1987/06/24 朝日新聞朝刊
高校中退は本人が悪いのか(社説)
毎年11万人もの高校生が、学校をやめてゆく。なぜなのか。これまで教師の側から見た分析はあっても、当の生徒たちの声を聞いてみる調査は行われたことがなかった。
「高校中退」と呼ばれる彼らが、その後、どんな進路を選んでいるかの追跡調査もされないままだった。昨年夏、文部省が初めて全国の公立高校を対象に、抽出調査をした結果が発表になった。
それを見ると、9割以上の子が高校に入れるようになってはいるが、それが本当の学習機会の保障にはなっていないのだということを、あらためて痛感させられる。調査に答えた子の6割が、自分の希望した学校に入れていない。4割が、希望と違う学科に入っている。特に職業科では、半数近くがそうだ。
偏差値によって「お前は、この程度の学校へ」と、いやおうなく振り分けられる。先の日教組教研集会でも、千葉県の中学の先生から、404人の生徒を109高校に輪切りした実態が報告されていた。「ここに行きたい」「こういうことを学んでみたい」という本人の意欲が伴っていない進学が、長続きしないのは当然だろう。
今回の調査は、学校をやめた直接の理由を、いくつかの答えから選ばせているが、「高校の生活が合わなかったから」に次いで、「この中にはない」が多かった。そんな割り切った答え方では表現しきれない彼らの思いが、表れているようだ。
「非行や問題行動を起こしたから」とか「高校の勉強がきらいだった」「授業についてゆけなかった」といった答えをした者もいる。しかし、高校をやめたあと、2割が他の高校や専修学校などに入り直している。いまは行ってはいないが、将来どこかに入学して学びたいと考えている者も、3割いる。
そして、仕事をしながら通学している場合も含めて、現在、別の学校に在籍する者の大半が、やめた高校にいた当時より、はるかに熱心に出席している。
最初に入った学校をやめたというだけで、「中退」のレッテルをはりつけ、半端者扱いするような風潮が、いかに誤っているか。高校のあり方を変えれば、生き生きと学べる可能性を持つ若者がたくさんいる。そのことをこの数字は告げている。
こんどの調査は、進学の目的がはっきりしないまま高校に行った者が半数以上いたことを指摘して、「無目的入学」と呼んでいる。もっと中学校の進路指導を充実させれば、それを減らせるはずだともいっている。
だが、10代の初めから「自力で食べてゆけるようになる」ことに、真剣に思いをめぐらさなければならなかった時代とは違う。職業のありようも変わり、いままた急速に変わりつつある最中だ。中学生の段階で、どんなに進路指導しても、それで乗り切れるような問題ではないだろう。
せっかく、ほとんどの子に高校での学習機会を持たせてやれる体制を作り上げたのである。いつまでも、それを厳しい選び分けのシステムのままにしておかず、それぞれが生きる方向を求めて模索し、力をつけていける場に改めることに全力をあげねばならない。
途中でやめてゆく子だけのためではない。彼らのつらさは、いまの高校生の多数が共有しているものだからだ。ようやく得られた調査結果から、できる限りの教訓を読み取って改革の発想につなげたい。
その意味で、たとえば最近、女性民教審が提言した、選抜なしに入学できる単位制の地域総合高校への切り替えも、真剣に考えてみるに値する案だと考える。
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