2001/01/04 朝日新聞朝刊
人類の危機に挑む教育 苅谷剛彦 21世紀の入り口で:3(論壇)
二十一世紀を迎えた日本では、教育をめぐる議論が行き詰まりを見せている。急速に進む学習離れや学習意欲の低下と格差の拡大、高校の中退者や「社会」に出ていけない若者の増加、大人の理解を超えると思わせてしまう少年の事件など。こうした社会や教育の実態の変化に対し、有効な手が打てないまま、理想に走る教育改革の論議が展開している。重要な論点の一つは、教育や学習の意味をいかに回復するかなのだが、その展望はなかなか開けない。
なぜ学ぶのか。なぜ学校に行くのか。教育を受け、与える意味はどこにあるのか、と子どもも大人も問いかける。だが、これらの問いは、それぞれの子どもの興味・関心、個性に見合った教育探しに終始しやすい。それが簡単に見つからないために、個人にとって意味ある教育を性急に求めることが、かえって、教育の基盤を突き崩しかねないようにも見える。
私たちは目に見えない「危険」の網の目の中で二十一世紀を生きなければならない。地球規模での環境汚染、遺伝子組み換え技術、事故が起きれば甚大な被害をもたらす原子力、グローバル化経済のもとでの雇用不安など。いつ自分を襲うかもしれない危険の網の目の中で、しかも、その危険の存在を知るには専門家の判断に頼るしかない。
食品一つ買うのでさえ、どの専門家の意見が正しいか。それを読み解く知識の基盤がなければ、判断の難しい選択が日常にあふれる。無視しようと思えば無視できるが、それで危険を回避できるわけではない。自分の興味や関心といった、個人にとっての意味を超えたところにある危険との共存。私たちはドイツの社会学者U・ベックのいう「危険社会」を生き続ける。
急がされるように教育の意味を問う日本人は、危険の消費者であるばかりか、その生産者でも、他国への輸出者でもある。そこから翻って、教育の可能性を考えてみよう。
教育の成果は、時間的にも空間的にも、広がりと他者とのつながりをもつ。その可能性を見失っていないか。目に見えない他国の人びとにとって、まだ生まれてこない未来の人類の一員にとって、自分が学ぶことはどのように関係しているのか。教師の使命は、そこにどのように結びついているのか。人類のつくり出した危険を人間自身が制御するためには、学ぶこと、教えることが、こうした広がりのある他者とつながる可能性を知っておく必要がある。
そこを出発点に、せっかちに教育の意味探しを続ける頭を冷やす知恵を働かせ、危険社会を乗りきる知識の基盤と判断力をつくり出す教育を構想できないだろうか。
その第一歩として、教育を変えるしくみ自体を変える試みを提案したい。
従来の教育改革は、国家レベルでの議論を通じ、日本の教育全体を良いものにしようと「唯一の正解」を求めてきた。地方や学校に見合った多様な教育が提唱されても、枠組みは中央で作り、それを受ける側は小さな違いしか生み出せない。しかも、一つの方向に向かった教育が失敗すれば、影響は全体に及ぶ。
そこで、中央の審議会や国民会議のように、日本に一つの教育改革をめざすのではなく、地域社会であれ、NPOであれ、企画立案と実行力を備えた教育改革の多様なエージェントと、それらがつながるネットワークをつくり出すのである。多様性の創出が危機への多様な対応を可能にし、生存の可能性を高める。国が最低基準を保障したうえで、多元的な教育改革の場を設定することで、上からの指導ではない多様な教育を可能にし、それにより、危険社会を生き抜く様々な知の創造の機会を広げるのである。
日本では、毎年子どもや若者一人当たりに百万円を超す額を教育に支出している。国民一人当たりの富でみても、この額に見合う豊かさを享受できる国は、世界中に四十前後しかない。地球規模での富の偏りの中で、日本はこれだけの資源を教育に使う。
個性に見合う教育を見つけるのも重要だが、教育の意味を性急に求める間にも、危険社会がもたらす危機は、より複雑に、深刻に広がる。
日本の教育の成果を人類の危機の回避に向けること。豊かさの国際的責務として、それを教育の使命の一つにすえることが、教育と学習の復権の基盤となるのではないか。
◇苅谷 剛彦(かりや たけひこ)
1955年生まれ。
東京大学教育学部卒業。米ノースウェスタン大学大学院修了。
東京大学教育学部助教授を経て現在、東京大学大学院教育学研究科教授。
※ この記事は、著者と発行元の許諾を得て転載したものです。著者と発行元に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど、著者と発行元の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。
|