1987/05/11 朝日新聞朝刊
再出発は子どもの苦しみから(社説)
東京で開かれていた日教組の教育研究全国集会が終わった。組織内の主導権争いが深刻化して執行部が機能マヒにおちいっていたため、開催が例年より3カ月以上も遅れた。
これに対し日教組の内外から、争いは争いとして、この集会だけはぜひ開くべきだという声が高かった。臨時教育審議会による改革論議が進み、その一部は実行に移されつつある。それらは果たして、どのような効果、影響をもたらしているか。この集会は、だれもが知りたい現実を伝えることのできる、数少ないチャンネルの1つだからであろう。
臨教審の提案のうち、文部省が最も歓迎し、実施に熱意を示しているのは、新採用教員に対する1年間の初任者研修制度の創設である。一人ひとりにベテランの教員の担当者をつけてこまかく実地指導する、というのが眼目になっている。そして、すでに多くの都道府県で試行が始められている。
こんどの集会では、これに関する報告がたくさんあった。「レールの上を走らされている感じ。力がついてきたという実感がなく、不安だ」「ひたすら失敗しないためだけの指導を受けて、いい教師になれるだろうか」といった新人の先生たちから集めた声の紹介も、その1つだった。
日教組はこの新制度に対し、「押し付け研修反対」の態度をとっている。だから、どうしても否定的な報告が多くなる、という面はあるだろう。
しかし、指導教員つきで教壇に立つ担任を見て、子どもたちがこんなことをいったという。「なぜ私たちの先生にだけ、先生の先生がくるの?」「僕たちはモルモットになるのか」。若い教師を公然と半人前扱いすることには、たしかに考え直してみるべき問題点があると思わせられる。
こうした試行を、県教委が秘密のうちに実施していた、という報告もあった。ある学校では、新人教師がしばしば担任のクラスを留守にして校外研修に出かけ、そのつど校長が他の先生たちに、代わって面倒を見るよう命令する。不思議に思って調べて、はじめて事実が分かったという。
県教組の抗議に対して、県教委がいずれも「文部省が公表を待てといったから」「文部省がやれというから、やるまでだ」と、文部省にゲタを預ける責任逃れの答えをしたという話にも、考えさせられるものがある。
臨教審は、教育改革を進める上での1つのカギとして、地方教委の活性化が必要だと強調している。現実がこのようなものであり続けるとしたら、どんな改革も、画一的な上意下達の重圧を増すだけにしかなるまい。そのシワ寄せは、最後は子どもに行く。
高校入試の改善策として、推薦入学の枠を大幅に広げた県の先生から、それがいかに生徒たちを疑心暗鬼におとしいれ、推薦で入った子と、一般入試で入った子の間に溝を生んだかが報告されていた。事前に十分、地元の実情を踏まえた検討もせず、ただ中央の指示を実施に移すことが、子どもたちに新たな苦しみをもたらした一例といえよう。
こうした報告をした教師たちは、みな自分たちの声がますます反映されにくくなってきている実情を訴えながら、「子どもたちの苦悩の現実から出発する」以外に、親や地域の人々の支持を得る方法はない、と結んでいた。その通りだろうと思う。
昨秋以来の醜態で、おおかたの信頼を失ってしまった日教組にまだ未来があるか否かは、こんどの教研集会で内側からあがったこの切実な思いを、組織全体のものにできるかどうかにかかっている。
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