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斜肋骨の型
 この肋骨は中心に対して直角に建立されませんので、型板作りのため肋骨毎に、肋材厚みの表面と裏面2つの線図が必要となり、之で削り角度が出て来ます。複雑で手間のかかる作業ですが、全ての投影図法ですので、面倒・・・という程で無いと思います。船の長さの分割点91/2辺の斜肋骨の現物は、縦の姿の曲線と横の曲線の捩れが何とも云えず美しいものです。之は中心に直角の正肋骨には無いものです。鋼船のリベット船と共に、日本内地では肋骨建立の姿は見られなくなりました。
 
 
 斜肋骨の図化は大要上記の様な次第です。この図の削り代は根元では、外側に傾斜し、4WLで少なくなりますが、通常、DKではやゝ直角に近くRでは根元と反対に内側へ傾斜するような形となります。・の斜肋骨の建立は之を支える型板が必要となり、別示の様な甲板ラインに添ったものが一般です。
 甲板ラインの高さで設ける場合、型板は甲板反りに依る伸びを考慮し、現図場でもこのラインを画き型を作る必要が有ります。W、Lで作れば簡単と思いますが(水平なので)甲板部での狂いが出るので、甲板面で造る事になったのか・・・と考えます。只この型板の取付けは少々難儀をします。それはも・も船が大きくなれば型板も相当に大きく、特に・は長くなって来ますので何も中空に押えるものが無い所へ、支柱や仮型などを立てて、斜肋骨の重量を支える丈の補強もする要が有ります。
 
 
 上図の首尾斜肋骨の取付け方法は過去100年以上も変わらぬ方法かも知れません。私の居た造船場も同様に忠実に(法規用船のみ)それを行って来た様です。でも戦后見た南の造船所のものは、材料の使い方こそ荒っぽいけれど実状に即したものであったと記憶しております。昔々からの大工さんは冒険は面倒の様です。棟梁の意向で動かされますから出来ないでしょう。S-28年頃、大手水産会社から、この造船場に転出した東大出の学士様市田一郎氏が計画した18t〜25tの木造漁船は、全くそれ迄と違った新しい型で100%船主の要求を入れ、構造も合理的に・・・というものでした。
 
 の要求するスピード、積荷、航海日数等のものを全て満足すべく、この小型舩では始めてと思われるPC、BC係数の少ない船型となった。又エンジンメーカーへおそらく始めてであろう、ペラ図面をヤードより提出して「メシを食う計算器では駄目です。」との新語を残しました。このため、プロペラの作図もやらされペラの計算は船体屋の所挙と教えられた。
 
 洋型は船首形状より船尾形状の方が色々の形があります。之等はそれぞれの構造方法を替えなければ構成出来ないものばかりですが、良い木材が充分に有ったからどの様な構造も可能であったと思います。木材不足で色々と替えて鋼製へと移って行ったものに、主機関台や舵構造があり、舵凾が有り、舵柱材の廃止・・・などがあります。
 
 木製(杉)の水蜜区画のため、やや技倆の良い大工さんが作業に当りました。我々見習工であった者や、年輩には廻って来ません。
 規則では舵柱材と舵芯材がやや同寸法でしたので(当時)舵凾側板の厚さ分が・縦翼材に嵌込まれるため、この分が削られますので、少々弱くなる傾向となります。之を補う方法は色々有りますが、当時は梁下縦通材を舵柱へ船尾材に添わせ端まで延長し縦翼材を連結させるなどをして補強したのです。舵凾は下図の様な構造として、下部より掛矢で打込み釘は用いませんでした。両側の板を先に、舩尾側の一枚は后にします。舩尾の板はやや先細りで定位置で相当にキックなる様にします。(舵凾は外板の張付が終ってからの仕事)
 
 
 舵凾は、どうして下開き形なのか・・・と申しますと多くは蝶番を先に舵に取付け(10m/m程彫込む)・側から寄せる為です。図でも解る通り、この為には地面に深く穴を堀り、下から持ち上げねばならず、隻方のためにも舵は后方へ寄せる必要が有るからです。その点戦標型では、下から押上げてから、上部金物と下部ソールピースを両側から取付ける丈で終りますから、舵凾は垂直で事足ります。







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