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私はこう考える【自衛隊について】

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


2004/06/02 朝日新聞朝刊
同盟揺する「有志連合」 検証アフガン・イラク戦争 自衛隊50年
 
 01年9月11日、米国で起きた同時多発テロは、その後の世界を大きく変えた。対テロ戦争遂行のために「敵か味方か」の踏み絵を迫る米ブッシュ政権の姿勢によって、日米同盟の危機を感じたのは、日本政府当局者ばかりではなかった。自衛隊の「制服組」も独自に動き始めた。日本は、アフガニスタン、イラク戦争の二つの有志連合に、どのように踏み出したのか――。数多くの日米両政府の高官、当局者、幹部自衛官、米軍幹部の証言をもとに再現する。(肩書はすべて当時。敬称略)
◇イラク
●「衝撃と恐怖」戦略が、米軍パソコンに現れた
 02年秋。
 ブッシュ政権は、イラクのフセイン大統領に対して武装解除を求める圧力を強め、応じない場合に備えて戦争の準備を着々と進めた。
 アフガニスタン戦争の有志連合には、日本も含め当時約40カ国が参加していた。米国はそれとは別に、イラク戦争の有志連合に加わるかどうかを各国に打診した。
 10月23日、ワシントンで開かれた日米の外務、防衛当局の安全保障審議官級会合(ミニSSC)も、そうした場の一つだった。協議内容の多くは「秘」扱いとなり公表されなかった。
 この場で、ある言葉がローレス国防次官補代理の口から出た。
 「ブーツ・オン・ザ・グラウンド(地上部隊の派遣を)」
 陸自はアフガニスタンに行かなかったが、今度こそイラクに行ってほしいという意味だった。
 さらに、イラクの有志連合に入るならばと、米側の要望するメニューリストも渡された。
 (1)アフガニスタン戦争と同等の支援(2)イラク戦後復興での様々な資源提供(3)戦後の治安維持への要員派遣(4)在日米軍基地警備の強化(5)米軍の展開に伴う穴埋め――。
 容易に受け入れられる内容ではなかった。
 
 アフガニスタン戦争を遂行し、イラク戦争を準備しつつあった米中央軍は、フロリダ州タンパの司令部横に、有志連合に参加した各国の連絡官が常駐する「有志連合村」をトレーラーハウスで設けた。
 自衛隊は02年8月から、アフガニスタン戦「有志連合村」に数人の連絡官を派遣していた。彼らの当初の任務はアフガニスタン復興の調整などだったが、次第にイラクをめぐる情報収集が重要になった。
 だが、壁に突き当たった。米軍はイラク戦争の有志連合に参加する「コミット(約束)」をしなければ「情報」を渡さない。だが、「情報」がなければ、日本として「コミット」できるかどうか分からない。
 小泉首相は03年2月上旬、「イラク戦争が始まれば支持する」との意向を固め、ごく少数の政府関係者に打ち明けた。だが、国際、国内世論をうかがって表向きは沈黙を守っていた。
 3月に入って、米中央軍はコミットを明確にした数カ国に情報提供を始めた。外務省、防衛庁内局、海幕の担当者がそれぞれ、イラク戦後のペルシャ湾での掃海艇派遣の意思を米側に伝えた。現行法で出来る支援はそれぐらいしかなかった。
 「日本は他の国と違って重要な同盟国だ。入れてやれ」。アーミテージ国務副長官の圧力が中央軍首脳に効いた。
 3月15日。自衛隊が派遣していた連絡官が中央軍司令部の一室に招かれた。イラク戦争の情報端末につながるコンピューターの操作を許された。スイッチを入れる。
 画面に「ショック・アンド・オー(衝撃と恐怖)」の文字が浮き上がった。
 集中的な爆撃で指揮命令系統を徹底的に破壊する対イラク戦の戦略を示す言葉だ。日本が有志連合に事実上参加した瞬間だった。
 
