2002/10/14 朝日新聞朝刊
学校選択制 「入学は9人」改革迫る(競争加速 転機の教育:7)
東京都品川区、その区立中学校の校長室には、壁に1枚の大きな白地図がはってある。学区域の略図だ。マンション群を示す長方形が数十個も描かれ、その上には3色の待ち針が計113本、刺さっている。
針の刺さっている場所は生徒の住まいだ。色は学年を、本数は生徒の数をそれぞれ示す。黄色が3年生で53本、ピンクは2年生で51本、1年生は水色。9本しかない。
校長(53)はこの地図を見ながら、生徒集めの「作戦」を練ってきた。
品川区の区立中学校では01年度から、希望校を選べる「学校選択制」を導入、18の区立中のどこへでも通えるようになった。私立中も多い。全国的にみて学校間の競争がもっとも激しい地域だ。
その結果、この中学校には今春、9人しか入学しなかった。
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学区内には対象者が約50人いた。学校を選ぶ時期の昨秋、「荒れている」といううわさが飛び交った。多くは近隣の区立中や私立中に流れてしまった。「このまま廃校にするんじゃないのか」。昨年11月の区議会では、こんな質問も出た。
校長は今春、赴任した。生活指導畑が長く、前任校ではクラブ活動を盛り上げて多くの部を都大会に進出させた。区教育委員会は「『荒れ』は前任校長に指導力がなかったことの表れ」(若月秀夫教育長)とみて、立て直しを託した。
1学期のある夜、地元の自治会長ら40人を学校へ招き、地域の問題を話し合った。
夏休みは苦手科目の克服期間とし、計10日間、補習をした。1年生の参加率は98%。新学期に入ってすぐの学校便りで、保護者に伝えた。
9月上旬、隣接する小学校の6年生の保護者会に顔を出した。
「習熟度別学習で一番力を入れているのは数学。今度の区の一斉テストで悪い成績なら、休み返上で巻き返します」
約20分間、約40人の母親に説明した。
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1年生の教室には、机が真ん中に3組ずつ3列に並ぶ。
「家にいちばん近かったから選んだ。うちの中学って超平和」「親友が、この学校を選んだから来た。この学校が大好き。休みの日は生きてる気がしない」「係とか、すぐ決まる。楽だよ」
入学して半年たった子どもたちの感想だ。
「授業は難しいけど、なぜか楽しい」という男子生徒に女子生徒が付け加えた。「質問しやすい雰囲気なんだよ」
地域では「不人気校は淘汰(とうた)されるのではないか」との心配がなお根強いが、母親たちの評判も悪くない。「全員に目が行き届き、大人数では下を向いて黙り込んでしまう子も、元気に伸び伸び学んでいる」と担任の先生(39)は話す。
若月教育長は「廃校」は否定し、断言する。
「競争なんだから、9人は、あり得ることだ。今こそ、当たり前のことができない公立学校を改革しなければならない。だれが何と言おうとやり通す」
最近、この中学校には区内の制服業者が立ち寄り「来春の入学者の分は、少なくとも今年の3倍を見込んで布を発注した」と伝えた。「こちらに戻ってきたい」。校長の耳には、別の中学校へ行った学区内の生徒の保護者から、こんな声も聞こえてくるという。
区教委は、来春の入学希望申請を今月末まで受け付けている。集計はホームページで公表される。現在、この中学校への学区対象者50人のうち他学区を希望するのは2人にとどまっている。
この半年を振り返り、校長は言った。「教育者として、自分自身との闘いです」=おわり
(池田孝昭、稲垣えみ子、小室浩幸、杉山麻里子、高橋美佐子、友野賀世、森北喜久馬が担当しました)
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「転機の教育」の次のシリーズは、子どもや若者の学ぶ意欲について取り上げます。
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