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2004年1月号 中央公論
「自衛隊イラク派遣」と首相の責任 かけ声だけでは準備もできない
小川和久(おがわかずひさ)
(軍事アナリスト)
 
 イラク復興支援での自衛隊派遣を目前にして、一九九二年のカンボジアPKOの時の光景が思い出されてならない。当時、六月にPKO協力法成立が予定されていたが、直前の四月になっても防衛庁内局と陸上幕僚監部の間に接触すらなかったのだ。装備の準備ばかりか、カンボジアの情報すらなく、法律ができても派遣できる状態ではなかった。大慌てで総理官邸が主導し、九月に陸上自衛隊の施設大隊を派遣したが、派遣を叫ぶわりに何の準備もさせないというのが、政府全体の姿勢だった。一一年の時を経て、今回も同じ光景が繰り返されている。
 すぐに動けないことは、自衛隊の立場になればわかる。基本計画を閣議決定しなければ、予備費を使えないのだ。その閣議決定が先延ばしされてきた。政府首脳は、「できることから準備せよ」と言うが、明らかにイラク用の装備は基本計画なしには調達できない。
 たとえば、主要任務の給水用の浄水装置を増やそうにも発注から四ヵ月半かかる。基本的な交通手段の高機動車(四輪駆動車)にしても防弾装備が必要だ。防弾装備すると車重が増え、サスペンションを強化し、高馬力のエンジンにしなければならない。エンジンの砂塵用フィルターも必要だ。このような準備は、すぐにできるものではない。まったくもって非現実的な対応と言わざるをえない。
 こんなことになったのは、与党が政局運営にウエイトを置く一方、外務省を中心に米国の意向にそうことに腐心してきた結果だが、同様の齟齬はイラク復興支援政策全体を覆い尽くしていると言ってよい。その最たるものは、イラク復興支援になぜ参加するのか、を明快に説明できていないことだ。そのため、いまだに国内の議論は焦点が定まらない状態にある。
なぜ自衛隊なのか
 イラク復興支援をめぐる日本の議論は、以下の二点について整理しなければ国際的に通用しないし、結果として国益を損ね、国民を危険にさらす可能性すらある。第一は、自衛隊の派遣がイラク復興支援のすべてであるかの矮小化された議論に陥っている点、第二は、イラクの安定というプロセス抜きにテロの根絶は不可能という現実が理解されていない点、である。この二点を整理してはじめて、平和を希求する日本国憲法の精神、戦後日本が掲げてきた原理原則(平和主義、国連中心主義)に則ったかたちで、イラク復興支援に参加する理由を国民に説明できるようになる。
 まず第一点だが、日本が参加しようとしているのはイラク復興全体に関する支援である。自衛隊派遣が占める割合は全体の一〇%程度だろうが、「必要不可欠な最初の一〇%」という重みを持っている。すべてがゼロに戻ったイラクが秩序と治安を回復し、復興するのに、初期に一定の強制力を備えた軍事組織が中心となるのは、骨折の治療に副木やギプスが不可欠なように、避けられないプロセスだからである。
 ところが日本には、軍事組織で秩序と治安を回復しつつ、民間による復興支援に移行していく考え方がない。戦場でなくとも、治安回復までは危険だから軍事組織なのだ。イラク戦争に反対したカナダが、民間機ではなく軍用機を派遣した理由はそこにある。
 残念なことに、日本では派遣する自衛隊が武力行使可能な姿ではないことすら理解されていない。しばしば日本では、自衛隊を国際貢献任務に出すとき、「本格的な海外派兵の突破口」と反対されるが、これは税金の使い道である日本の防衛力についてチェックがなかったという点で、日本の民主主義のレベルが問われる話である。与野党を問わず、あまりにも軍事問題の基礎知識に欠けると言わざるをえない。
 専門的に言えば、戦力構造から見た日本の自衛隊の戦力投射能力は限りなくゼロに近い。つまり、外国を攻め、占領し、戦争目的を達成できる構造の軍事力になっていない。これが「専守防衛」の現実である。それを理解していれば自衛隊を国連の平和維持活動や今回のような国際的な活動に派遣するにあたり誰も危惧など抱かないはずだ。
 今回、自衛隊は派遣地域住民との信頼関係を構築し、日本が民間レベルで本格的な復興支援を行うために、給水、給電、衛生、輸送などの面で基盤整備を行うことが主要任務となる。日本政府としては、可能なかぎり早急にイラク国民の雇用の創出など復興支援の青写真を示すことで、日本が「イラク復興に欠かせない国」という認識を作り上げ、自衛隊を含む日本の復興支援活動が安全に進められる環境を構築し、安全が確立された段階で自衛隊を撤収するのが理想だろう。
 今後、イラク戦争に反対したフランス、ドイツが米国との関係を修復して参加する可能性が大きい。日本としても、施設部隊などを中心に人道支援目的の部隊を韓国なみの三〇〇〇人ほどは出さなければ、世界平和への責任を問われかねない事態も考えられる。
