1988/02/04 朝日新聞朝刊
子どもをどうするか聞きたい(社説)
40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て、といわれる。
不惑を1つ超えた日教組が、福島市で定期大会を開いた。本来ならおととしの9月に開催されるはずが、委員長人事や労働戦線統一をめぐる路線問題でもめ続け、常識では測れない大幅な遅れとなった。
ともかくも、「総評の全的統一の方向を支持する」との方針が採られ、新しい執行部が選ばれた。「再生日教組」を代表するその顔に、40年の経験と知恵にふさわしい年輪が刻まれているだろうか。
委員長になった福田忠義氏は「運動の再構築をはかるため全力をあげる」と述べた。ただ、短いあいさつとはいえ、その中に「子ども」という言葉はなかった。
ほころびを縫わなければ、確実に破れてしまう。そんなぎりぎりの段階で、ようやく催された大会だ。可決された運動方針も予算も、あと2カ月足らずで終わる87年度のものである。しかし、であればなお、最も緊急の課題として、いま子どもたちをどうするのかが真剣に討議されなければならなかった。
「400日抗争」(田中一郎前委員長のあいさつ)に明け暮れている間に、臨教審は最終答申を出した。それを受けて幼稚園から高校までの教育内容をすべて見直す教育課程審議会、先生の免許制度を大幅に変える教員養成審議会なども、つぎつぎに意見をまとめた。
しかし日教組は、そのときどき、一片の反対声明だけでコトをすませてきた。
この「空白」は、これからの日本の教育のあり方に重くかかわってくる。だが、その点を率直に反省し、子どもたちの教育をこれからどうしようというのか、それを具体的に語る言葉は、この大会でほとんど耳にできなかった。反対派の責任を追及する組合用語だけが、頻繁に飛び交った。
運動方針案のうち「教育」をテーマにした討論でも、「子どもたち」を中心に据えた視点はほとんどなかった。前回の定期大会(さきおととし、三重県津市で開催)が、「教師の呼びかけを待っている子どもから、教師が離れ過ぎている」「教師自身の弱点にも目を向けよう」といった反省、努力不足の指摘に彩られたのとは対照的だ。
これまでの中央執行委員(委員長以下、定数40)は、5人を除いて、地方公務員法で定められた5年の役員専従休職期間を過ぎ、先生として教室に戻る道を閉ざされた人たちだった。労働運動に専念せざるをえない、このような「プロ専従」の幹部の意識は、日常子どもと接しているふつうの先生の感じ方と、とかく食い違う。そして、運動を地についたものにしていない。組合内部からも繰り返し、そうした指摘があった。
しかし、改選された中央執行委員も、やはり34人までが「プロ専従」の人たちとなった。組合の中央と教室との距離は、この限りでは縮まらなかった。
大きな組織を維持するためにはやむをえない、といった見方もあるだろう。けれども、このことは象徴的だ。
こんどの大会は当初、昨年12月に開くと発表された。ついで1月22日からに変更された。2月に再延期されたのは、期間中の1月23、24日に大学入試の共通1次試験があるのを忘れていたためという。
ある代議員がこんな発言をした。「組合幹部にしかわからない言葉遣いをやめ、世間一般にわかる言葉で語るべきだ」
その言葉で、「子どもと教育」を緊急に語る義務が、日教組にはある。子どもを離れて、この組合はありえないのだから。
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