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私はこう考える【教育問題について】

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


1987/08/08 朝日新聞朝刊
臨教審答申、教育改革に基本線 規制緩和が底流に
 
 臨時教育審議会(岡本道雄会長)は7日、最終答申を提出して任務を終えた。国民の多くは、鳴り物入りでスタートした臨教審に大きな関心と期待を寄せていた。文部省だけでは解決できない課題が山積していたし、偏差値に偏った教育と受験の現状を改めてほしいという親や子どもの願いは切実だった。臨教審では、管理と統制を強める文教行政をめぐって「教育の自由化」論を軸に従来とは一味違う教育論議が展開された。そして、画一的な教育の変革をめざす「規制緩和」の方向が打ち出されるなど、臨教審が果たした役割と答申の意味は決して小さくはない。だが、しばしば政治の思惑に引きずられたり、行政の壁に阻まれて、審議会としての主体性を十分発揮できなかったように思われる。あらゆる可能性に満ちた子どもたちのために、21世紀へ向けた教育改革の全体像を描き出すことはできたのだろうか。臨教審の3年間を振り返ってみた。
 (大森和夫編集委員)
 
 <政治的側面> 臨教審は「戦後教育の見直し」をめざす中曽根首相の強い意志で発足した。首相の直属機関であることに批判や疑問が少なくなかったが、校内暴力やいじめなど荒廃現象に対する国民のいらだちを、巧みに政策テーマとしてくみあげたところに大きな特色があった。だが、首相は有力ブレーンや私的諮問機関のメンバーを委員や専門委員に選んだり、臨教審の答申をテコに選挙や政局を有利に運ぼうとする意図をちらつかせた。その結果、「教育学者が一人もいない」という不自然な委員構成になり、首相の意向に沿うように、第1次答申が都議選前、第2次が衆参同日選前、第3次が統一地方選前にそれぞれ提出された。
 第1次答申が示した大学入試の「共通テスト」構想にみられるように、答申内容にも政治が影を落とした。首相は、いまの共通1次試験こそ偏差値教育の元凶だとして、かねてその廃止を主張、そうした考えを臨教審側にも再三伝えた。
 臨教審の大勢は、共通1次の存続を前提に改善を進めるという立場だったが、「第1次答申に盛り込んでほしい」という首相の強い要請を断り切れないと判断、“妥協の産物”として登場したのが「共通テスト」だった。答申を受けた文部省は、「共通テスト」という名称にも飽き足りない首相に配慮し、「新テスト」と呼んでその内容の検討を進めている。
 臨教審は、教育改革のなかで大きな比重を占める大学入試について、早期に政治決着を図ったために、共通1次のどこに問題があり、具体的にどう改めたらいいのか、など突っ込んだ議論をしなかった。こうした性急とも思える運営ぶりに、臨教審に対する国民の関心が急速に冷めた大きな理由があるのではないだろうか。
 さらに、最終答申では、臨教審が「日の丸・君が代」に言及しないことに、塩川文相が強い不満を表明したため、土壇場で「国旗・国歌の尊重」を追加するなど、しばしば政治への抵抗力の弱さを浮き彫りにした。
 
 <原点再確認> いま学校教育の場では、子どもの個性が損なわれている、という指摘が多い。学習指導要領(小、中、高校で教える教科内容の国の基準)による画一的な教育課程と詰め込み教育、さらには点数による人間選別に陥りがちな受験制度が主な原因とみられている。その意味で、答申が「個性重視」を教育全体に通ずる基本原則として据え、さらに教育行財政の画一主義を打破する目的で、さまざまな規則や手続きを緩める「規制緩和」の方向を打ち出した姿勢は評価されよう。
 「人格の完成」を教育の目的とする教育基本法を教育の原点として再確認したことと考え合わせると、臨教審はここに21世紀に向けた教育改革の“芽”を指し示している、といえるだろう。それは同時に「戦後教育の見直し」に否定的な立場を表明したものだ。
 さらに、「統制より自由・自律」「集権より分権」などの基本的方向も示されている。こうした考え方は「教育の自由化」論がもたらしたものとみることができる。「自由化」論は当初、「通学区制(公立小、中学校)の全廃」など、やや突出した論議で批判を浴びたが、教育の分野における国や自治体の規制を緩和すべきだという基本的な考え方は答申全体の底流になっている。「国・文部省にも教育荒廃の責任があるという立場で、文部省に反省を求めた」と岡本会長はいう。従来、文部省自体が教育改革論議の対象になったことがないだけに、「規制緩和」の考え方は、これまでの中央教育審議会(文相の諮問機関)の答申に欠けていた新しい視点だろう。
 だが、「学習指導要領の大綱化」「生涯学習体系への移行」などの具体的提言には新味はあるものの、抽象的なものが多く、しかも、法的拘束力をもつ学習指導要領の基本的性格、都道府県教育長の任命を文部大臣が承認する制度、教育委員の任命制など、中央集権的な文教行政の根幹には触れずじまいだった。改革の方向と個々の提言との間にかなりのズレがあることに、国民の多くは物足りなさを感じるに違いない。
 臨教審の「規制緩和」論と、日教組が主張する「教育の自由」の間には、公教育に対する考え方に相違はあるものの、学習指導要領や教科書検定などについて相通ずる面がないわけではない。だが、臨教審は日教組と積極的に意思疎通を図ろうとはしなかったし、日教組も「臨教審粉砕」の立場を変えないため、結局、教育改革を進めていく上での“共通の土俵”は生まれなかった。文部省・自民党と日教組の対立の構図は変わっておらず、最終答申の「教育界における相互信頼の回復」という呼びかけはむなしく響いている。
 
