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 無玉の厚さは胴海船で、120m/m磯舟で60〜70ですから、釘(縫釘)は全て船底側の片面丈で、鎹やつきりは両面とします。つきりは多くの造船所で使用した筈ですが、工作には相当の熟練が必要であったろうと思います。
 鎹やつきり は使用個所に依ってそれぞれ寸法が決められていた様です。海具と無玉の固着は通釘を用いますが前以て海具にも無玉にも鍔ノミで先孔をあけておき、打込時は鍔ノミでサグリをして孔が相互に合っている事の確認と、釘の通り路を作ってから打込みます。(摺合せの事は后逑)尾を返すと云うのは大工言葉で図の様にしっかりと戻らぬ様にする作業です。この部はノミで浅く掘り込んで尾を返した釘を無玉の内面から出ない様にして、ペースト状に練ったウルシを塗付します。磯舟の無玉は内外面とも鉋でキレイに仕上げますが胴海船(私の居た造船場のブナ材無玉)の場合は、小巻の上面、小巻側面丈が鉋仕上げで、他は全てチョウナ仕上げのみです。后先になりましたが、ブナ材無玉にはツキリは全く使用せず専ら鎹のみです。無玉船底は海岸へ舟を巻き揚げる際は船底が扁平ですから作業が仕易い事と丈夫さに有ると思います。荒波と荒っぽい作業の為に北洋向の胴海船の無玉がブナ材であったのでしょう。
 
 「和漢船用集」には、色々の呼名の事が記され、書物に画を以て説明されてますが、しきかわらが別のものであると考えている人も有る様ですが間違いでしょう。関西方面はかわら呼名が多いのではと考えます。かじきの有る舟はかわらと呼びかじきの無い舟はしきと呼んでいるのではないか・・・と考えます。
 竜骨(キール)であり、かわらでありましょう。(鋪とも書く)多くは、現今では入手困難の巨木を使っております。(私の頃でも1材の巾500〜800)私の居た造船所では三伴船は厚275m/m、起船で215m/m矧合せの総巾は三伴船1.48m、起船0.85mです。なるべく眞直で、径が大きく節のないものを選んだわけですから、当時でも限られた大木でしょう。
 しきは上記の寸法ですから2材〜4材で、和形船の特徴である矧合せを行います。鋸でのあいば摺りの后、更にのみうち(コーキング)を行います。充填材料は桧皮で、仕上げにうるしを塗ります。(施行方法は后述)。しき材は一般的には内地杉(本州杉)ですが、このヤードはブナ材です。桧皮充填后に塗るうるしの事を書きます。これをコクソと少々汚い言葉で申しますが、うるしは船漆と高級塗料のうるしとは区別されており、当時は樽詰めで1貫目、500匁、250匁、150匁などがあり、1貫と500匁は木樽で250匁以下は桧の曲げ物桶と記憶しております。500匁以下のものは専ら、カムチャッカ方面漁場向のものが多い様でした。
 工場の片隅にはかまぼこねり機の様なハンドミキサーが有り、之で次記の様な混合ペーストを作り木材の合わせ目に塗ります。調合はうるし、麦粉、細目ふるいを通した鋸くづ(軟材のもの)で、コンクリートモルタル位の堅さのものとし、竹べらで塗ります。敷材は、眞直な木材ばかりでは有りませんから片方がやゝ曲っておれば、片方もそれに合った曲りものを選びます。節や割れ、腐れ・・・などのある場合は悪い所を掘り除き、同質材などのイレコを施したりして母材としての型を整えます。敷は厚さが大きいので、両面に縫釘を打ちます。鎹は釘4本置きが一般で、表裏は、交互とします。縫釘は落釘6寸5分で釘間240〜270m/m 2本毎、上下とします。1隻分の敷の数は5〜7材の組合せで、山で木挽職が1隻毎に組合わせて造船所へ納入されておりました。之等は各単材共に仕上り寸法より15m/m程大きくしており、決められた寸法への仕上げは舟大工の作業となり、接手は造船所で作ります。
 
山からの敷構成の例
 
 木挽鋸の刃先はチョンがけという鋸くずのつまらない様な目立をします。
 







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