 3月20日、米軍はイラクに空爆を始めた。小泉首相は「米軍の武力行使を理解し、支持する」と表明した。
 同日、閣議決定した首相談話に、措置の検討の一つとして「海上における遺棄機雷の処理」を盛り込んだ。湾岸戦争のときと同様のペルシャ湾への掃海艇派遣を意味していた。
 しかし、この貢献は結局、幻に終わった。
 戦争中は派遣出来ないし、4月には統一地方選が予定されていた。世論への影響を考えて、実施を見合わせていたのだ。その間に、英国軍が掃海し、機雷自体が消えてしまった。皮肉なことに掃海艇派遣が実現しなかったことで、日本は何倍も危険な地上部隊派遣を迫られることになる。
●「やる気が見えない」。国防総省高官がなじった
 「これは我々にも出番が回ってくるな」
 先崎一陸幕長は直感的にそう思った。
 03年5月24日朝。テレビニュースは数時間前(現地時間で23日)に米テキサス州クロフォードで行われた小泉首相とブッシュ大統領の会談を伝えていた。
 「日米蜜月」を強調する2人の首脳。共同記者会見で、大統領は「(イラク復興への)日本の参加を期待している」ともちかけ、首相は「自衛隊などの派遣について、日本の出来ることをよく検討したい」と応じた。
 それまで陸幕長に「陸自派遣検討」の指示が、首相や防衛庁長官からあったわけではない。だが、「指示が出たときに応えられるように、先行的に検討しておく必要がある」と思った。先崎は「ハラ」を固めた。
 先崎の指示を受けて6月上旬、宗像久男陸幕防衛部長をトップに、課長・班長級からなるプロジェクトチーム「イラクPJ」が陸幕内に誕生した。
 
 同じころ、外務省や防衛庁・自衛隊を中心メンバーとする調査団がひそかにイラクを訪れていた。その報告をもとに、防衛庁は「バグダッド空港で、米英軍に水を提供する」との案を固めた。陸自の能力と、現地の需要、安全性を考慮した苦心の策だった。
 浄水は92年のカンボジアPKO(国連平和維持活動)から実績のある、陸自の得意分野だ。調査団の質問に、現地の米軍将官も「水をくれればありがたい」と答えた。バグダッド空港には池がある。そこは米軍管理下なので比較的安全だ。これが「バグダッド空港給水案」の最大の理由だった。
 国会議員らに説明に回ると、「砂漠に水は必要だろう」と理解された。6月13日に自衛隊派遣のためのイラク特措法が閣議決定された。
 だが――。防衛庁の目算と米国防総省とのずれは大きかった。
 6月30日、外務省、防衛庁、自衛隊の担当者らが、ワシントンの国防総省を訪れた。一行の説明に、ローレス国防次官補代理は声を荒らげて批判した。「やる気が見えない」
 「我々の希望は――」。ローレスらは次のように説明した。
 第1に一定地域を制圧できる治安部隊
 第2にヘリコプターやトラックなどの輸送部隊
 米側は、最低1千人規模の「他国に頼らない自己完結型の部隊」を求めていた。それだけに落胆が著しかった。
 「水の需要は軍に聞いてくれ」。国防総省高官の言葉で、翌日、一行はタンパの米中央軍司令部を訪れた。日本側の説明に、米将官は後ろに座っていた部下たちを振り返って言った。
 「水? そんなニーズがうちにあるのか」
 誰も答えなかった。
 「水は必要ない」などと結論づけられてしまえば、審議中のイラク特措法案がつぶれかねない。ようやく引き出した答えが「現地で調べてみよう」だった。
 
