1997/09/24 朝日新聞朝刊
自前戦略なく対米依存 第三国有事に関与 日米ガイドライン合意
三年間の日米安保再定義の作業を締めくくる新たな「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)の本質的な狙いは、冷戦後の日本の安全保障政策について、(1)米国のアジア太平洋戦略に組み込む(2)「対米支援」という形で第三国の有事に関与する新たな役割を自衛隊に与える――との基本方向を事実上定めた点にある。四十項目の対米支援リストはそれを具体的に反映したものだ。だが、日米協議以前にあるべき日本政府としてのビジョン提示、方針決定という手順と、それに伴う責任はすっぽり抜け落ちた。日本の新たな針路選択は、その内容だけでなく過程も「対米依存」の色合いが濃く、新ガイドラインはそれを推し進める「外圧」に利用されている。
(政治部・本田優)
「新ガイドラインはひっくり返っている」。そんな批判が、一部の防衛庁幹部の間で交わされている。
一九七八年に作られた旧ガイドラインは、日米安保条約と当時の法律の枠内で、日本有事などの日米防衛協力の詳細を詰めた。
新ガイドラインの中核である日本周辺事態での輸送、補給、掃海、臨検などの対米支援のいくつかは、これまでの自衛隊の役割にはない分野であり、極東有事などにふれた安保条約六条の内容を超え、法改正を前提とするものも多い。
条約→法律→ガイドラインの順に定められるべきものが、逆転している。「これではガイドラインではなく、提言ではないか」というわけだ。
にもかかわらず、日米政府間でそれが国際公約のような形になってしまっている点が問題なのだ。
こうした結果は、安保再定義に臨んだ両国の戦略の有無に起因している。
米国は、冷戦後のアジア太平洋戦略の照準を中国にすえ、その有力なカードとして「日米安保強化」を選んだ。それは同時に、日本が米国から離れて「自立の道」を歩むことへのけん制にもなった。
対米支援のリストアップは、九一年の湾岸戦争で「少なすぎ、遅すぎる」と酷評された日本の貢献策をめぐる混乱が朝鮮半島危機などで再現されて日米関係が悪化し、安保条約=在日米軍基地の維持が難しくなるのを防ぐためであった。現在進行中の米国防計画見直しの一環として「自衛隊の支援」を組み込む狙いもあった。
これに対し、日本は冷戦後の自前の安全保障戦略を持たずに、安保再定議のテーブルに着いた。防衛庁は冷戦後の防衛戦略を書いたことも、書こうとしたことも「端的に言ってなかった」(同庁幹部)のだ。その結果、米国の書いた戦略の上に乗った。外務省も「自主防衛勢力が強くなるのをけん制する」との思惑から賛成した。
「いずれ超大国になる中国と裸で向き合うわけにはいかない。米国を引きつけておく必要がある」(外務省幹部)、「橋本龍太郎首相にとって、再び湾岸戦争のような事態が起きたときに、道具がなくておろおろするようなことだけは避けたかった」(首相周辺)という計算はあったが、それは米国の戦略に乗るための理由の域を出なかった。
自前の海図を持たずに、「対米支援」という新たな海に飛び込むという選択は、どれだけの代償を払うことになるのだろうか。
日本が今直面している真の問題は、冷戦後のアジア太平洋の平和維持にどう貢献すべきか、これまで持ち続けてきた武力不行使という規範との整合性をどうとるのかということだ。「対米支援」という条件は解答の幅をかなり限定してしまうことになるだろう。
常に米国の手のひらの中で動く日本というイメージが周辺諸国に強まれば、日本自身の信頼性は損なわれ、米国以外に友人のいない孤立した存在になってしまいかねない。
「対米支援のリストアップはリスクを伴う。もしも周辺事態が発生して、日本がリストを持たないまま支援に失敗すれば、日米関係は悪化する。だが、リストを持って実行できなければ、関係は最悪だ」。そう指摘する米国防総省関係者もいる。
新ガイドラインが対米支援の外圧として機能し、他の省庁や自治体、国民の心理的抵抗感は根強いだけに、「最悪」の予測は非現実的とは言い切れない。
もちろん否定的な材料ばかりではない。「日米安保強化とは、米国の対中外交に日本が影響力を及ぼすことを、米国も受け入れるということだ」(ブラウン元米国防長官)という声は、米国に少なくない。だが、それが本当に可能になるのは、日本が説得力のある独自の安保外交構想を持てたときだろう。
「日本は最も平和主義の国なのに、欧州諸国に比べて米軍の行動に制約を加えてこなかったというパラドックス」(モチズキ・米ブルッキングス研究所主任研究員)は、まだ当分解消されそうにない。
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