1988/07/21 朝日新聞朝刊
日教組に問われているもの(社説)
「われわれの組織はどんなイメージなのでしょうか」と、日教組がこの春、東京の街頭でアンケート調査した。多数を占めたのは、人数の順に(1)硬い(2)暗い(3)古い、の3つ。ずっと数が少なくなって(4)労働組合(5)先生の集団、という回答が続いた。
最初の3つについて「私もそう思う」との福田委員長の談話が、機関紙に載っている。「同じようなパターンで運動してきたから、新鮮でない。再構築の必要を痛感します」
福岡市で開かれていた、今年度の運動方針などを決める日教組の定期大会が終わった。「再構築」は成っただろうか。
課題は、2つあった。回答の4番目にあげられた「労働組合」の立場でいえば、労働界の再編・統一をめぐる路線問題だ。5番目の「先生の集団」の立場では、理不尽な校則や体罰などにも象徴される教育のゆがんだ現状をどうするのか、という問いかけである。
労働組合と、先生の集団と。日教組は、この2つの顔を併せ持つことを宿命づけられてきた。そして、大会などでの論議があまりにも前者に傾き、教育者の視点を欠きがちだと批判されてきた。子どもにとって、親にとって、社会全体にとって、それほど「先生」の役割は重い、ということだろう。
こんどの大会で執行部は、「子どもの人権を守る教育」を論議の大きな柱にしようと試みた。福田委員長は冒頭のあいさつで「まず、教職員みずからの人権意識と感覚を問い直してみる必要がある。学校の主人公は子どもだということが、教職員集団として再確認できるのかどうかというところから出発したいと思う」と訴えた。
合わせて3時間余が、教育論議に費やされた。最近にない時間のかけ方だ。しかし、論議が高まったとはいいがたい。啓蒙(けいもう)のビラを何千枚つくった、集会を何回催したといった「戦果」の報告があいついだ。教育討論の時間というのに、路線問題をからめた主張も少なくなかった。
ただ、数は多くはなかったが、軸足を子どもと教室に置こうとする発言があった。
「教師はともすれば、これまでこうだったという固定観念に立ちがちだ。朝の教員同士の打ち合わせ会を縮めて、子どもとの接触時間を増やすなど、具体的な一歩から、勇気をもって自分たちの姿勢を問い直したい」「子どもにアンケート調査したところ、中学3年の80%、小学4年でも半数が教師にたたかれた、と答えた。しかも、教師の一時的な感情による体罰、理由不明の体罰が少なからずあった」「教室の壁にグラフ類をたくさん掲示することが、指導熱心とみられる傾向がある。朝、大便をしてきたか、昼休みに運動場を何周したか、というグラフまである」
こういった反省や提案は、問題の本質に迫るにはまだ距離があるとしても、努力の兆しは見てとれる。教育の現状をどうすべきか。先生の側からの提言は、あまりにも少数だ。今回の芽を育ててもらいたい。
労働運動の統一問題では、激しい左右対立のなか、上部団体の総評の「方向を支持」する方針が、なんとか承認された。
けれども、それは組織のじり貧傾向を意識して、主流派である社会党系の左右両派がぎりぎりの線で歩み寄ったからにすぎない。反主流の共産党系をふくめ、「連合」の動きを「右寄り再編」と警戒する左派系の代議員が半数に迫る構図はそのままだ。
統一問題に限らない。教育問題もふくめ、いま日教組に問われているのは、一体だれと手をつないで運動を進めていくのか、ということだろう。
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