 約2週間後、米側から回答が来た。「バグダッドの北方約90キロ、バラド近郊に展開している米軍部隊なら需要がある」
 反米勢力による襲撃が頻繁する危険地域で、とても陸自が応じられるような場所ではなかった。
 政府は、水の提供目的を「米軍支援」から、イラク人への「人道支援」に切り替えた。そして、反米武装勢力の少ない比較的安全で、水の需要のある地域を探した。
 それが南部の貧しいシーア派の町、サマワだった。
●日米首脳会談を見て、陸幕長は派遣を覚悟した
 03年7月26日、イラク特措法が成立した。しかし、この後イラクの治安は一段と悪化した。
 「ブーツ・オン・ジ・エアでいいじゃないか」
 竹内行夫外務事務次官は、そう周辺に漏らした。いったん派遣したら簡単には撤収できない陸自の派遣は当分控え、空自の輸送機だけにしたらどうか、と考えていた。
 陸自の苦悩を見て、守屋武昌防衛事務次官も福田康夫官房長官に提案した。
 守屋「当面は、輸送機だけですませたらどうでしょうか」
 福田「輸送機だと有志連合軍支援にしかならない。人道支援でいくしかない」
 米英軍が戦争の「大義」とした大量破壊兵器は見つからないままだ。福田の頭には、自衛隊派遣の「大義」をどう見いだすかという難問が去らなかった。
 一方、米国にとっては、国際世論が逆風になるほど、日本の参加の価値が高まった。
 「ホワイトハウスや国務省にとって、ドイツやフランスが軍隊を派遣しない中で、大国・日本が陸自を出すという政治的な意味が大きかった」(日本外務省担当者)
 
 陸自の苦悩は、国内の準備作業でも続いた。
 米国防総省が示した「1千人規模」という意向をもとに、編成作業に着手した。
 浄水給水、医療衛生、施設補修の三つの活動を軸に、警備部隊を加え、派遣部隊の規模を「約800人」として内閣官房に報告した。
 だが11月、官邸は「派遣規模は500人にする」と突然指示を出した。
 計画の中身が一部、メディアに報じられたことへの措置か・・・。陸幕幹部らはこう受け止めた。「官邸は軍事の基本を知らない」との不満が陸幕内の一部に噴き出た。
 なぜか。
 警備要員など300人余りの基幹要員は削れない。しわ寄せは、人道復興業務にあたる要員に行かざるを得ないからだ。
 12月の基本計画では600人に修正されたが、見直し作業は難航した。
 各約100人の中隊規模だった給水隊、衛生隊、施設隊が、一回り小さくなって数十人規模に縮小された。給水でみると、浄化装置の数が半分近くになり、当初24時間稼働させる予定だったのが日中だけに限定された。全体の浄水能力は4分の1に落ちた。
◇アフガン
●沈黙する米。海幕は自ら支援リストを作った
 「先入観抜きで、やれることは全部リストアップしろ。法律にかすっても、何とか解釈で出来るものを挙げろ。後は政治が判断する」
 9・11テロの翌日、海上幕僚監部の河野克俊防衛課長は首脳部との打ち合わせの後、部下にこう命じた。
 米軍人の気質を知る河野には、米国の怒りが肌で感じられた。「これは戦争だ」と思った。
 だが、日米同盟で海幕のカウンターパートとなる米太平洋艦隊司令部は何も求めなかった。
 「『やれることがあるなら、自分で決めてやれ。やれないなら、邪魔するな』ということか」。沈黙する米軍の姿勢をこう受け止めていた。
 「ひとつ対応を間違えれば、日米同盟は崩壊だ」――海幕の幹部たちはそんな危機感すら抱いていた。
 陸海空の3自衛隊の中で、海自は最も米軍との関係が深い。戦後に米海軍の支援を受けて生まれ、冷戦時代には米海軍と対ソ連戦を想定した共同訓練を重ねて育ってきた。「同盟を支えているのは自分たちだ」という強烈な自意識を持つ。
 海幕は米軍の要求案なしに自ら支援のリストを作り始めた。海自にとって「初めての挑戦」(海幕幹部)だった。
 
