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私はこう考える【教育問題について】

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


1987/08/09 朝日新聞朝刊
「臨教審以後」をどう考えるか(社説)
 
 臨時教育審議会が最後の答申を出して、3年間の教育改革案づくりの作業に終止符を打った。
 最終答申は、3次にわたって示してきた改革提言を整理し、臨教審としての結論をまとめたものである。したがって、内容的にはこれまでと同じことの繰り返しに見える部分が多い。しかし、最終的な臨教審の意見として何を最も強く打ち出すか。その重点のしぼり方で、やはり1つの方向性を示そうとしていることが読みとれる。
 時代の変化のただならぬ根深さを強調し、教育をそれに対応させて大きく改めなければならない、とする主張である。そして、個性重視の原則、生涯学習体系への移行、国際社会・情報社会への対応という3つの視点を、改革を進める上での指針に掲げている。
 
○学校を見直すというが
 これは、臨教審が発足する前から、われわれが訴えてきたところと、大筋で合致するものである。高度経済成長の時代を経て、急速に豊かな社会に変容したことで、子どもや青年を取り巻く条件が激変した。しかも、今また脱工業化社会の段階へ入りつつある。
 にもかかわらず、学校制度を中心にしてきた教育は、基本的には、すでにできあがった型のまま硬直化して続けられている。子ども・青年が成長を阻害され、苦しむのは当然である。彼らを救うには学校制度そのものの大幅な見直しを含む改革を避けて通ることはできない。そういう認識であった。
 臨教審も、今回あらためて、小学校から大学まで含めた学校教育体系の硬直化と肥大化を指摘し、より柔らかい、開かれた制度への転換を提唱している。方向としては、その通りであり、支持できる考え方である。
 しかし、それを実際に、どのような手立てで実行に移すのか、という具体策となると、心もとない感じをまぬがれない。現在まさに問題になっているものを、さらに強固にしかねない提案が混在している。
 たとえば、記憶力中心の詰め込み教育を否定しながら、同時に「基礎・基本はしっかりと教える」のだと、繰り返し強調する。この建前が学校教育の画一性を正当化し、1つの基準による選別を可能にしていることへの目配りが欠けている。もし全員に習得させたい基礎・基本であるなら、未習得の子を置き去りにする相対評価のようなやり方はやめるべきだが、この点への明確な言及はない。
 国際化への対応に関連づけて、国旗・国歌を尊重する態度を養うため、「学校教育上、適正な取り扱いがなされるべきだ」とも述べられている。外国でそれらに敬意を表すことを知らないようでは困るから、というのはもっともな説明である。だが、いま学校現場には力まかせの「日の丸・君が代」教育を進めている傾向もある。そういう学校の押し付け体質にまで、臨教審のお墨つきを与えることになる恐れはないだろうか。
 
○かみ合わぬ2つの流れ
 このように、答申が打ち出す大きな方向性と、かみ合っていない具体策が、最終答申になっても多く残っている。発足当初から、委員の考え方に2つの流れがあり、これまでの答申でも、両方を共存させたための矛盾が目立ってきた。いわゆる自由化論者と、それに反対する教育界の対立の表れである。
 たしかに、自由化論の側から例示された改革の具体案には、「通学区の自由化」「塾にも学校の資格を認める」「国立大学を特殊法人に」など、意表をつき過ぎた印象があった。十分考慮してみる価値は含まれていたのだが、長く続いてきた学校制度を一気に突き崩すような提案に、反発が噴き出したのも無理はなかった。
 しかし、臨教審の3年間を通して見ると、教育界は、たんに改革の「急激さ」に反対しただけではなかった。むしろ、変革そのものへの消極性をあらわにしたように見える。これまで学校がやってきたことを、少しでも変える話になると、必ず反対を唱える声があがった。委員の間からも「学校教育は、現状のままが一番いい、といっているようだ」という感想が聞かれたものである。
 学校制度は、明治の発足以来、国家が育てあげてきた最も規模が大きく、安定した制度といってよい。それにかかわっている人々にとっては、それだけ頼りがいのある、居心地のいい組織である。かつてほど、うまく運用できなくなったとしても、その被害を主に受けているのは子ども・青年であって、教師をはじめ大人たちではない。
 受験体制に支配されるようになってしまったことが、いまの学校教育をゆがめているのは、だれもが認める現実である。その原因は学歴社会にあり、その責任は企業にある、というのが定説になっている。だが、入試によるランクづけをする権限、内申書や卒業証書を出す権限は、学校が独占している。これを持つ限り、学校は子ども・青年に強大な権威をもって臨めるのである。
 臨教審でも、最も切実な期待が寄せられた入試改革には、ごくおざなりな提案しか生まれなかった。進学志望者の広がりに比して、少な過ぎる高等教育の受け入れ態勢を拡充することは考えられず、大学教育の質を充実する方策にもっぱら目が向いている。
 
○改革阻む教育界のエゴ
 教育界が意識して、学歴と入試の現状を守ろうとしたわけではあるまい。ただ、臨教審が理念としては学校教育の見直しを視野に入れながら、その最も深刻な病弊である受験体制にメスを入れきれなかったのは、文部省に代表される教育界の権益擁護の力が、陰に陽に働いたためであるのは否定できない。
 同時に、その背景には、われわれ国民が、学校制度に対して、いつしか作り上げ、無意識のうちに抱きしめている固定観念の広がりがありはしないだろうか。9月入学制への移行案に、理屈抜きでしりごみするのも、その1つの表れといえよう。
 教育改革の方途を検討し、実行するのは、これで再び文部省の仕事になる。臨教審の答申は今後の行政を進める上で、尊重される建前になっている。だが、もし文部省が、みずからよしとする部分にだけ力を入れ、あとは手を抜こうとすれば、それは可能である。新任教員の研修強化に見るように、すでにその兆候がないとはいえない。
 臨教審の今度の答申を、もとより金科玉条にする必要はない。自由化論の立場からの主張も含め、子どもの側でなく「教育する」側の発想にとどまる点で、それにも大きな限界はある。しかし、子ども・青年が学校制度の専制的な重圧にあえいでいる現状に対し、はじめて公的な機関として抜本的な見直しの提案をした意味は、決して小さくない。
 3年前、中曽根首相の主導で臨教審の設置が進められたとき、反対と警戒の声が強い中で、われわれはあえて賛成を表明した。大人社会の対立や思惑ばかりが先に立ち、ものいえぬ子ども・青年の苦しみが放置される状態を続けてはならない、という思いからであった。いま手にした結果についても、欠陥をあげつらうより、そこに打ち出された前向きの理念が、現状打破に生かされるよう見守り、発言してゆく立場を選びたい。
 当初、臨教審に寄せられた世の関心は、目のさめるような改革案など出てきそうもないと分かってくるにつれ、急速に薄れた。期待をかけた分だけ、「しょせん教育は、どうしようもないのだ」といった投げやりな気分を生んだ面もあるかと思われる。
 だが、それは許されない。子どもには、1人として大切でない者はいない。その列は、絶えることなく続いている。


 
 
 
 
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