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第三章
思い出のこと
 木船のため、海外へ出て見たいと考えたのは、S-32年に対ビルマ(或いはタイ国であったかも)の漁船建造のための指導員を募集していた時です。本音はこの狭い工場から出て世間を見たかった訳です。結局は上司に止められて終いまして・・・。木船の2度目はS-48年、系列会社へ出向中、親会社に居た友人から、ベトナムでえびトロール漁船を30隻の規模で、冷凍工場など建設プロジェクトを組み、船は現地で造るので出かける気はないか・・・との連絡。言語は余り心配せずにOK。木船3度目はS-63年にアジア開発銀行よりの依頼でインドネシアの木造漁船の調査で技術担当として同行してくれというものでした。そして4度目は平成元年に、国内で弁財船を作りたいので色々と智恵を出して下さい・・・という事でした。但し之は之から始める事で未知の事が多くあります。二〜三出会った海外の木船の事の一部を簡単に説明したいと思います。
 ベトナム は日本で計画し図面を作り、現地で、良い漁業基地と造船所を選定し、本部をサイゴンに置いて進めるというものでした。事業の出発に先立ち、現地の調査で半島の南 ブンタウ 近辺でヤードを調査中の事ですが、この辺も小型船のヤードが多く隣り合せ程に密集している所も有ります。(L10.00m程の船)この一角の浜辺の小屋でコツコツと小舟を作っていた老大工さんが居りまして、川辺には根曲りやら、材木片がゴロゴロとあり、小舟は4〜5m位のものですが、同行の工務部長が『・・・之を日本に持ち帰って床の間に・・・入らねば庭に置きたい・・・』と言出したので、見れば日本の伝馬船の様な船で、外板は矧合せのものですし、通し鋸も立派ではありませんが持っておりました。又、斧、ちようなは片手使用の小型のものです。のみはいわゆる外国型のものです。部長も私も驚いたのは材料です。之から肋骨を入れようとする工程で片舷は、之から上棚を付けよう・・・という姿です。日本の船の様に細やかに優美という事は有りませんが、その材料に驚いた訳です。様子を図示します。
 
 
 
 紫檀の釘は鉞で削ります。赤紫に光った削り面は正しく紫檀そのものでした。形態から見て海で使うものの様でしたが、川舟も数限りなく有る運河用としてのスタイルがあります。長さ5〜6mで巾が少し細長い事です。勿論長さ方向の接手は無く、板巾も広いため、上棚は1枚、下棚は2枚が多く、推進機は米国製空冷で長いパイプで覆ったペラ軸と機関にはフライホエールが付いています。この舟は交通用で、買物、用事の全てに使われ、高音の爆音をひびかせて水すましの様にスイ〃〃と走り廻ります。
 
 
 特にコーキングは無く、内面の縦、横縁に椰子油パテを塗る丈ですが、密着が良いものか漆同様に剥落ちる事はありません。洋型漁船もL15.00m程のものが有りますが、この地では全て現図が無く(漁船に限ると思いますが)3〜4ヶ所に予め作った肋骨を立て、定木を通して、その中間を測って合せている様です。従って建立してから、曲面に合わない肋骨は削る事になります。日本船の如き斜肋骨も有りませんから、端部のものは極端な菱型断面となります。中には後から合せて取付ける斜肋骨も有りました。こゝで又驚きが有りました。日本船では菅胴材に当りますが、L2,000m×300×300の木材が1材の紫檀なのです。(そこの棟梁さんは自慢しておりましたが)まだ資材が不足なものか、船尾管はなく直接ペラ軸が入り、前後に、米軍お古のカットレスベアリングを之又うまく利用して入れるのですが、このペラ軸孔は始めは20φ程の錐孔を開け(手もみです)長い鋼棒の先にバイトを溶接したものを、・管胴材の後方に架台(ウマ)を2ヶ所立て、この棒の端に車のクランクハンドル(昔の)様の取手を付けて、ヨイショ〃〃と小僧に廻させておりました。孔は70φ位でしょうか。后々はこの調子でした。急いでは駄目という事です。
 
 
 調査は20日程で西海岸のRACH-GIAを基地とし近郊に造船所を決めたのです。以前に佛軍将校に造船術を習ったという主人は、その将校から分けてもらったという2脚式製図器の付いた製図板も自慢でした。昔のものとは云え、なか〃〃立派です。正直 私も卓上製図器はそれ迄は使用した事が有りません。
 







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