近現代の日本史の、主な舞台となった場所を絞り込むのは難しいだろう。しかし「昭和史の舞台」ならば、ここは外せないのではないか。東京都新宿区の「市ケ谷台」である▼太平洋戦争中は大本営陸軍部、陸軍省、参謀本部があり、戦争遂行の中枢だった。敗戦後は米軍に接収され、東条英機・元首相らを裁く極東国際軍事裁判(東京裁判)の法廷が設けられた。米軍からの返還後は自衛隊の東部方面総監部が置かれ、三島事件があり、今は高層の防衛庁がそびえている▼東京では市ケ谷台という地名と深く結びついた自衛隊が発足してから、今日で50年になる。当初から、戦争放棄をうたう新憲法との関係を問われた自衛隊が、今は多国籍軍の一員としてイラクに駐留している。自衛隊や、日本の政治、外交の変遷の激しさを思わないわけにはいかない▼今春の本社の世論調査では「憲法9条を変えない方がよい」との答えが60%ある一方で「日米安保条約はこれからも維持する」が73%あった。この一見矛盾していそうな「安保と9条の同居」という環境のもとで、自衛隊の存在も国民に受け入れられるようになってきた▼自衛隊は、東西の冷戦を背景にして生まれた。その後、著しい肥大化を恐れたり、海外への派遣を危ぶんだりする国民が、選挙などで歯止めをかけたこともあった。もし、そうした歯止めがなかったなら、これほど長く日本の平和は続いていただろうか▼歴史に、仮定はなじまない。しかし、自衛隊の創設から半世紀の節目に、考えてみたい「もし」ではある。
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