1990/09/19 朝日新聞朝刊
湾岸危機対応と自衛隊(経済地球儀)
「ヨルダンに流れ込んだ難民を救助するための飛行機を提供するよう頼んでも、運輸省は『旅行シーズンがピークでとても、そんなには回せない』というだけ」
「大蔵省の役人が、米国の本当の狙いはサウジアラビアの石油利権の確保だといったことが、ここでは問題となっている。また『日本はクウェートが併合されても、どこからでも石油は買える』と豪語した大蔵官僚もいる。あきれるより、もう情けなくなる」
国務省幹部が17日、記者に語った言葉だ。
米国は日本に怒っている。それも心底から怒っている。さまざまな理由が挙げられる。
(1)いざという時に、一緒に行動してくれない。こういう時に「一緒に居ること」(フィジカル・プレゼンス)が親友というものではないか。日本はただの「観客」なのか。
(2)日本は、米国の何倍も湾岸地域の石油に依存しているというのに、平和主義の念仏だけ唱え、汚れ役は米国にやらせ、それで済むと思っているのか。
(3)日本という国はカネもうけ以外は何もしないのか。石油を持ち運ぶタンカーは湾岸に送れても、平和維持活動のための運搬船は出せないというのか。
(4)何事もカネさえ出せばコトは済むと思っているのか。「お見舞金」と「示談金」しか日本は知らないのか。
(5)なぜ決定がこうも遅いのか。物事にはタイミングというものがある。40億ドル出すのなら、なぜ最初からそうしないのか。米議会の対日報復法案(日本が十分な貢献策を出さなければ、在日米軍を引き揚げる)が出て初めて、40億ドルへの増額が発表されるという風に、外圧をかけなければ動かないと、改めて印象づけることになった。
知日派の中からは「直ちに何か目に見える、シンボリックな行動を取れ」との声が強い。
ヒュー・パトリック・コロンビア大教授は「ヨルダンに流れ込んでいるアジア系難民の輸送に、ジャンボ機20機を差し向けるべきだ」と言った。
もっとも、米国は日本と西独に怒りを向ける形で、実は自らに対するいらだちを発散させているという面もある。
米議会の対日、西独批判は、ブッシュ大統領に対し軍事行動の「エスカレーション」に向かわないようクギを刺す行為でもある。「同盟国の貢献不十分」を声高に叫ぶことによって国民に「米国の孤立」を印象づけることもできるからである。
「米国は要するにカネが欲しいのだ。警察官の役はしたい、しかしカネがない。だからイライラしているのだ」と言ったのは米外交評議会研究員のシャフィクル・イズラム氏である。
しかし、ニューヨークの米外交評議会での内輪の討議では、次のような覚めた見方もあった。
「米国はいま、貢献策が不十分、とみんなで日本をたたいているが、これは近視眼的な対応だ」。圧力をかけ過ぎて自衛隊の海外派兵、さらには軍事大国に向かわせることのないよう注意する必要がある、との警告だ。「パンドラの箱を開けないようにしないといけない」とダメを押した。
ただ、この席では、日本のことを知り尽くした元外交官が「自衛隊が危険だからといって、押し入れに閉じ込めておくのは、かえって危険ではないか。将来、こうしたことの反動で、自衛隊が暴発する危険はないのか」と自問するように、問題提起した。
恐らくは、この最後の点が今回の「貢献」論議の核心のような気がする。つまり、「文民統制とは何か」ということである。
自ら自衛隊を持ちながら、それが危険だからといってハレモノに触るような対応しかしない日本の指導層は、その「非介入主義」によって「文民統制」を発揮しているのだろうか。むしろ逆ではないのか。使いつつ、点検、管理する「介入主義」によってつねに「文民統制」していることを内外に示していくことこそ重要ではないのか。
自らを信ずることのできない国を、他国はどうやって信ずることができるのだろうか。
(船橋洋一編集委員=ワシントン)
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