2001/11/27 朝日新聞朝刊
基本計画法こそつくれ 教育基本法(社説)
文部科学省が、教育基本法の見直しを中央教育審議会に諮問した。
国家のため、が主眼だった戦前教育の反省から、個人の「人格の完成」をめざす基本法が施行されて半世紀余。「国への忠誠心がない」「道徳教育を強化すべきだ」と改正を求める動きが繰り返し起きたが、公式に論議のテーブルにのるのは初めてだ。
首相の私的諮問機関の「教育改革国民会議」が昨年末、最終報告で見直しに取り組むよう政府に求めたのを受けた形である。
検討の視点として文科省は、時代や社会の変化への対応、伝統・文化の尊重、家庭の役割の明確化などを挙げている。
今の学校教育が混迷を深めていることは、だれの目にも明らかだ。
いじめや不登校、学級崩壊が広がり、子どもたちの学習意欲が低下している。学習内容を3割削減する新学習指導要領への不安の声も高まっている。
状況を少しでも良くするために、具体的な施策を急がなければならない。小中学校の少人数学級化を進め、教師を増やす、高等教育の予算も他の先進国並みに引き上げる、といった手立てである。
今回、教育基本法の見直しと教育振興基本計画の策定が同時に諮問された。5年先、10年先のわかりやすい目標を立てて、財源を確保する基本計画はぜひつくってほしい。しかし、なぜ基本法と抱き合わせでなければならないのか。
基本法と基本計画は、そもそも性格が異なる。前者は理念を示すのに対し、後者は中長期的で具体的な目標を明らかにするものであろう。
文科省は、「まず改正ありき」ではなく、計画を立てる過程で何が欠けているかを議論して、それを基本法の検討に反映させたいという。「教育振興基本計画を定めるものとする」といった一文を基本法に加えるのが目的の一つだ、ともいう。
それなら、いっそ「教育振興基本計画法」をつくったらいいではないか。
だいたい、基本法に書かなければ実現できない施策などあるはずはない。あれも足りない、これも付け加えようと基本法をいじったら、木に竹を接いだようなおかしな代物になりかねない。
教育基本法は憲法と同じ年に施行された。前文で「(憲法が示した)理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである」とうたっている。
憲法と基本法の改正論者がしばしば重なり合うのは、基本法改正を憲法改正につなげたいと考えるからなのだろう。今回、基本法の前文が検討の対象となっていることは、そういう意味で見過ごせない。
戦後教育は、公選の教育委員が任命制になるなど統制が進み、基本法は骨抜きにされてきた面がある。理念の手直しなどより、教育現場を改善する具体策を計画的に実施することこそ必要ではないか。
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