1987/07/26 朝日新聞朝刊
現場から(臨教審の1000日・最終答申を前に:1)
賛否両論の中、日本の教育のカジを取ろうと、臨時教育審議会が発足して3年。最終の答申が8月7日に出され、審議会は解散する。教育の荒廃、受験戦争の過熱が続く中での論議1000日余。未来を切り開くかぎは、生み出されたのだろうか。何人かの委員に聞いた。
溜昭代さん=49 千葉市立園生小教諭
無力感しみじみと 初任者研修、理想と遠く
「教育論議を沸かせたという面では有意義な3年間。でも、無力感をしみじみ感じた3年間でもありましたね」
臨教審の第一印象は「教師をめっためったにやっつける会」。それほどに、教育荒廃は先生がダメだから、との声が満ち満ちていた。その中で浮かんだ「初任者研修」。25人の委員中、現場教師はたった1人、しかも加入している日教組は「研修反対」の論陣を張っている。「微妙な立場だったわね」
板ばさみの中で、研修には賛成したが、やり方については思い切った提案をした。溜案はこうだった。「初任者は定数外として、ベテラン教員のクラスに“副担任”の形で配置。ベテランの授業や子どもとの接し方を学びつつ、外部の学校見学や講習会に自由に出る」
部会長にも「理想だ」と言われた。だが、「ジャンプすれば手の届く程度の改革を」という大枠があった。「何百億円もかかる」と、文部省にも言われた。出来た案は「望んだものとは遠く隔たってしまった」。
○大蔵省の壁厚く
むなしさはほかにもある。第3部会では、25人学級など欧米の進んだ教育環境を見て回った。「でも、日本も欧米並みにしようとは、だれ一人言い出さなかった」
第2次答申は、40人学級については「現行の改善計画を完成後、欧米主要国を参考に」などと一応うたっている。「これだって、やっとよ」。大蔵省が認めるわけがない、との見方が根をおろしていた、という。「金を握っている者にはかなわない。文部省も弱い立場なのがよくわかった」
考えを十分に主張し尽くせたか、という点にも悔いは残る。「通産省きっての論客とか、偉い人ばかり。私は現場きっての論客じゃない」。学歴偏重を正そうと「卒業証書の廃止」や「新聞での学歴紹介廃止」などの提案をぶつけたら、「ここにいるのは、みんな東大卒ですからね」と、やんわりかわされた。
○強い組合は必要
今、胸を張って言えることは、「熱意と、自分なりの言葉で話してきたこと」。そして、強い組合は、やはり必要だ、という。「委員には、教育基本法にも手をつけようとの声も強かった。そうならなかったのは、組合なり何なりの見えない影響力があったから」。そのためにも「組合は内部の派閥争いばかりせず、もっと変わらなくちゃ」。
教員生活20数年。委員になって2年目からは担任を離れた。「学歴偏重の是正にはあと100年かかる。でも、個性を尊び、考える力や創造力を育てる授業は明日からでも教師次第でできる」。あと10年。担任に戻って、教室からその実践を続けていく、と言う。「委員の中で唯一それができる立場なんだから」とほほ笑んだ。
<初任者研修> 新任教師が1年間、授業を担当しつつ、教頭や退職校長ら指導教諭の指導・研修を受ける制度。新任はこの期間中、条件つき採用になる。臨教審第2次答申(61年4月)の柱で、64年度から実施の予定。すでに今年度から、32都府県と4指定都市で小中高などの計2141人の試行的初任者研修が始まっている。
●私はこう思う 自由な教育の保証全くない
「女性による民間教育審議会」メンバーで、東横学園中・高校教諭の原田瑠美子さん(39) 臨教審は百害あって一利なし。初めは「自由化論」に期待したが、教師が自らの個性や考え方を生かして自由な教育ができるような保証はどこにもない。
その象徴が初任者研修。たとえ技術は未熟でも、新任には、ベテランにはない新鮮な感受性と発想の柔らかさがある。そんな教師が、自立した人間として、子どもたちと触れあう中で、子どもも教師も成長していく。なのに、これまでの息苦しい学校を管理し、踏襲してきた人物である退職校長らを指導者にして、はじめから同じ一つの目を植えつけようとしているように思える。
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