 <役割> 臨教審が果たさなければならなかった役割の1つは、「内閣をあげて取り組む」課題や、中教審が文部省とのしがらみの中で、手をつけられなかったテーマについて、じっくり審議し、改革の方向を示すことだった。2つ以上の省庁に関係する問題、「大学の自治」にかかわってくる大学改革、6・3・3・4の学校制度のあり方、そして、多岐にわたる国際化の進め方などがそれだろう。しかし、臨教審はそうした期待に十分こたえてはいないようだ。
 たとえば、幼稚園と保育所の機能を1つにまとめる幼保一元化問題は、文部省と厚生省の“縄張り争い”から長年の懸案になっており、臨教審の格好のテーマのはずだった。しかし、臨教審は、両省の主張を調整する機能を果たすことができず、現状追認にとどまった。さらに「大学の自治」への遠慮から、大学入試方法や2年間の教養課程のあり方、国立大の設置形態などについて掘り下げた論議は行われなかった。臨教審は、自己改革に消極的な大学の「自治能力」を厳しく問い直す姿勢を見せてほしかったと思う。また、学制改革の本格的な検討は行われなかったし、国際化の重要な部分である国際交流の面で、たとえば、発展途上国との交流をどう進めるべきなのか、という視点が十分ではなかったようだ。
 これらの重要課題については、“第3の教育改革案”といわれた昭和46年の中教審答申より後退した内容になったように思われる。検討課題を広げすぎて、焦点が絞れなかったために、実際の審議が「まとめやすいものから手がける」という傾向を強めたのは否めない。
 
 <主体性> 臨教審は行政の壁を破ることができず、主体性に疑問を抱かせるケースが少なくなかった。教育財政問題で第3次答申は、基礎研究の充実、教員の資質向上、情報化への対応など、7つの重点配分項目を決めたが、重要事項を羅列しただけで、どれを優先するかは明示していない。予算の大幅増を約束する具体的提言は困るという大蔵省は「答申の文章にも注文をつけてきた」(臨教審のある首脳)という。行財政改革路線の大枠の中で、教育改革予算重視の考えを十分に打ち出せなかったようだ。財政的裏付けの乏しい改革提言が、政府に対してどれだけの強制力をもつだろうか。
 2次答申の教師の初任者研修制は、日教組を意識し、教職員の管理強化をめざす文部省や自民党の教員政策に歩調を合わせた面が強い。そのために、教師の力量を高めるための条件整備や研修の方法、内容などは後回しになり、研修強化の枠組みだけを急いで決めたという印象をぬぐえない。すでに、今年度から36都府県市で試行実施されているが、文部省や教育委員会にとってだけ好ましい教師づくりとならない歯止めはあるのだろうか。臨教審は主体的な判断で、教師の自主性、創造性をも尊重する手だてを検討すべきだったのではないだろうか。
 「秋季入学」については、臨教審内部で圧倒的に推進論が強いのを受けて、一時は早期移行を答申に盛り込む方向に傾いていたが、最終答申は結局、その意義を強調したうえで“将来の目標”にとどめた。公聴会や各種世論調査などで慎重論、消極論が多いことに、臨教審が耳を傾け、国民合意の上で改革を進めていこうとする姿勢を示した結果といえるだろう。
 
 <個性重視> 臨教審答申は盛りだくさんで、快いスローガンも少なくない。だが、1次から最終までの答申を読み通しても、わが国の教育は確実にこう変わる、という青写真が鮮明には浮かんでこない。個々の提言をどう具体化するかについて、文教行政の当事者である文部省にゆだねられている部分があまりにも多いからではないだろうか。
 文教行政の責任者としての自負から臨教審設置に警戒的だった文部省や自民党文教族は、いま「臨教審は結局、中教審を超えることができなかった。われわれの考えで、抜本的改革をやらなければならない」(ある文部省幹部)と胸をなでおろし、同時に、新たな気負いをみせる。
 臨教審の数多い提言の中から、文部省が都合のいいところだけを“つまみ食い”することがあってはならないし、答申が掲げた「個性重視」という21世紀へ向けた教育改革の“芽”は、文教行政のあらゆる分野で貫かれなければならないだろう。


 
 
 
 
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