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3 財政再建の論理を超えて・・・論点整理
 さて、最後に、以上の分析を今日の分権論議との関連から整理し、本報告の締めくくりとする。
 まず、戦前に存在した「古典的地方自治」の潮流を再度強調しておきたい。本税を上まわる付加税収入、制限内での自由な付加税率の設定、ゆるやかな起債許可制度(特に、短期債、一時借入金)、二大政党制のもとでの地方利害の政治問題化、地方公営事業の全面化などに観察される自治の流れが歴史的にはまず重要であり、これに、高橋財政期以降の政策選択が重なり官治的性格を強めていくこととなった。このような歴史的な経緯に明らかなように、戦前の地方財政は古典的な地方自治を基調としつつ、昭和恐慌〜高橋財政〜戦時期に現代的な財政政策が全面化していく過程で官治的な性格(財源統制による自治体財政への介入、公共事業への動員も含む中央財政への従属)が強められていったということができる。
 ところで、地方財政史の時代区分には戦前・戦時との連続性を強調する議論と占領期における断絶性を強調する議論とが鋭く対立している(たとえば、佐藤進と大石嘉一郎の論争を見よ)。その意味では、戦前地方自治の官治性はそれ自体厳密に検討されるべき問題であるが、少なくとも1930年代の文脈のみを取り上げてその官治的な側面を強調するのはやや偏ったみかたであることは間違いない。戦後のシャウプ勧告による地方行財政改革の提言をどのように位置づけるかという問題は、現代の改革の行方も含めてあらためて検討されるべき課題といえるが、本報告の一応の結論としては、連綿と続く日本の地方自治の流れに回帰した側面を有することは間違いない以上「Back to Shoup」を強調する最近の議論は歴史的に見て一定の根拠を持つものと考える。
 続いて、交付税論議の登場した文脈の問題である。両税委譲論争において税源委譲後の地域間の財政力格差が重要な問題として取り上げられたように、付加税率の自由な決定は地域間の税負担の不均衡を先鋭化するという問題をそもそもはらんでいた。歴史的には義務教育費国庫負担金を通じてこれを調整してきたわけであるが、さらに昭和恐慌期になると、租税負担の急増、財政力格差の拡大が顕著になり、交付税の導入が積極的に論じられることとなった。同時に戦前期の日本においても国政委任事務というかたちで機関委任事務が大量に地方に存在しており、恐慌期には財源保障の必要性も高められることとなる。すなわち、財源調整と財源保障が一体となって登場したことにわが国の交付税制度の特徴が存在していたのである。
 その意味では、現在の交付税改革を論じる際には、2つの論点が存在することとなる。第1は、地方分権推進委員会によって勧告された事務再配分、具体的には機関委任事務の廃止がどの程度の実行力を持っているのかという問題である。やや逆説的に言えば、機関委任事務の廃止の一方で政令や省令を通じた地方財政への関与が存在する限り、財源保障の義務は中央政府に残り続けることとなるものと思われる。交付税の縮小は事務の再配分とセットで論じる問題であり、それに要する政治的なエネルギーという問題をひとまずおいておけば、地方分一括法附則第250、251条の有する意味を再度考え直す必要がある。第2は、税源委譲後の財政力格差の問題である。交付税制度が現在のかたちそのままで存続することへの疑問はおおよそのコンセンサスが得られていると思われる。しかしながら、税源委譲とこれにともなう財政力格差の是正は明らかに中央政府の責任であり、これを実現する上で交付税を欠くことができないというのは歴史的にみてあまりにも自明のことである。
 最後に、戦前期〜占領期における大蔵省の行動様式の問題性とその今日的意義を考えておきたい。当該期のわが国の財政運営に着目すると、1番の問題が大蔵省の予算統制の一環として地方財政が組み込まれたこと、すなわち「集権的分散システム」の形成・定着にあった点は多言を要しないであろう。換言すれば、地方財政が中央財政の収支あわせを達成するためのバッファーとして機能することとなったということもできる。
