1987/07/29 朝日新聞朝刊
親の年期(臨教審の1000日・最終答申を前に:4)
木村治美さん=54 エッセイスト
個性伸ばす家庭を 制度よりも意識の改革
「最終答申は学校の先生やお母さん、お父さんに呼びかけていく新しい形にしたらどうでしょうか」。総会の席でこう提案してみた。しかし、「やはり従来通りで」と、結局はお役所型のしゃちほこばった文章になってしまった。
○呼びかけ形式で
「教育改革は制度いじりよりも、意識改革の問題なんですよね。私たちの役割は、国民の皆さんに分かりやすい形で問いを投げかけること。それには話しかけるスタイルの方がいいと考えたんですが」。問いたいことのひとつに、表面的な平等主義の是非がある。例えば学校給食だ。家庭の教育力回復に、お弁当持参の日があってもいいじゃないか、と見直しを提言した。
「そうしましたら、おかずに違いが出る、いじめの対象になる、といった声が出てくるのね。貧しい家と豊かな家、面倒見のいいお母さんとそうでない家庭。子どもがそれぞれ背負っている運命じゃないですか。その違いを受け入れながら、仲良くさせる。それこそが個性を尊重することだと思いません?」
家庭の重要性を強調しながら「もう遅すぎたかもしれませんね」と悲観的にも。はしの持ち方を教えるのは家庭の役割だ、とだれもが思っている。「ところが30%ぐらいのお母さんはきちんとはしを使えない、との調査結果が出ているんです」
○親より子に期待
「しつけは家庭でといっても、実情を踏まえて慎重にしなければなりませんね。10年、20年後のことを考えれば、家庭科をはじめとする教科に、いい親となる視点を盛り込んでいく必要があるように思います。今の親たちよりも、子どもたちに期待した方がいい」
委員を引き受けた時、高3だった長男は大学3年。「その息子がいうには『感謝しているのはたった1つ。勉強しろ、といわれなかったこと』なんだそうです。上の子(長女)の時は、少しでも良くしようと思って、いろいろいいました」
「急げ、急げ」とせき立てるごく普通の親だった。「下の子に『勉強しろ』というのをやめたのは、うるさくいうことが子どもにとってプラスにならないと気付いたから。親にも経験と年期が必要なんですよ」
その年期の入った母親の1人として、この3年間考えてきたことを、近く本にまとめる。臨教審では実現出来なかった、若いお母さんたちに呼びかける形式の「木村答申」にしたい、と願っている。
<家庭の教育力> 臨教審第2次答申(61年4月)は、その回復を目指して、「新井戸端会議」などを提唱した。親たちが幼稚園、保育所などで気軽にしつけや子育ての情報交換をしようという狙い。今年度3000万円の予算がつき、親子触れ合い原っぱ会などの試みが行われる。事業名は「家庭教育地域交流事業」と官製風になっている。
●私はこう思う 高齢化社会の視点が欠ける
高校家庭科の執筆者で、日本女子大教授の一番ケ瀬康子さん(60)
臨教審のいう家庭の教育力の回復は、部分的で一時しのぎ的。第1に問題なのは、共働き家庭が増え、働く母親の方が多くなっている現実が、抽象的にしか捕らえられていないことだ。条件整備として欠かせない幼保一元化に手を触れないのでは、「手作り弁当」の重要性をいっても末梢(まっしょう)の論議だと思う。
21世紀には高齢化社会が到来する。その時一番厳しい試練を受けるのは、今の若い世代だ。生涯教育の視点は、そうした高齢化社会の到来を前提としたものでなければならないが、内容的に十分とはいえない。
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