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 北海道には欅材は自生しておりません。この船で始めて欅と出会ったのです。
 楢材と違い蒸しますと、厚紙の様に軟らかくなり、冷えると元通りに硬くなり、扱い易さに驚いたものでした。肋材は下図の様に曲げ易くするため2ツ割(両舷)としております。深さも先端部は根本より薄く80%位となります。(小型ボート丈の様ですが・・・。)
 
 
 肋骨は目の通ったものを選びますが、蒸し曲げ取付中に相当数が折れます。その為 定数の10%以上多く作っておきます。蒸し釜から、取付現場迄運ぶのが若い者の仕事で、熱い肋骨を麻袋の肩当を作り走ったものです。
 
蒸し釜(むし凾)
 之は舟を造る上で必ず必要となるものです。
 木材を曲げるためですから、蒸気のない場合は燒曲げの方法があるわけです。蒸し曲げは洋式と思います。S-63にアジア開発銀行の調査の際、インドネシアの木船工場に外国製の移動出来る型式の蒸し釜も見受けました。私の居た造船場は船材の使用后に出る小片を燃料とするボイラーが有り、蒸気の供給は容易ですので、和船、洋船を含めて大きな蒸し凾が有りました。
 断面の内法が3尺以上、長さが4〜5間有るものでした。之は和船の大きい材料や、曲りの有るものは小さい凾では入りませんから大きいわけですが之でも、小さくて困ったものです。巾が1間位で高さが3尺強が、この級では理想だったと思います。長さが有るのは両端から材料を入れる為です。
 
 
 蒸し凾は北海道の場合、冬は必ずしも曲げる材料ばかりでなく凍った木材の解凍にも使われます。水分が無いものばかりを使うわけでは有りませんから、凍った木材は無理が利かず、割れたり、折れたりしますので、すっかり解けてから使用します。
 さてカッターは戦中ですが戦前は救命艇も作っておりました。之は現今の指定工場的の通年製造するものでは無く、何か特別の事と思います。(この造船場は北洋方面の漁場で使う船丈の建造が主ですから)記憶では2重張の桧外板のもので、内側は斜張、外側は横張で、内側を張り終えた后、鉋ですべ〃〃に むらなく仕上げた后、木綿布を張っていた様です。(旧保安庁の木造巡視艇と同じ様な構造を思いますが・・・)外側も之又縦横に鉋でむら無く仕上げます。小さな鉋を使って綿毛のような鉋屑を出す仕上げです。その后、細い目のサンドペーパーで仕上げます。后で聞きますと、ペイントの乗りが良くなる様に・・・の由でした。外側の外板の合せ目は細い木綿の毛糸様の材料でテイネイなのみうちを行い、パテ充填をします。
 エヤータンクは亜鉛渡鋼板で社内で造っておりました。エヤーテストのポンプ押しも見習工の作業でした。石鹸水を筆で着けて廻るのが面白かった記憶が有ります。孔が有ればプーッと膨らみますので・・・。
 
 
 蒸し曲肋骨構造の船では、非常に堅牢に出来ていた北洋漁場向けの曳船があります。通称ランチと称しておりましたが、特徴は首尾が単材肋骨で中央部が蒸し曲げ肋骨です。キールは海岸に巻き上げる為、敷型です。(参考図を資料の項へ添付)振り返りますと、誠に丁寧な作り方です。
 この中央部の蒸曲肋骨は片舷の船底弯曲部辺から、片舷の甲板までの交互に通すもので、浜に曳揚げた時の為にビルジキールも倶え、且つ船底弯曲部辺の外板は硬材を用いております。丁寧さの表れは、主構成材(キール、、・の各主要材、力材等)は全て通し鋸で密着させます。又外板の全ては同様通し鋸を入れておりました。ブルワークは一切有りません。舷側部他は全て洋式の構造となっております。の舷側には、曳揚げ用のワイヤー、鋼バンドが常設されております。この2人乗曳船で戦中、最后の切揚時、貨物船に曳航されて荒天の千島から北海道までがんばった船もあったと申してます。(主機は燒玉機関)
 







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