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1986/08/09 朝日新聞朝刊
不安に答えぬ防衛白書(社説)
ことしの防衛白書が発表された。写真やグラフのカラー化が進んで、とっつきやすくはなったものの、本当に知りたいことが書いてないとか、あいまいにぼかされているという不満は、今回も解消されていない。
「国防の基本方針」は、国際協調と民生安定を強調したあと、国力国情に応じた自衛力と日米安全保障体制を国防の基調に据えている。自衛隊と安保体制を車の両輪にする、との認識である。
憲法9条の精神からいって、自衛隊の活動にはおのずから制約がある。その任務には日本の防衛に限るという枠があり、どんなに経済大国になろうとも、せいぜい日本列島守備隊程度にとどめるのが、憲法の趣旨に沿った選択のはずである。
安保体制もまた一定の枠の中にある。集団的自衛権は憲法上許されておらず、「わが国の施政の下にある領域以外の場所で米国が攻撃されても、わが国はこれを防衛する義務を負わない」ことは、今回の白書がわざわざ強調しているところである。
こういう抑制が大事なのだが、最近それがおかしくなったように思う。自衛隊の活動範囲が広がりつつあるのではないか、個別的自衛権を逸脱する活動が目立つのではないか、日本の領域外で日米共同作戦がおこなわれるようになるのではないか。こういう不安が国民の中にはある。
これは理由のないことではない。第1に、防衛政策について従来より踏みこんだ政府答弁が国会でしばしば登場した。シーレーン有事なら、米艦船が日本防衛のため行動している場合、日本の領域外でも自衛隊は米艦を護衛できる、との答弁も、その1つである。
第2に、日本政府がいくら「自衛隊の任務は日本の防衛に限定」といっても、安保条約の相手国たる米国は、自衛隊を「米国戦略のきわめて重要な要素」とみなし、「全世界的な抑止に役立つ」と位置づけている。
防衛白書は、こういう問題について、もっと国民に語りかけるべきなのに、それが見られない。世界的軍事戦略を持つ米国と憲法9条下の日本には、当然、平和戦略に違いがあるはずなのに、それを語らない。
それでいて白書はことし、これまでにない高い調子で、日米共同の防衛作戦問題を正面に押しだしてきた。日米安保条約があり「日米防衛協力のための指針」があり、それらを受けての日米共同作戦計画案があるのだから、共同作戦は当然という姿勢である。
しかし、これだけでは急増する日米共同訓練に納得できない国民も少なくないのではないか。共同作戦は日本の安全のためというなら、米国の戦略下での自衛隊の任務と役割を、わかりやすく語ってほしかった。
ことしの白書も、自衛隊と安保体制への理解と協力を国民に訴えた。このことは、政府がどこまで率直に真実を語るかによって違ってこよう。いま白書に求められるのは、現憲法のもとでの自衛隊にできること、できないことを示す勇気ではないだろうか。
防衛白書もすでに12回を数える。政府の白書は、どんなに工夫しても国定教科書的なものになってしまう。秘密の情報が漏れないよう、国会で問題にされないよう、という配慮が強すぎるせいもある。
このお役所の白書の限界を打破するため、さまざまな形の民間版防衛白書の出版が考えられよう。防衛庁が国の内外に遠慮して出せないデータを盛りこんだ白書とか、国際情勢について違った見方の白書など、いろいろあっていい。政府の白書もこれに刺激されて、改善されるかもしれない。
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