 それが5項目からなるA4判1ページの文書としてまとめられた。「テロ攻撃及び米軍支援に関する海上自衛隊の対応策」。香田洋二防衛部長と河野が子細にチェックして完成した。
 インド洋に向かう米空母機動部隊を、海自の護衛艦などが護衛する項目もある。政治判断で削られることも計算した目いっぱいの案とは言え、歴代内閣が憲法違反としてきた集団的自衛権行使に踏み込みかねないような内容だ。
 リストを渡された防衛庁内局の幹部は苦々しげな表情を浮かべた。「面倒なものを持ってきて」という反応だった。少なくとも海幕側はそう感じた。
 海幕幹部たちは制服を背広に着替え、リストを携えて国会議員に説明して回った。戦争が迫っていることを理解してもらいたかった。
 内局幹部は「海がしゃしゃり出ている」と反発した。だが、やはり同盟の危機を感じていた外務省は、海幕と非公式に調整を始めた。
 「海幕と外務省北米局は、内局をとび越えた関係を持っていた」(内局OB)という。
 この結果、米軍施設警備や情報収集の護衛艦派遣などが、9・11テロへの日本政府の対応を示す「外務省案」に織り込まれた。
 
 9月21日、米空母キティホークが横須賀を出港した。その前後を固めるように海自の護衛艦や海上保安庁の巡視艇が航行する。その姿がCNNで放映され、「日本の貢献」を印象づけた。
 その1週間前。米海軍幹部は海幕幹部に悲鳴にも似た口調でこう訴えていた。「こんな物騒な横須賀にはいられない。旅客機が基地の上をばんばん通る。貴重な空母をやられたらたまらない」
 米軍は恐慌状態だった。領海警備は海保の仕事だが、民間機のテロには護衛艦しか対応できない。空母が低速でしか航行できない東京湾が問題だった。海幕は「護衛」すべきだと考えた。
 実施するかどうか。法的根拠をめぐり、防衛庁内で海幕と内局による激論が交わされた。
 海幕「同盟国の空母を守るのは当たり前だ」
 内局「乱暴だ。日本防衛ではないから、法的根拠がない」
 結局、こんな結論に落ち着いた。
 防衛庁設置法5条18項の「調査・研究」に基づく「警戒監視」という理由で説明しよう――。
●官邸主導で「極秘」会議。外務省が案を出した
 「この会議のことは極秘に。外相、防衛庁長官には、内容を報告しないでほしい。これは官邸としての厳命だ」
 9月13日、首相官邸。
 古川貞二郎官房副長官がこうクギを刺した。その場にいた谷内正太郎外務省総政局長、佐藤謙防衛事務次官、秋山收内閣法制局次長、大森敬治官房副長官補ら少数の出席者の表情が一瞬こわ張った。
 極秘の会議は「古川勉強会」と呼ばれた。それからほぼ連日、米国主導の「対テロ戦争」に絡む日本の対応策が検討された。
 当時、外務省は田中真紀子外相と官僚が対立した「伏魔殿」騒動で、情報漏洩(ろうえい)が相次いでいた。中谷元防衛庁長官も田中外相と横並びの扱いとなった。
 テロ対策は官邸が取り仕切る――。古川の「厳命」はそんな危機管理の宣言を意味した。
 
 官邸主導の枠組みの中、対応策の原案を書いたのが外務省だった。
 「湾岸戦争を忘れるな」。外務官僚たちは合言葉のように言い合った。
 10年前の湾岸戦争では、日本は130億ドルを拠出したが、自衛隊派遣でつまずき、米国にバッシングされた。湾岸戦争への対応は同盟の「1次テスト」、今回は「最終テスト」(谷内)という危機感を抱いていた。
 外務省の担当者が陸海空幕それぞれの防衛課に直接電話し、姿勢を探った。その温度差を担当者はこう感じた。「海は積極的、陸は慎重、空は中間だ」
 米大使館にも打診した。「米軍がほしいのは、給油と輸送ぐらいだろう」との返事だった。
 15日夕。土曜日にもかかわらず、古川と大森が向かった先は、福田康夫官房長官の私邸だった。「自衛隊派遣のために、特措法を作る必要があります」。こう報告すると、福田は即座に賛成した。
 外務省は6項目からなる対策案を作っていた。(1)特措法により、輸送、補給などの対米支援を行う(2)法成立まで時間がかかるので、その間に日本の存在を示すため「情報収集」目的で護衛艦を派遣する――という「二段構え」だった。同時に、特措法の原案もまとめ、官邸に提出した。
 