 この点に関して、まず、高橋財政期の政策選択は決定的な歴史的意義を有することとなった。高橋財政期は1920年代以来たびたび問題となっていた地域間の財政格差問題が昭和恐慌期以後ますます深刻化したことへの抜本的対応と同時に、忍び寄るファシズムの影に対して対抗しうるような新たな社会編成原理の確立=自治の再編が求められた時期でもあった。そして、その過程において、交付税の制度化や事務の再配分という現代的課題が提起されたにもかかわらず、「起債+補助金」という財源統制の強化と「健全財政」の論理によって弥縫的な対応が試みられたことの意義はきわめて大きい。より厳密に言えば、「起債+補助金」という統合手法が財政的理由から困難となるや否や「健全財政」の論理によって地方財政を中央財政の尻拭いのために利用したこと、そして、こういう経緯のもとにわが国のマクロバジェッティングが確立していったことは大きな問題であったように思われる。そして、その際の「健全財政」の実態とは会計間調整、隠れ借金、後年度負担の累積、日銀信用への安易な依存といった、今日と同様の、かつ、今日から見ても批判のそしりを免れないものだったのである。
 その後、戦時期には計画経済によって、占領期には資金統制によって、それぞれインフレを抑制する目的から地方財政計画、地方債計画が定着していき、中央の財政運営の一環としての地方財政という側面はますます強められていくこととなる。その際に強調されたのもマクロバジェッティングの実行力の問題であり「健全財政」の論理そのものだった。地方の財源統制をめぐる諸論議が常に財政当局の「健全財政」の論理と関連するものであったことはきわめて示唆に富む事実である。むろん、このような事実を強調するのは三位一体の改革を取り巻く現代の環境を戦前〜占領期のそれと安易に連続させるためではない。しかしながら、一見自明のものと思われる財政当局の「健全財政の論理」はそれ自体慎重に検討すべき問題だという主張は時代を問わず成り立ちうるであろう。
 それでは、この「論理」を今日の改革との関係でどのように位置づける必要があるのであろうか。
 今後の推移を念頭におけば、地方財政計画、地方債計画も含めたより広い文脈で「集権的分散システム」の解体が進められていくこととなろう。そしてその際、国によるマクロ的な政策調整と自治体個別のミクロ的な政策の整合性は重要な論点となる。しかしながら、地域間格差の是正、国の経済政策との整合性、国民の生存権保障など社会統合上の観点からマクロ的な政策調整の責任を負う以上、中央の地方への関与が完全に否定されることが考えられないのも事実である。
 その際に、財政当局が「健全財政」を問うのであれば地財計画に即しながら地方予算を圧縮することによって国民に信を問うことが筋なのではないだろうか。これを三位一体の改革にひきつけて言えば、あくまでも地方分権は民主主義が定着した現代において、より住民が選択、判断、決定しやすい仕組みを作るための処方箋なのであり、税源委譲はそれを財政面から保障するための政策提言である。したがって、分権が補助金の減額や地方交付税の圧縮を通じた収支あわせのための道具でないことは言うまでもないし、歴史的に繰り返されてきた財政当局のそのような手法にわれわれはけっして鈍感であってはならないと思われるのである。
 小泉改革が明治、占領期に続く歴史的改革になりうるとすれば、戦前から財政当局によって繰り返され続けている財政健全化とは異なる論理に立って、民主主義を大きく花開かせるための地方分権論議を行うことが求められるであろう。今後、税源委譲はより住民に身近な政府である自治体が主体的な政策決定をおこなうための前提条件だということを再確認し、財政赤字という異なる論理によってその前提条件が切り崩されないよう、注意深く今後の推移を見守っていかなくてはならない。
 
参考文献
 
井手英策   〔1998〕 「後期高橋財政と『国債漸減』政策」『証券経済研究第14号』日本証券経済研究所。
  同      〔2001〕 「起債許可制度と財源統制―財政の『健全化』にみるフィスカルポリシーの―側面―」『証券経済研究第32号』日本証券経済研究所。
  同      〔2004近刊〕 「地方債計画の形成過程と戦後地方債政策の起源」『都市問題第95巻3号』東京市政調査会。
大石嘉一郎  〔1990〕 「戦後地方財政改革の意義」『近代日本の地方自治』東京大学出版会。
佐藤進    〔1976〕 『地方財政・税制論』税務経理協会。
神野直彦   〔1993〕 「『日本型』税・財政システム」岡崎・奥野編『現代日本経済システムの源流』日本経済新聞社。
武田勝    〔2003〕 「日本における財政調整制度の生成過程」神野・池上編『地方交付税何が問題か』東洋経済。
藤田武夫   〔1949〕 『日本地方財政発展史』河出書房。
  同      〔1954〕 『昭和財政史14地方財政』東洋経済新報社。







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