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私はこう考える【教育問題について】

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


1994/07/31 朝日新聞朝刊
学校信仰は変わったか 「戦後50年 明日を求めて」(社説)
 
 ――先生
 お約束の旅から、いま戻りました。筑波山を望む小さな村の古い出来事を、先生はどうして知ったのでしょう。
 「戦後みんな苦労したのっさあ」と、なまり丸出しでつぶやかれた先生の言葉が心に残り、その戦後六・三制教育の原点とやらを訪ねてみる気になったのでした。
 石碑は健在でした。裏手の公民館から、子どもたちがけいこする夏祭りの太鼓が聞こえてきます。碑文は、現代語ふうにすると次のように始まっていました。
 「かつて、ここに七本の老木があった。巨枝亭々として青空にそびえ、群龍に似て壮観であった。祖先たちは青龍権現の神木として恐れあがめてきた」
 碑文は語ります。戦争の一因として学制も変革され、村には六・三制の義務が課せられた。しかし、学童は氷雨吹き込む土間に机を並べる惨状にあった。新制中学校の建設費はどこから出せようか。
 
○六・三制に託した未来
 村民大会は権現様に救いを求めました。「氏子が繁栄すれば神もまた栄える。氏子繁栄の近道は、教育にある」。涙を抑えて神木を売り渡したのは昭和二十三年、秋晴れの村祭りの日だった、といいます。
 ご神木を切り倒して、六・三制教育に託した村人たちの痛切な思いは、果たしてかなえられたのでしょうか。
 この村人たちの姿は、当時の国民一人ひとりと重なります。新しい教育に明日を託すことに、疑いはなかったのです。戦後教育は、戦中の「死に至る教育」の終えんから始まりました。価値の大転換でした。
 でも、そこで日本の教育が本当に心底変わったのでしょうか。
 敗戦からわずか半年後、米国からやって来た教育使節団が六・三制学校体系など、その後の教育改革の見取り図を勧告しました。
 その一節には、こうあります。
 「両親、生徒、教師の心をまず第一に占めていた、従来の試験及第第一主義を改めなければならぬ。受験準備に支配されている教育制度は、形式的になり……」。戦前までの「画一的な」教育と、異常な競争心をくりかえし批判しています。
 文部省が著した教科書『民主主義』は、戦前の教育についてこう言いました。
 「これまでの日本の教育は上から教えこむ教育であり、詰め込み教育であった。生徒はそれを一生けんめい暗記して試験を受ける。よい点をとるためであり……その方が就職につごうがよいからであり、大学で学ぼうというのも、それが立身出世のために便利だからである」
 敗戦直後のこのような視点は、戦後改革の初心だったはずです。それからやがて五十年。現在の教育のありさまを見るとき、いうべき言葉もありません。
 ――先生
 神木をも切り倒させた素朴な学校信仰、立身出世主義、それが導き出す受験競争。「学問は身を立てる財本」と宣言した明治五年の学制公布から百二十余年の間、私たちは一つの線上を息せき切って走ってきたような気がします。端的にいって富国強兵のためにです。戦後、強兵は企業戦士に、富国は経済成長に、置き換えられました。そのたびに、国と産業界の要請に文部行政は歩調をあわせてきました。
 村に繁栄をもたらすと信じた新制の中学で学んだ子らは、みんな村を去りました。一九六〇年代の高度成長です。
 
○子らの悲鳴が聞こえる
 均質な働き手が作りだした「豊かな社会」と裏腹に荒れる学校、いじめ、不登校と自分を満たされない子らの悲鳴は高まるばかり。殴る教師は今も絶えません。
 「学校なんて大きらい。みんなで命を削るから。先生はもっときらい、弱い心を踏みつけるから」。こんな遺書を残した長野の女子中学生がいました。特別の例外でしょうか。小学校で一万人、中学校で五万人。年々ふえる不登校児の数です。中途退学の高校生は十万人を超えます。
 子どもの学力は高い、といわれます。でも、米スタンフォード大の教授が日本の教室に入り込んで研究しています。
 「驚くべき、背筋の寒くなるような事実にいきつく。小学校から高校までの十二年間に、アメリカの生徒より四年分もよけいに学校教育を受けている。盛りだくさんのカリキュラムを考え併せると、国際テストの好成績はいくぶん色あせてみえる……情報にはたけていても思考力に欠ける」
 学校のテスト主義が「学校化した社会」を生みました。偏差値を尺度に、人格丸ごとを一元評価する学校歴社会です。
 ――先生
 ご依頼のベストセラー、東大の新入生むけ副読本『知の技法』を同封しました。受験知だけの学生に対して、ものの見方、考え方の基本を教えたいという教授陣の願いが込められているようです。東大で、そのねらいにそった少人数ゼミを傍聴しました。自分で選んだ課題を発表し、討論をかわすというものでしたが、学生たちはおずおずといった面持ちです。
 それにひきかえ、信州の山里の小学校で見た三年生の教室風景は、何とみずみずしく、生き生きとしていたことでしょう。グー、チョキ、パーの手がどっと挙がります。違う考え、質問、賛成の目印です。みんなで決めた乳牛の飼育を通じて、みずから学ぶ意欲に突き動かされ、調べ、考え、発言する子らの姿は、さきの東大生に見せたいくらいです。千人からの児童が学ぶこの公立学校には、チャイムも通知表もお仕着せの時間割りもありません。
 
○「内から育つ力」を信じて
 十数年にわたる先生たち独自の苦闘と実績は書ききれませんが、公開研究会には全国から千人を超える見学者が訪れ、子らの自由で確かな発想と自己表現に触れて「内から育つ子ら」の力に感嘆します。
 ――先生
 明治以来の変わらぬ授業を変えたい。文部省の奥まった一室で、そう言い切る視学官がいます。官製教育の最高助言者としては、覚悟のいる発言です。
 彼は三十数年前、鹿児島の中学校教師でした。初めに受け持った五十八人の卒業生を忘れられない、と言います。大半を集団就職列車で見送りました。同級会に招かれると、手紙も満足に書けなかった子が工務店の経営者になっています。
 「彼らは当時、みんな夜間高校に通える会社を見つけてくれと私に言ったのです。いまの子どもはどうでしょう。学校なんて行きたくないと口をそろえる。この変わりように、私はいま変えるべきは学校のほうだ、と思うようになりました」
 教室に、戦後改革はこれからです。


 
 
 
 
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