 同じ15日。ワシントンの国務省で、柳井俊二駐米大使がアーミテージ国務副長官と会っていた。
 この会談でアーミテージは「ショー・ザ・フラッグ(日本の存在を示せ)」と語った――。後にこう報道されたが、「実際はなかった。公電にも書いてない」(柳井)という。実際には国防総省のヒル日本部長らが使った言葉だった。その情報とどこかで交錯し、「アーミテージの『ショー・ザ・フラッグ』」が独り歩きしていく。
 19日、小泉首相は記者会見を開き、9・11テロに対する日本政府の対応をまとめた7項目措置を発表した。外務省案に1項目だけ足したものだった。
●「派遣は無理だ」。陸自は「火消し」に走った
 「あまりにも危険すぎる。派遣は無理だ。つぶしてしまおう」
 テロ特措法案が閣議決定される前の10月初め。政府や与党内で浮上していた「陸上自衛隊のパキスタン派遣」案をめぐり、陸幕の中枢で、こんな会話が交わされた。
 戦場となるアフガニスタンへの派遣は無理だが、国境を接するパキスタンに医療部隊を送り、避難民キャンプでの医療・防疫などを行えないか、というものだった。
 だが、避難民キャンプには、銃器を隠し持つ戦士が紛れこみ、テロが起きる危険性が高い。パキスタン軍による警護が必要だが、それが保証される見通しはなかった。
 「宿営地だけでなく、物資の陸揚げ港と宿営地を結ぶ数百キロの補給路のことを考えると、とても自前で安全確保できる任務ではない」。陸幕はそう判断した。
 中谷正寛陸幕長は、防衛庁内局幹部に説明し、与野党への説得を依頼した。内局も「そうだろうな」と理解を示した。陸幕長の懸念は間もなく解消された。パキスタン側が外国軍の派遣を望んでいない、という事情が分かったからだ。
 
 陸幕にとって、問題はもう一つあった。
 米軍がアフガニスタンの空爆を開始した直後の10月9日。山崎拓自民党幹事長が記者会見で、戦後復興の日本の対応策として「地雷除去がある」と発言したからだ。
 確かに復興支援策として地雷除去は必要性の高い業務と思われた。だが、陸幕は受けなかった。
 「自衛隊の地雷処理能力は、戦車などで地雷原を突破できるよう部分的に除去するためのもの。住民が安全に生活できるよう完全に取り除く能力はない」(陸幕幹部)との理由からだ。
 「火は早いうちに消せ」。陸幕首脳部はそう命じた。
 当時、陸幕防衛課で若手エリートたちを率いていたのは、後にイラクで陸自派遣部隊の指揮官を務めることになるやり手の防衛班長だった。
 親しい議員のつてで、衆院議員会館の一室を借り、そこを拠点に部下らと手分けして、背広姿で与野党議員の部屋を訪ね、「火消し」に回った。地雷処理案は12月になり消えていく。
 
