1995/09/02 朝日新聞朝刊
これは軍拡予算ではないか(社説)
日本の安全保障政策の歴史にとって、重要な節目となるはずの出来事が、今年の残り少ない数カ月に相次ぐ。
冷戦時代を通じてほぼ二十年もの間、防衛力整備の指針だった防衛計画の大綱が改定される。十一月の首脳会談に向け、日米安保体制の今後をにらんだ日米両政府の協議も、活発化するだろう。
そうしたなかで、来年度防衛費の概算要求が提出された。来年度の予算は新しい大綱に基づく最初のものとなる。防衛庁が、大綱見直しの方向を考慮して要求を作成した、と説明しているのはこのためだ。
しかし、冷戦後の新たな自衛隊像の輪郭や平和の配当を期待してきた多くの人々は、この内容に失望したにちがいない。
災害救援機能の充実、周辺諸国との信頼醸成のための活動強化など、評価されるべき新機軸はある。だが、兵器や組織にかかわる防衛政策の根幹部分を支配するのは、依然、出来る限り従来の方向を変えたくないというかたくなな発想だ。
次期支援戦闘機(FSX)の量産開始方針は、その最たるものだろう。
FSXは、もともと現有のF1の後継機として、ソ連の北海道侵攻への対処を想定し、冷戦末期に研究が始められた。重装備でも宮城県内の基地から稚内まで届くことを前提に行動半径は八百キロメートル以上、あわせて航空自衛隊の主力戦闘機F15に迫る防空能力をもめざした先端兵器だ。
ところが、その軌跡は、目算狂いの連続だった。当初の国産方針が米政府、議会の反対で日米共同開発に変わり、開発段階で五十四億円と見積もられた単価は、今回要求された十二機の場合、百二十三億円にはねあがった。量産されるものとしては、世界一高価な戦闘機になるだろう。
十二年間に百四十一機を調達するというのが防衛庁の構想だ。そうすれば、量産効果によって平均単価は八十億円に下がるというが、それでも過去の兵器代金の支払いで硬直化した防衛費をいかに押し上げ続けることになるか、いうまでもない。
では、どうするか。防衛費は、納税者にとって一種の保険である、という原点に立ち返ることではないだろうか。
東アジアの政治環境には不透明さが付きまとうとはいえ、ロシアの脅威が劇的に低下し、日本への直接侵攻がきわめて考えにくいとき、従来の計画に固執し、これほどの負担を求める理由は乏しい。
投下された三千億円余りの開発費が無駄になる、日米両国の関連産業に深刻な影響を与える、といった反論はあろう。事後処理は日米間の懸案にもなるだろう。だが、防衛政策は本来、産業政策ではない。
支援戦闘機の配備計画を再検討しつつ、費用対効果の判断に立って、はるかに安い米国機の導入、現有機種の転用など、さまざまな選択肢を考えるべきだ。
もうひとつ、将来の防衛体系と国民の支出にかかわる戦域ミサイル防衛(TMD)の研究も大詰めを迎える。日米共同開発へ進むか否かには、やはり費用対効果の厳密な判断が最優先されねばならない。
いま最も重要なことは、新しい大綱がどうなるかだ。年末の政府予算案の姿や、中長期的に日本が軍縮へと向かうかどうかを決めるのは、結局新しい大綱である。
それにしては、国会をはじめ政治の場で、大綱見直しの論議が余りに軽視されてはいないか。一変した国際環境のなかで、専守防衛の原則を貫く自衛隊像を描き出す課題は、官僚や軍事専門家だけにまかせていいものではない。
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