1992/12/26 朝日新聞朝刊
防衛軸ゆがめる管制機の導入(社説)
来年度の防衛予算案が固まった。前年度比ではめずらしく低い伸び率である。中期防衛力整備計画(91―95年度)の総額圧縮も決まっている。
いずれも冷戦後の世界情勢や財政事情を考えると、当然のことである。むしろ双方とも、もう少し切り込むべきではなかったか、残念に思う。
気になるのは金額の面だけではない。
今回は、中期的な防衛支出総額をどう修正し、単年度予算案になにを盛るか、を決める大事な節目のときだった。だから、防衛費を減らすにせよ増やすにせよ、まず、冷戦後にどう対応するかという防衛理念があり、それが論議の出発点になるべきだと私たちは主張してきた。
しかし、中期防修正にも予算案にも、そうした根本のところでの苦悩のあとは見られない。減額した、伸びを抑えた、といったことだけが強調され、新時代の日本防衛に必要な視角、装備、配備については、ほとんど語られないままである。
自衛隊が存在する以上、一定の装備は避けられない。ただ、その内容は憲法や自衛隊法などで規制されるほか、ときの国際情勢によっても規定される。従って、ソ連脅威論からの脱却を政府みずから鮮明にした今日、自衛隊の装備や配備がそれに応じた発想で進められて当然だろう。
それが欠けている。いい例が空中警戒管制機(AWACS)の導入だ。
専守防衛の日本に、空からの奇襲に備える早期警戒機が無用だという気はない。問題は性能であり目的である。
早期警戒機の配備を図る政府は79年、E2CかAWACSか比較検討のすえ、E2C取得を決めた。
主な理由は「(AWACSは)本来、戦術統合作戦の指揮統制用のものであり、作戦司令部、戦闘指揮所等の代替機能を含むものであるため、低空侵入への対処という限定された運用要求をはるかに上回る」というものだった。
ところが、E2Cを十余機持つ段階になって、新たに米国からAWACSを取得するという。これはどういうことか。考えられるのは次のような事態であろう。
日本への脅威が高まり、E2Cでは対応が十分でなくなった。どうしてもAWACSの特性である「空中からの指揮統制」が要る、という場合である。
今がそんなときかどうか、問うまでもない。領空侵犯機が大幅に減り、低空侵入の危険すら疑問視されているのだ。1機570億円の指揮管制機を買う必要があるとは、とても思えない。
一方、中期防の修正によって、要撃戦闘機F15など作戦用航空機15機が削減された。これは、冷戦後のいま、それでも国防に不安はないということであろう。それなら、なおのこと「空中からの指揮統制」といった事態にはなるまい、と思うのが常識ではないのか。
中期防の修正を見るかぎり、冷戦後の日本にはどういう装備が必要で、どういう装備が不要か明確でない。だれが考えても、AWACSの導入順位は低いはずだが、実際は逆の決着になった。
これは、装備の取得についての物差しに狂いがあるからだろう。日本の防衛になにが必要かではなく、米国の政府・軍需産業にどう配慮するか、という尺度が優先した結果ではあるまいか。
対米配慮はもちろん大事である。だが、それが行き過ぎて、日本の防衛軸がゆがめられるようなことがあってはならない。
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