 もっとも、陸幕は派遣回避だけに専念していたわけではない。
 小泉首相の7項目措置の発表直前のころ。陸幕幹部は内局の意表を突く提案をした。
 陸幕「我々は地球規模で考えて、東ティモールに部隊を出す」
 内局「アフガンでやっているときに、東ティモールどころじゃないでしょう」
 陸幕「米海兵隊も東ティモールに物資支援をしている。陸自がアフガンがらみで支援するとしても大部隊は考えにくい。東ティモールをちゃんとやったらどうか」
 これを聞いていた海幕、空幕の幹部も陸幕の提案に賛同した。
 東ティモールは02年5月に独立して、国連平和維持活動(PKO)の力を借りて、本格的な建国に向かう方針が固まっていた。
 11月6日。政府は東ティモールに自衛隊を派遣するための準備開始を閣議決定した。
 そして02年春、日本としてはそれまでで最大規模の約700人の陸自施設部隊が派遣された。
 ◇現代の戦争に「連合」必要 マイケル・P・デロング前米中央軍副司令官に聞く
 ――有志連合のための「村」を作ることは、いつどのように決まったのですか。
 「9・11テロの2、3日後に、中央軍司令部で、トミー・フランクス司令官と話して決めたのです。その時には、テロがアルカイダの仕業で、彼らと戦争をすることも、我々は知っていた。世界中の国が『連合』に加わり、多くの連絡官が来るだろう。だが、受け入れる部屋がない。それで駐車場にトレーラーハウスを大量に持ち込んだんだ」
 ――最初にやってきた国は。
 「英国。(01年の)9月15日ごろに、中将を筆頭とする大規模の代表団を送り込んできた。そしてフランス、カナダが18日ごろ」
 ――日本の連絡官派遣は約1年後でした。派遣によって、日本の存在は大きくなりましたか。
 「ええ。日本人連絡官は、インド洋で米国の艦船に大変な量の燃料を補給していることを強調した。他の連合国も『我々にも補給してほしい』と言い出した。これで日本は発言力を持つようになり、連合村で指導的存在のひとつとなった」
 ――連合村はうまく機能したんですか。
 「極めて良かった。重要なのは、各国の考えを外務省→大使→国務省といった公式ルートを使わずにすぐに聞けることだ。『こんなニーズがあるのだけど、あなたの国では受けてくれそうかな』といった非公式な相談が直ちにできる」
 ――03年のイラク戦争では別の有志連合を作りましたね。どうやったのですか。
 「実際に戦争になるかどうか分からない計画の段階で、すべての国に対して『我々は作戦計画を更新した。我々は連合から外されることを望まない国を除外したくない。各国とも政府に持ち帰って、この計画に入るリスクをとることを希望するかどうか聞いてほしい』と聞いたのだ」
 ――その有志連合に入る条件は。
 「『我々はこの計画を支持する』と、公式に明確にすることだった」
 ――日本はイラク支援で国論が分かれ苦悩しました。
 「国はすべて異なる。日本は対テロ支援でよくやった。出来ることをやってくれればいい。フランスやドイツも同じ。彼らは対テロで実によくやっているが、さまざまな理由からイラク戦争はしたくなかったのだ」
 ――現在、イラクで米軍は困難に直面している。何が原因ですか。
 「予想外の事態が起きたからだ。イラクの警察や軍隊が制服を脱いで消えてしまうとか、その武器が国中に拡散するとか。そして国境が穴だらけで周辺国からテロリストが入ってきた。テロリストを相手にする時は、守勢にまわっていると勝てない。それが今我々が直面している挑戦だ」
 ――今後、他の戦争でも有志連合が作られると考えますか。
 「現代の戦争で勝とうとしたら、連合を作らなければならない。メンバー国は計画の一部に入る。ただ、爆撃するかどうか、多数決で決めるようなことはしない。我々は各国に助けを求めるが、戦争について参加国が投票権を持つような北大西洋条約機構(NATO)モデルは望まない」
(聞き手 本田優編集委員)
■テロ攻撃及び米軍支援に関する海上自衛隊の対応案
 (1)実施項目
 (2)根拠
 (3)派遣部隊
 (4)行動範囲
 (1)基地警備
 (2)●防衛庁設置法5条18項(所管事務遂行に必要な調査研究)
    ●日米共同使用化により、同法5条12項(施設管理関連)
    ●治安出動
 (3)護衛艦、潜水艦、回転翼哨戒機、哨戒機
 (4)横須賀、佐世保、厚木、岩国、沖縄基地周辺
