1990/09/18 朝日新聞夕刊
90年版防衛白書<解説>
90年版防衛白書は、昨年12月の米ソ両首脳によって冷戦終結が確認された後、緊張緩和の流れと日本の防衛政策との関連について、政府の認識と基本的な考え方が初めて示されたものだ。91年度からの次期防衛力整備計画(次期防)の検討が本格化する中で、その考え方は今後の政府の防衛政策の下敷きとなって行くといえる。
今回の白書で際だった点は3つある。第1は、国際情勢全般の分析について、第2次世界大戦後の軍事情勢の支配的な構造となってきた「東西対立」の視点から、その「変化」に置き換えたこと。第2は、極東ソ連軍について、80年版からずっと使ってきた「潜在的脅威である」との表現を削除したこと。第3は、防衛政策について、近年あまり記述していなかった「防衛計画の大綱」を大きく取り上げ、その本来の防衛構想を改めて強調していることだ。
その3つの特徴点から言えることは、防衛庁の基本的な考えは(1)これまで防衛力整備の事実上のよりどころとしてきた「ソ連の脅威」という追い風を結果として弱めている「国際情勢の変化」は認める(2)しかし、極東ソ連軍の軍事力自体に大きな変化がないことや、もともと防衛力整備の目標水準は脅威の変動に直接結びつくように設定していない、として当面の防衛力整備への影響を食い止めようというものだ。そこには、防衛力整備の「加速剤」としての役割を果たしてきた「ソ連の脅威」が薄れていく状況の中で、「防衛力整備のペースはともかく、水準だけは落としたくない」という防衛庁の苦しい姿が浮かび上がってくる。
第1の国際情勢については、欧州を中心に緊張緩和が進んでいることを指摘し、東西対立の変化を積極的に認めている。これには7月の主要先進国首脳会議(ヒューストン・サミット)での論議などを踏まえて、欧米の認識に歩調を合わせるという意味合いもある。
ただその一方で、日本周辺の地域に関しては、欧州との安全保障環境の違いやカンボジア問題などの問題が残っていることを理由にあげ、緊張緩和の進展にはこうした政治問題の解決が先決と強調している。ソ連が求めている日ソ間の信頼醸成措置(CBM)づくりやアジア・太平洋地域での安全保障協議機関の設置構想を念頭に置き、日本としての立場を改めて明確にしたものだ。
第2の極東ソ連軍の「潜在的脅威」の表現削除は、今回の白書作成の過程で、最後まで問題となった点だ。
防衛庁としては、対ソ脅威が薄れる中で、「防衛力整備は脅威に対抗するものではない、と言う一方で、潜在的脅威という言葉を使うのは国民には分かりにくい」(幹部)との意見も少なからずあって、表現の削除を検討してきた。しかし、表現を変えたことで、極東ソ連軍の軍事力に対する評価が変わったとみられることへの懸念も強かった。結局、防衛庁の原案段階では、ソ連が極東地域で侵略的行動をとる可能性が低くなったことを指摘したうえで、あえて「潜在的脅威」を残した。
これに対し、海部首相はヒューストン・サミットで、ソ連の脅威論が各国首脳から出なかったことを踏まえ、帰国後、防衛庁に対し、「潜在的脅威」の見直しを何度か求めた。最終的には、首相の意向が反映された。
来年4月のゴルバチョフ・ソ連大統領来日に向けて、日ソ間で友好ムードを盛り上げていこうという政府全体の方針も勘案され、政治的な判断が優先されたわけだ。
そうした政治的配慮を踏まえつつ、白書は一方で極東ソ連軍の質的近代化について、これまでになく具体的に説明している。また、防衛庁も「聞かれれば、極東ソ連軍は潜在的脅威と答える」との立場で、表現の削除によって緊張緩和ムードが高まり、防衛力整備にマイナスに影響しないようにという「現場」の判断を対置させている。
「防衛計画の大綱」にスポットをあてているのも、その表れともいえる。同時に、国会で野党側から強く出された防衛力整備水準の引き下げ要求に反論するための理論武装でもあろう。
これは大綱が示す防衛力整備構想は本来、脅威に直接対抗するものでないことから、その点に着目して緊張緩和が直ちに水準の引き下げに結びつかないことを強調するのに狙いがある。
さらに大綱に書かれた国際情勢認識では、「東西関係では各種の対立要因が根強くある」とあるために野党側から記述の変更を迫られていたことについても、今回の情勢変化は大綱が示す認識の延長線にあるものだとして、変える必要がないことを強調している。
これらは、防衛庁が次期防の策定にあたって、大綱水準の維持を目標にしていることに加え、大綱を部分的でも修正すれば防衛力水準の引き下げ論議に弾みがつくとみて、「とりあえず大綱には手をつけず乗り切ろう」との判断があるからだ。
とはいっても、自衛隊の「生みの親」ともいえる東西対立・冷戦構造の影が薄れていく中で、新たな防衛構想が求められていることは、防衛庁自身も自覚している。その意味では大綱の再評価は、過渡期にあって、どのような防衛政策を模索すべきか、手探りを強いられている防衛庁の現状を示したものといえそうだ。
(佐藤和雄記者)
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