1989/06/21 朝日新聞朝刊
自衛隊と憲法判断(社説)
魚たちが、食い合いをやめて平和に暮らそう、というおきてを作った川のふちに、小さな雷魚がすみついた。「おきて破りだ」「いや、実力を備えた魚がいなくては、敵が攻めてきた時に戦えない」と、コイやフナたちが議論を繰り返しているうちに、雷魚は、どんどん大きくなり、遠くからでもたけだけしさが目立つようになってきた・・・。
憲法9条と自衛隊の問題は、こんなふちのおきてと雷魚の関係にたとえられるだろう。
“おきて破り”と見えるこの関係をどう考えるのか、が31年間にわたって争われた「百里基地訴訟」の上告審で、最高裁は、「憲法9条は私法上の行為に直接適用されない」などとして、憲法判断をしないまま基地反対派住民の上告を棄却した。
自衛隊の合、違憲性は、これまでにも長沼ナイキ基地訴訟や恵庭事件、反戦自衛官事件などの裁判で争われてきた。「百里」をふくめ、下級審では「違憲」判決や「自衛力の保持は合憲」とする判断が示されたことがあるものの、最終的には、いずれも憲法判断を回避した形で決着がつけられている。
自衛隊の基地建設を目的とした用地買収の効力が問題となった「百里」は、これらの中で最も憲法判断が欠かせないケースともみられていたが、今回の結末をみる限り、最高裁は自衛隊の憲法判断は当分タナあげにする、との立場を強めていることは明らかだ。
徹底的な平和主義の立場から「陸海空軍その他の戦力は保持しない」と明記した憲法9条の「理念」と、「自衛のための必要最小限度の実力」という政府の「合憲解釈」のもとで世界有数の実力を備えるに至った自衛隊の「現実」との断層をどうするか、は確かに困難な問題をはらんでいる。
朝日新聞が行った世論調査の結果をみると、「正式な軍隊を持てるように憲法を改正する」について反対する意見は年々強まり、78%(83年12月調査)にも達している。半面、自衛隊については「現状維持にとどめる」を中心としながら7割の国民がその存在を認めるようになっている。
こうした現状の中で、最高裁が合、違憲の判断をためらう気持ちもわからないではない。何らかの形で合憲判断をすれば、ただでさえ強まっている防衛力増強の動きに拍車がかかるだろうし、「認知」をたてにした徴兵制、非常事態下の措置など軍事規定の整備の要求が強まることも考えられる。
また、違憲判断を下せば、自衛隊の解散・縮小が政治的に可能かという問題が出てくるし、改憲して自衛隊を維持・増強させようという動きも強まるだろう。
憲法学者の間では依然として違憲論が根強い一方で、(1)9条は政治に対する規範で、違反かどうかは、国会や選挙など政治の場で決定すべきだ(2)自衛隊が長期にわたって存在したため9条の意味内容は変わったなど、現実の方へ理念を引き寄せる考え方も少しずつ強まっている。
自衛隊をどうするかといった大きな政治問題に最終的な答えを見いだすのは、政治の場であり、その決め手となるのは、国民の意志だろう。
しかし、そうした合意を作りだす前提としても9条の意味や、憲法との関係に対する法的判断は不可欠だ。憲法の番人としての最高裁が、いつまでもこの問題への発言を避けているのでは、国民はとまどうばかりだし、憲法の「重み」にも傷がつく。
雷魚は、ほっておけばますます大きくなるだろう。ふちのおきての番人は、いつどんな「待った」をかけるのだろうか。
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