2002/04/09 朝日新聞朝刊
ゆとり路線 揺らぐ国に募る不信(転機の教育:4)
「甘やかしや基礎学力の低下を、個性とか創造性といった美名の下で履き違えてはいけない」
「指導要領が変わるから塾通いが必要だと、すごい状況になっている」
小学校、中学校での「ゆとり教育」導入直前、3月19、20日の参院文教科学委員会。質問は新学習指導要領に集まった。厳しい質問は与野党を問わない。「国民が不安に思わぬよう、新指導要領は抜本的な見直しをする必要がある」。共産党議員はここまで指摘した。
「学力低下」論とともに激しくなる批判に、文部科学省のベテラン官僚は言った。「教育問題といえば、何かにつけてイデオロギーで対立していたころがうそのようだ」
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00年秋、旧文部省の広報紙で、当時の大島理森文相が「指導要領は教える最低ライン」と触れた。指導要領以上に教えてもいいという意味を言外に含んでいた。
教える内容を減らし、ゆとりの中で創造力をはぐくむという新指導要領の金看板に反するような文科省の初めての動きだったとされる。
その方向は小野元之事務次官が就任した00年6月まで、さかのぼることができる。文部官僚が自民党議員から叱責(しっせき)される場面が増えていた。
「必要な知識を教えずに何がゆとりか」「これでは理数系の人間は育たなくなる」
旧文部省・文部科学省は省庁のなかでも、特に「政治」に弱いとされる。日教組などとのイデオロギー対立を、自民党の力を頼りに乗り切った経緯があるからだ。
官僚の一人は、自民党文教族とのつながりが深い小野氏が次官になって間もないころ、語気を強める姿を覚えている。
「我々は切腹しても国民に申し開きができない。後々、この指導要領が契機で日本がだめになったなどと言われたら……。ゆとり導入時の文部省幹部は国賊扱いされる」
流れは加速し続け、今年1月17日、遠山敦子・文部科学相が、宿題や補習を推奨する「学びのすすめ」と題するアピールを発表した。
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文科省内では、指導要領を作った直接の責任部署である初等中等教育局を中心に、最近の省のかじ取りへの批判がある。
「大臣のアピールはあくまで国民の不安を取り除くためだ。ゆとり路線は間違っていない」。初中局の一人は怒りを込めて言う。「理数離れや学校嫌いを止めたくて、詰め込み教育を見直したのではなかったか。週6日制にして、昔に戻せというのか」
元文部省教科調査官の中野重人さんは、自分自身が進めた「ゆとり」路線に確信を持つ。ただ、「確かに伸びる子、出来る子への配慮に薄かった」と近著に記す。
一方で、「分数ができない大学生」の著作などで「学力低下」論に火をつけた京都大学経済研究所の西村和雄教授のもとには、文科省の官僚やOBらから賛同の手紙が届く。「あなたの主張には賛同します」とつづった官僚もいるという。
「学びのすすめ」後も、文科省は「路線変更ではない」と言い続ける。
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〈誰が教育の明日に責任を持つ〉
〈まだ実施されていないのに路線変更〉
〈責任逃れの路線転換か〉
この2月、山形県鶴岡市の市立鶴岡三中のホームページに、掲載された見出しだ。筆者は前校長の渡部芳光さん(60)。地域の中学校長会会長を務めたこともある。
文科省の揺らぎと強弁に対する不信感がにじむ。「文科省の指示に従って忠実に、まじめにやってきたのに……」
「はしごを外された」思いは、文部行政を学校現場の最前線で支えてきた校長、指導主事といった人たちに通じる。そこにも、かつてなかった揺らぎが見え始めている。
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