 その意味でも、一日も早く民間中心の復興支援にシフトできるよう、自衛隊派遣を成功させる必要がある。
イラクを安定化させることの意味
 いまひとつ、イラクの安定というプロセス抜きにテロの根絶は不可能であり、それが日本の安全にとって重要な意味を持つ、という問題がある。
 確かに、武力を突出させた米国のやり方に、「暴力の連鎖を生むだけ」との批判があるのも事実だ。その通りだと思う。国連の関与も強めるべきだ。しかし、暴力の連鎖を断つために民間主体でイラク復興に取り組むにしても、その立ち上がり段階では、副木やギプスとして、つまり武力行使とはほど遠い編成で軍事組織を派遣して足場を固める他に方法があるというのか。
 アフガニスタンで掃討されたアル・カーイダなどテロ組織は、明らかに渾沌の中にあるイラクを根拠地にしようとしているのだ。
 ここで日本国民が知るべきは、日本は「サミットを構成する主要国」「米国の最重要同盟国」「対テロ戦争を戦っている国」という三点から、テロの標的になる条件を備えた国だという現実である。仮に日本が永世中立を宣言していたとしても、主要国であるかぎり狙われる確率は同じだ。
 先日、「自衛隊を派遣すれば、日本の心臓部を攻撃する」と、アル・カーイダを名乗るメールが報道機関に届いたが、自衛隊を派遣しなければ日本を攻撃しないというのか。海外にいる日本の観光客やビジネスマンは安全を保証されるのか。そんなことはありえない。ロシア革命時代とは異なり、現代のテロリズムは自らの価値観と合わない対象を無差別に破壊する。一片のモラルも存在しない。当然、一般市民などソフトターゲットを狙う。そんなテロリズムを許容するという選択はありえないのだ。今回、日本が弱腰に終始すれば、テロリストは間違いなく日本に根拠地を築き上げるだろう。
 以上の現実を前にすれば、イラク戦争への日本の対応はそれなりの正当性を備えていたと言うことはできる。問題は、二〇〇一年九月十一日の同時多発テロを受けて対テロ戦争に参加し、その文脈でイラク戦争を支持し、さらに今回のイラク復興支援に参加することについて、整合性をもって語られていないことだ。日本政府が理論構築能力に乏しい結果、その点が国民に伝わっていない。
誰のためにイラクに行くのか
 まず、対テロ戦争への参加は「同時多発テロは日本が掲げる平和主義への重大な挑戦」という位置づけが必要となる。平和主義とは、世界平和のための努力をする日本に対して生まれる世界の評価と信頼を日本の安全と繁栄の基盤とする、という国益実現の考え方である。そう考えれば、同時多発テロが日本の原理原則への挑戦だという理由がわかるだろう。日本は、テロの容疑者や容疑組織が国際的な裁きの場に立たされるまで、各国と共同行動しなければならない立場なのである。
 日本がイラク戦争を支持したのは、大量破壊兵器開発国とテロリストの結合が世界と日本にとって深刻な脅威であり、それを取り除くのに他に手段がなかったからである。テロリストに大量破壊兵器が渡ることを考えれば、開発国が地球上のどこにあろうが関係ない。狙われやすい立場で考えれば、テロとの戦いとイラク戦争には日本の個別的自衛権の側面さえある。世論しだいでは、日本は個別的自衛権の問題として戦闘部隊をイラク戦争に出す選択さえありえたのである。
 その日本は国連中心主義の立場から、国連の査察を受け入れることで疑惑を晴らすようイラクに働きかけた。しかし、イラクは査察を妨害し、拒否したかどで国際的な軍事制裁を受けることになり、日本も他に選択肢はないという認識で開戦を支持するに至った。
 このように考えれば、「はじめに米国との同盟関係ありき」とする議論は間違っているし、独立国家としてあってはならないものだ。日本は、国際的な責務を果たすことで安全と繁栄を実現するという国益を視野に、独自の判断でイラク復興支援に参加する理論を構築できなければならない。迷走する派遣論議を横目に、自衛隊制服組のトップの一人は「イラクに行くのなら、米国のためでなく日本のために行きたい」と本音を漏らした。
 当然ながら、今回のイラク派遣には危険が伴う。派遣される自衛官は不安だろうし、それにも増して家族の心配は計り知れない。しかし、自衛官宣誓をしている以上、任務であれば彼らは黙々と赴くし、命をなげうってでも職務を全うするだろう。そうであればこそ、送り出す政府は、どこかほかの国のためでなく日本のために行く、ということを明確にすべきだ。万が一の時には、その気高い行為に対して国家国民を挙げて十分な名誉が与えられるよう、措置されなければならない。
◇小川和久(おがわ かずひさ)
1945年生まれ。陸上自衛隊航空学校を経て同志社大学神学部中退。
週刊誌記者を経て軍事アナリストとして独立。現在、危機管理総合研究所長。
 
 
 
 
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