1987/06/06 朝日新聞朝刊
日教組が結成40周年 続く異常状態 教師の足元を固める時
日教組(日本教職員組合=約60万人、田中一郎委員長)は8日、結成40周年を迎える。だが、それを自ら祝い、祝福される状況にあるだろうか。委員長の座をめぐる主流派内の左右の確執や、労働戦線統一に関する路線対立が1年近く続く。そうした主導権争いが、教育者の社会的集団として異常であると気付いていないところに、いま日教組の最大の危機があるように思われる。(大森和夫編集委員)
日教組40年の歩みは、組織率の激減に象徴される。昭和33年には86.3%を誇ったが、年々低下し、49.5%(60年10月現在、文部省調べ)まで落ち込んだ。とくに、勤務評定反対、道徳教育の復活などに関する教育課程反対、学力テスト反対など、国の文教政策に対する闘争が集中した33年から10年間に約3割下落したのが目立つ。教育の内容や方法に対する統制、教職員に対する管理を強める文部省・自民党の政策は、一面で“日教組弱体化”の狙いが込められていたのは否めない。
だが、教育実践活動に比べて、労働運動、政治闘争を重視しがちな日教組の体質が、若年層を中心とした“組合離れ”を招いているのも事実だろう。結成以来抱えている社会党系と共産党系の政治的対立は、大会のたびに相手をののしるヤジと怒号の応酬を繰り返す。新採用教職員の3人に1人しか加入していないことが、日教組への批判を強めていることを物語っている。
人事や労戦統一をめぐる抗争も、3つの勢力――主流派(社会党系)の右派と左派(社会主義協会系)、さらに反主流派(共産党系)――のいわば派閥闘争だ。子どもたちの教育にどのようにかかわってくるのかという視点は忘れられているし、人事闘争の当事者である田中委員長と中小路清雄書記長が、教育のあり方についていまだに自らの考え方を披歴していないことに、だれも疑問を投げようとしない。確実に組織が先細りしているというのに、そのことの反省もなく、執行部の“権力争い”に躍起になっている。
日教組の運動は自らを「労働組合」と認めることから出発している。27年につくった「教師の倫理綱領」で「教師は労働者である」と規定、「教師も憲法第28条の勤労者であり、本質的に労働組合であることに変わりはない」というのが日教組の主張だ。しかし、国公立学校の教職員が組織できるのは「勤務条件の維持改善を図ることを目的とした団体またはその連合体」(地方公務員法)としての「職員団体」だ。
従って、日教組は法律上は、労働基本権のうち団結権はあるが、争議権と団体交渉権は認められていない。過去32回の統一ストライキを実施した日教組が、延べ75万人の懲戒処分者と、毎年百数十億円にのぼる処分者救援のための財政負担の重荷を負っているのは、こうした理由による。
それにもかかわらず、日教組が果たしてきた役割は決して小さくない。26年から続いている教研集会(教育研究全国集会)は、平和教育運動を中心とした「草の根教育改革」を実践するものとして教育関係者から高く評価されている。だが、教研集会にも内紛が大きな影を落とし、ことしは例年より4カ月遅れて先月開催され、リポート執筆者の約1割が欠席する異常事態だった。教師の間から「教育現場を省みない抗争をいつまで続けるのか」という厳しい批判が出されたが、いつの間にか、かき消されてしまった。
日教組の方針決定について、しばしば教師の生の声が執行部に反映しにくい、という弊害が指摘される。理由の1つは執行部の体質にありそうだ。中央執行委員40人(欠員1)は数人を除くと、すでに地方公務員法で定められた5年間の役員専従休職期間が過ぎ、教師として復帰する道が閉ざされているという。委員長人事と労働界の上部団体への加入をめぐって組織の亀裂を深めているのも、執行部の大半が“プロ専従”として労働運動に専念せざるを得ない事情と無関係ではないようだ。
今年度から試行実施されている教師の初任者研修制をはじめ、臨時教育審議会の答申に基づく教育改革が始まっている。いま日教組に求められるのは、子どもの目と学校現場を踏まえた教育を進めることであり、そのために教師の力量を高め、国の文教政策に押し流されないように教師の足元を固めていく姿勢ではないだろうか。同時に、教師一人ひとりが、日教組に対して何を考え、何を望むかをはっきり主張すべきだろう。
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