2003/10/09 朝日新聞朝刊
学校の力の見せどころだ 中教審答申(社説)
昨年4月から実施している学習指導要領が、文部科学相の諮問機関「中央教育審議会」の答申を受けて、1年余りで改められることになった。
「食物連鎖などは取り扱わないものとする」(小6理科)。指導要領には教える内容の上限を定めたこんな記述(歯止め規定)がたくさんある。これでは進んだ学習がしにくいから、改めるというのだ。
不必要な歯止め規定をなくすのは当然のことだろう。だが批判にふらつき、あわてて対応したそのやり方は、はなはだみっともない。
学校の完全週5日制の実施に伴って教育内容を大幅に削減し、「ゆとり教育」を打ち出したのがいまの指導要領だ。
しかし、それが学力低下を招くとの批判が相次ぐと、文部科学省は学力重視の方針に転換した。指導要領も「最低基準」とその位置づけを変えた。現場が「学力重視」に傾くのは当然の成り行きだった。
そうなると、指導要領が「ゆとり教育」のままでは整合性がとれなくなる。そこで歯止め規定を外して、取りつくろうというわけだ。
中教審を使えばもっともらしくなるとでも思ったのだろうか。あやつり人形を演じた審議会も審議会だ。
答申はほかに、学校行事を十分に確保することを求めている。体験活動を重視する「総合学習」も、効果が十分に上がっていないケースがあるとして、目標を定めた全体計画をつくるよう各学校に求めた。
これらは、学校や教員の創意工夫で決めていくはずではなかったのか。自由にやっていいと言っておきながら、手のひらを返すように細かく口を出すのはおかしい。
文科省の方針がぐらぐらすれば、教育現場は当惑する。しかし、歯止め規定の見直しは、現場からすれば学校や教師の裁量が増えるということだ。
国の方針に振り回される受け身の対応ではなく、主体的に打って出てはどうか。学校自身が責任をもち、自分たちの教育課程を組み立てていくのである。
全国の自治体のなかには、学習指導要領を柔軟にとらえて独自の教育課程をつくったり、土曜日の補習授業を開いたりしているところが出てきた。
保護者の意見などを十分に取り入れれば、「ゆとり教育」とか「学力重視」といったスローガンに左右されず、しっかりした教育ができるはずである。
文科省の指示待ちや、顔色うかがいではなさけない。自分たちで目いっぱいの教育をつくりあげる、という意気込みで臨んでほしい。学習指導要領の最低基準から先は、それぞれの地域と学校の腕のみせどころである。
いきさつはともかく、歯止め規定を外すのだから、文科省は現場の力をもっと信頼して、見守るべきだ。
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