰が聳り立つ風景は世界的に有名で遊覧船で有名な「漓江下り」を楽しみましたが将に南画の世界に遊ぶ感がありました。ミャンマーでは、首都ヤンゴン空港のコンサルタント業務の傍らパガンを訪れました。これは駐在日本大使が、アンコールワット、ボロブドールに匹敵する廃墟で一度は是非訪れるようにと勧めていたところで、大小の寺院、塔の廃墟があたかもゴースト・タウンの如く無数に散在した壮大な廃墟であります。
(元(株)日本空港コンサルタンツ社長)
 
右端筆者、中央2人中国航空局幹部







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