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1993/06/17 産経新聞朝刊
【主張1】PKO法一年の教訓と今後
 
 国連平和維持活動(PKO)協力法が成立してから、十五日で丸一年たった。牛歩を交えた国会論議、自衛隊などのカンボジア派遣、国連ボランティア(UNV)の中田厚仁さん、文民警察官・高田晴行警視の死、選挙協力―。この一年はPKOに明け暮れた一年だったといってもいいだろう。いわば、手探り状態で国際貢献という新しい分野に乗り出したのだが、踏み切ったことで国民の理解が高まった一面もあった。こんごますます世界の期待がかかると思われるわが国PKOの将来を考えるためには、この一年の経験を糧にしていかなければなるまい。
 振り返ってみて、PKO論議にいちばん欠けていたのは、国際貢献する場合のリスクに対する理解と合意だっただろう。PKOが派遣されるのは、紛争直後の政情必ずしも安定しない地域である。小学校の遠足でも一〇〇%の安全はありえない。ましてPKOの活動の場には、さまざまな形のリスクが待ち受けていると考えなければならないのに、政府も国民も楽観的に過ぎたのではなかったか。
 高田警視が殺害されたあと、さる閣僚が「PKOに派遣しているのは、汗を流すためで、血を流すためではない」と発言していた。確かに、血を流すのが目的ではないが、PKOには小学校の遠足よりはるかに大きなリスクがつきまとい、血が流れる可能性をいつでも覚悟しておくのが、国際的なコンセンサスなのである。本来なら、それを前提にして、では危険をできるだけ少なくするにはどうするか、といった論議が交わされるのだが、PKO国会は言葉の迷路に迷い込み、肝心の前提が抜けていた。
 もうひとつは、シビリアン・コントロールと現地指揮とのギャップである。PKO法は、“自衛隊は暴走する集団”といった疑心暗鬼で法案論議がされたところがあり、派遣部隊の行動は、法と平和協力業務実施計画でがんじがらめにされ、国連組織のなかでの活動、たとえば邦人の警護などに円滑さを欠くケースもあった。
 いま、PKO法のなかで凍結されている平和維持隊(PKF)の活動部分を解除せよという意見がある。それでなくとも二年後にはPKO法そのものの見直しが行われ、PKFも当然論議の対象になる。PKFは、現行の活動よりさらにリスクが高いかもしれないが、カンボジアの教訓を生かし、凍結を解除するにあたっては、政府はそれを明確に説明し、大多数の合意を得てから乗り出さなくてはならない。
 
 
 
 
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