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1990/09/19 読売新聞朝刊
検証 「ソ連の脅威」削除の白書 防衛力整備路線は不変(解説)
◆言い回しに苦心の跡 「名」を捨てて「実」を取る
 十八日発表の平成二年版防衛白書から「ソ連の潜在的脅威」の表現が消えたことで、「日本の防衛」(同白書の公式な題名でもある)は、その態勢を変えるのか、変えないのか。白書の構成・文脈と、現実の防衛力整備路線とを対比させて検証してみる。
(解説部 原田 アキラ)
◆「侵略」なくなるのか
 まず、白書サイドからみると、「潜在的脅威」の削除と、わが国の防衛政策の基本方針を定めた「防衛計画の大綱」との調整にとても苦労しているようだ。
 「大綱」では「小規模かつ限定的な侵略については原則として独力で排除する」としている。では「潜在的脅威」が消えると、侵略はなくなるのか、という疑問が当然出てくる。
 これに対し、白書いわく「(「大綱」の記述は)侵略の蓋然(がいぜん)性が高いとか、現実にどんな規模の侵略があるか、ということではない・・・万一侵略が起こった際は、これを排除するという、独立国家としての当然の基本姿勢を述べているものである」。つまり一般論で対処している。
 「大綱」は、もちろん基本的な指針であることに間違いないが、基本指針だけで具体的な防衛政策を策定し、必要な予算を計上できるわけがない。そこで、「大綱」に基づいて、防衛庁では「防衛諸計画の作成等に関する訓令」を定め、統合長期防衛見積もり(統長)に始まる別掲のような体系をこしらえている。一種のマニュアルである。
 ごく大づかみにいえば、「統長」は、ざっと二十年先までの軍事技術の動向を予測し、防衛力が質的に遅れないことを目的とする。
 「統中」は約八年先までの内外情勢を掘り下げ、わが国への脅威を分析、これに対応する自衛隊の防衛構想・態勢を検討し、政府が決定する「中期防衛力整備計画」の資料とする。「中能」は、各自衛隊の現在の戦力の不備・改善点をまとめたもので、同様に政府「中期計画」の資料となる。
◆複雑な政策具体化
 この政府計画は、戦車、航空機、艦船などの主要装備品を五年間でどれだけ調達するか、という“お買い物プラン”が中心となっており、これを一年分ずつ分割し、必要な予算などを見積もったのが「年業」だ。
 −−と、まことに複雑な体系のなかでややこしい作業をくり返し、わが国の防衛政策は具体化されて行くのだが、国民にオープンとなるのは「大綱」を除いては「中期計画」と「年業」の概要部分だけ。あとはすべて“秘密の壁”のなかに閉じ込められている。
 その年度に、もし武力侵攻があったら、自衛隊は持てる戦力でどう戦うか、を定めた「年防」に至っては門外不出といわれる。
 ともあれ、こうした防衛力整備路線の各段階で「侵略の蓋然性・規模」あるいは「脅威見積もり」について具体的に検討しないわけがない。そのために陸上、海上、航空幕僚監部は、エリート幕僚を多数擁しているのである。
 彼らが想定する「脅威」は、まぎれもなく極東ソ連軍である。口の堅い“沈黙の集団”だからその作業経過を知ることは困難だが、予算案などで公表された作業結果は、「脅威の具体的存在」を雄弁に語っている。
 昭和六十一年度から平成二年度まで五か年にわたる政府計画「中期防」の結果をみればわかる。
 陸上自衛隊の場合、単価十一億円もの新鋭戦車、同六億円の高性能装甲車をソ連に最も近い北海道へ集中配備する。射程百五十キロ・メートル以上の国産地対艦ミサイルも四十八発射ランチャーを北海道へ配備するが、総額は千五百億円に達する。目的は、武力侵攻に対する「早期撃破」だ。
 こんなにもカネをかけた防衛力ビルドアップの成果を、昨年度の白書は第二部「わが国の防衛政策」と第三部「わが国防衛の現状と課題」の両方で大々的に紹介し、イラストもたくさんつけた。
 ところが、こんどの白書は一転して、第三部にこぢんまりとまとめ、イラストも減らしている。「潜在的脅威」削除による“玉突き調整”のような気がする。
◆“バランス”に腐心
 冷戦構造が崩れた。湾岸危機などの新しい地域紛争が噴出している。流動化しつつも不透明、不確実な国際情勢のもとで、こんどの白書は、まことに手の込んだ調整をあちこちに仕掛け全体のバランスをとることに腐心した、といえよう。
 だが、「調整」は決して「変更」ではない。白書自体も、平成三年度以降の政府計画「次期防」について「(現「中期防」終了後においても)継続的かつ計画的に進められるべきもの」としている。防衛力整備路線に転針の兆候はないのである。そして、「脅威」は消えても、白書は“代用語”として極東ソ連軍の「圧力」や「厳しい軍事情勢」を、抜かりなく効果的に使っている。
 結局、政治的判断が「名」をとり、軍事的合理性が「実」をとった。それが平成二年版防衛“調整”白書のポイントのように思われる。
 
 
 
 
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