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「民の謡(うた)」よもやまばなし
近畿運輸局大阪運輸支局長 坪倉 啓三
 
 もう、30年以上も歌い続けている。といって、カラオケの話しではない。私が所属する合唱団での話しである。
 そもそも合唱との関わりは、いたって不純な動機で始まる。大学へ入学したときに各クラブが新入生獲得のための店出しをしていた。私も何かクラブをしてみようとは思っていたので、適当なクラブを物色すべくウロウロとさまよっていた。
 当時、私の考えるクラブ活動といえば運動クラブのことであった。高校時代も、文化クラブなどというものは女・子供のやるものであって、そんなところへ生徒会の予算を渡すことはけしからんと考えていたくらいであるから、文化クラブへ加入することなど考えてもいなかった。だが、夜学という環境もあってか、適当な運動クラブが無く、たまたま同じ新入生で奄美大島出身の友人が教えてくれるというので、京都御所を練習場所にして空手部を作ろうということになった。しかし、男というものは、女・子供に弱い。男と男の約束を交わした直後、綺麗な女性から声をかけられた。合唱団への誘いであった。文化クラブ、ましてや合唱なぞやる気もないのに、綺麗な女性に見つめられながら入部の申込書を書いている自分が居た。以来、現在まで30年余りに亘る合唱団活動が続いている。
 私が所属する合唱団は、民謡合唱団「篝」という。「京都の民謡の研究と発表」をテーマに1970年に創団された。民謡の研究は「採録活動」と呼んでおり、様々な地域に出かけていって、「作業歌」「子守歌」「祝い歌」等、その地域の民謡を歌ってもらって録音テープに収め、そんな歌が歌われていた当時の生活の様子などを聞かせてもらう活動である。集めた歌は楽譜化したうえで、合唱曲に編曲をして演奏をすることとなる。こうして収集した京都の民謡は現在までに有に千曲を超えている。
 しかし、世の中の変化は早く、子守奉公も無くなり、機織りなどの手工業は無論のこと、農作業も自動化、機械化され、歌いながら作業をするような環境が無くなってしまってから久しい。なにより、子供達の遊びからは殆ど歌が消え去ってしまった。
 「昔はこんな歌を歌いながら・・・」などと、身振り手振りを交えて懐かしさ一杯に当時の話をしてくれるお年寄りも、今では殆ど居なくなってしまった。それだけに採録活動がほとんど不可能な状況にある現在では、収集した歌の数々は、世界文化遺産とまではいかないまでも極めて貴重な資料となっている。
 民謡の歌詞には、薀蓄(うんちく)の深いものから思わずにやりとしてしまうものまで、様々な内容が歌われるが、共通することは日常の暮らしの中に息づく庶民の想いや心が込められていることである。そこで、民謡の歌詞に見る昔の人たちの暮らしぶりや心根に少し想いを馳せてみよう。
 
「歌は良いもの仕事ができる話しゃ悪いもの手を止める」
 
 先人は、作業に歌を添えることで、その厳しさに耐え、生活に潤いを求めてきた。また、「この歌を何番まで歌えばこの作業は終わり」というように、歌は作業工程を管理する時計の役割も果たしていた。酒を飲むと歌いたくなるのは、こうした作業歌が酒に込められているからだと言われるほど、昔の酒造りでは全ての工程が作業歌で進んでいった。
 
「歌てなりとも気を晴らさねば気から病が出るわいな」
 
 何時の時代にも日常暮らしているとストレスが溜まることが多かったとみえる。そうした気分を晴らしてくれるのは歌であり、歌うことで心慰められ明日へのエネルギーを与えてもらう。現代の人々がカラオケに夢中になるのと同様・・・、
 
「わしとおまえは御門の扉朝に別れて晩に会う」
 
「一夜桜に二夜様ござれ七夜桜に八夜ござれ」
 
 光源氏の通い婚とまではいかなくとも、「夜這い」が黙認されていたおおらかな時代があった。親の目を盗んで、思う娘に会いに行く。娘の方も閂を外して・・・
 一週間に十日来いと言いたくなるほど、あなたの来るのを毎日待ち焦がれているという女心であったり、男の自慢話であったりする。
 
「歌は千ある千五百ある色の混ざらぬ歌はない」
 
「わしの心と向かいの山はいつも青(逢おう)々(逢おう)と松(待つ)ばかり」
 
「愛し(いとし)愛し(いとし)と鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす」
 
 民謡には、相手の悪口、お国(在所)自慢等々、様々な情景が歌い込まれるが、男女の心、を歌うものが断然多い。しかし、読者諸兄も感じていただけると思うが、その表現の仕方は大変豊かで文学的であり、陰湿な世界とは無縁である。
 昔の農家の人々は、夏の農閑期には浄瑠璃を習ったり、盆踊り歌の中に織り込んで互いに披露したりしていたそうである。町衆が茶道や能・狂言等の文化を支えていたと同様、農民達も芸事を楽しみ支えていた。こうした文化的素地が、日常の暮らしを歌い込む民謡の「文句」を表現豊かにし、作業の歌ですら、歌そのものを楽しむ術を併せ持っていた。
 こうして見てみると、物質的には現代と比べるとはるかに貧しい昔の人々だが、精神的には極めて豊かな暮らしをしていたことに驚かされる。
 いま、犬、わけても小型犬のブームであるらしい。(一方では、ロボットのペットに頼らねばならない現実を抱えながら・・・)物質主義で驀進してきた現代の社会も、動物や自然との生命の交わりや、精神生活の豊かさを取り戻す社会のあり方を、真剣に考えなければならない時代になってきた。







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