 (1)機動部隊進出時の護衛
 (2)●共同訓練
    ●治安出動
 (3)護衛艦、潜水艦、回転翼哨戒機、哨戒機、補給艦
 (4)日本周辺からインド洋に至る海域
 (1)情報収集及び提供
 (2)●防衛庁設置法5条18項
 (3)哨戒機(EP−3、OP−3を含む)
 (4)日本周辺海域(沖縄からのEP−3の行動範囲)
 (1)米軍派遣海上ルート上での支援、シージャック防止(洋上補給、後方地域捜索救助活動、船舶検査活動)
 (2)●周辺事態安全確保法
    ●船舶検査活動法
 (3)護衛艦、補給艦、輸送艦
 (4)インド洋
 (1)在外邦人等の輸送
 (2)自衛隊法100条の8
 (3)護衛艦、輸送艦
 (4)インド洋
【2001年】
 9・11 米国で同時多発テロ発生。ブッシュ大統領は翌日、「単なるテロを超えた戦争行為だ」と表明
   19 小泉首相が自衛隊派遣を含む7項目の対応策を発表。
 (1)米軍等に医療、輸送・補給等の支援をする目的で、自衛隊を派遣するため所要の措置を早急に講ずる
 (2)在日米軍施設と国内重要施設の警備を更に強化するため、所要の措置を早急に講ずる
 (3)情報収集のための自衛隊艦艇を速やかに派遣する
 (4)出入国管理等に関し情報交換等の国際的協力を更に強化する
 (5)周辺、関係諸国に人道的、経済的その他必要な支援を行う。その一環でパキスタンとインドに緊急の経済支援を行う
 (6)避難民支援を行う。自衛隊による人道支援の可能性を含む
 (7)経済システムに混乱が生じないよう各国と協調して対応する
 「テロ根絶に向け、米国はじめ関係諸国と協力しながら、主体的に取り組みたい」「武力行使と一体にならない、できる限りの支援とは何かを考えながら所要の措置を講じる」
   21 米空母キティホークが横須賀出港。自衛艦が護衛
 10・5 政府がテロ対策特別措置法案を閣議決定
    7 米英軍がアフガニスタン攻撃開始。小泉首相「テロリズムと戦う今回の行動を強く支持する」と表明
   29 テロ対策特別措置法が成立
 11・9 情報収集目的で自衛艦3隻がインド洋に向け出港
 12・2 海自補給艦がインド洋で米艦船への給油開始
【2002年】
 2・18 東京で日米首脳会談。小泉首相「テロとの戦いでは、日本は米国と常にともにある」
 9・12 ブッシュ大統領が国連演説。イラク問題で「必要な安保理決議に取り組む用意がある」と表明
 11・8 国連安保理がイラクに期限付きで大量破壊兵器の査察受け入れと廃棄を求める決議を全会一致で採択
【2003年】
 2・5 パウエル米国務長官が国連安保理でイラクによる大量破壊兵器査察妨害などの情報を示す
 3・17 米英スペインが、国連安保理での対イラク武力行使容認決議案を取り下げ。新決議なしでの武力行使へ
   20 イラク戦争開始
 4・9 米英軍、バグダッドを制圧
 5・1 ブッシュ大統領「イラクでの主な戦闘作戦は終結し、米国と連合軍は敵を圧倒した」と宣言
   23 米クロフォードで日米首脳会談。ブッシュ大統領「日本はイラクの長期的復興で主要な役割を果たすとの決意を示した。(新法による自衛隊派遣は)首相が決めた範囲で日本が参加してくれることを期待する」
 6・7 小泉首相、与党3党幹事長にイラク特措法案提出の考えを伝えるとともに法案作成を指示
   13 イラク特措法を閣議決定
 7・10 国連のイラク向け救援物資輸送のため、PKO協力法に基づき空自のC130輸送機2機がヨルダンへ出発
   26 イラク特措法が成立
 8・19 バグダッドの国連現地本部で爆弾テロ。デメロ国連事務総長特別代表を含む国連職員20人以上が死亡
 11・29 イラク北部で日本人外交官2人が殺害される
 12・9 イラク特措法に基づく自衛隊派遣の基本計画を閣議決定
   13 米軍が潜伏中のフセイン元大統領をイラク北部で拘束
   26 物資空輸にあたる空自の先遣隊が、活動拠点となるクウェート、米空軍司令部があるカタールに向け出発
【2004年】
 1・16 陸自先遣隊がイラク南部サマワへ向け出発。現憲法下では戦闘が続く他国への初めての地上部隊派遣
 3・21 陸自本隊第3波が出発。第1陣の550人態勢が整う
 
 
 
 
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