1987/04/16 朝日新聞朝刊
見直し バラバラの解釈(揺れる原点 教育基本法40年:5)
○「道徳重視」が口火
「見直しを含めて21世紀に向けた教育の理念を検討すべきだ」「基本法が道徳、伝統、国を愛する心などの教育を禁止しているように受けとられている」「文章がよくわからないし、アメリカのにおいがする」――臨時教育審議会(首相諮問機関、岡本道雄会長)は、教育基本法の「見直し」をめぐって大きく揺れた。「臨教審が発足した時点で、基本法に対する委員の評価はばらばらだった」と首脳の1人は語る。
基本法の「見直し」論議に火をつけたのは、有田一寿第3部会長、金杉秀信委員。臨教審発足直後外部のシンポジウムで有田氏は「道徳を重視し、日本人の美しい心を育てるには、基本法を見直すべきだ」とし、基本法に、宗教心、国を愛する心、伝統文化の尊重の3項目を追加するよう主張。金杉氏も「基本法は『人格の完成』をめざしながらどういう人格、人間をつくっていくのかが抽象的でわかりにくい」と強調した。
天谷直弘第1部会長も、審議資料として提出した文書の中で次のように述べている。「『機会均等』の原則はきわめて忠実に守られているが、『人格の完成』や『個人の尊厳』という大目標は、事実上空文化し、置き去りにされている」。委員の間に「基本法にとらわれず自由に論議すべきだ」として基本法の「見直し」論議はかなり活発だった。
臨教審内の「見直し」論は、民族、国家、徳などの要素を重視する中曽根首相の考え方に近いものだった。臨教審による教育改革を明治維新、戦後に続く「第3の教育改革」と、位置づけようとする動きが一時あったのも、「戦後教育の見直し」の表れであり、「戦後政治の総決算」に一脈通じていた。
さらに、「見直し」が不可能なら基本法を補完する教育憲章の制定を、という意見が出され、「学校教育の自由化」論にも、基本法見直しへの思惑が込められていた。「自由化」論は、教育課程や教科書、教員資格、施設設備などの基準を大幅に緩和する考え方であり、その具体化には、学校の「公の性質」を定めた基本法第6条の見直しが必要になる場合もある。
一方で「軽々しく扱うべきではない」という慎重論もまた根強かった。「基本法はよくできている。目的に沿った教育が行われていないところに問題がある」「基本法は戦後教育の根幹をなす法律であり、重要な意義をもっている」など。そして、「基本法の『見直し』を本格的に取り上げたら、臨教審がイデオロギー論争の場になってしまい、地道な教育改革論議ができない」という空気が支配的になっていった。
○疑問残す「自由化」
答申は「基本法の精神にのっとって(教育改革を)進める」「基本法の精神が生かされるようその正しい認識の確立に努める」(第1次)、「基本法の精神をわが国の教育土壌に深く根付かせ、実践的に具体化していく」(第2次)という立場を明らかにした。
しかし、「自由化」論議は、生煮えの部分を多く残している。教育行政の大幅規制緩和を掲げながら「自由化」の具体策に言及していない。このため、「その中身が基本法の精神に抵触してくる恐れが多分にある」(中小路清雄日教組書記長)という疑問がなくはない。
また、「基本法の解釈の見直しが進み、基本法を取り巻く状況が変化していることが問題だ」(堀尾輝久東大教授)という指摘もある。41年10月に中央教育審議会が示した「期待される人間像」は、愛国心、国に対する忠誠心、天皇への敬愛などを国民に求めた。それは、「基本法を改正しなければ忠とか孝は教えられない」(31年、鳩山内閣)という政府見解の変更を意味した。そして、中曽根首相は59年2月の衆院予算委で、「基本法の精神として親孝行、愛国心、忠誠心を教えるのが当然」と答えている。第1次答申の「基本法の精神の正しい認識」とは、具体的にどのような意味なのか必ずしも明確になっていない。臨教審内には「機会均等に偏った基本法の誤った解釈を変更することだ」という受け止め方がある。
「基本法は定着しており、内容面でも十分だ。その精神を現代にどう生かすかが大きな課題だ」と臨教審の岡本会長。だが、教育のあり方や解釈など基本法をめぐる対立はいぜん解消していない。「基本法が政治的な問題として扱われてきたことは不幸だ。そのために、どこに人間形成のよりどころを求めたらいいのかがあいまいになってしまった」と天野郁夫東大教授はいう。わが国では、教育について共通の認識が乏しく、イデオロギーの対立へ発展する傾向が強い。基本法はこれからも揺れ続けるのだろうか。(大森和夫編集委員)=おわり
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