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私はこう考える【教育問題について】

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


1987/04/09 朝日新聞朝刊
君が代 国の関与を問う(揺れる原点 教育基本法40年:1)
 
 京都地裁に「君が代」訴訟が起こされている。京都市教委は昨年春、児童、生徒に「君が代」を歌わせるために市立の全部の小、中学校にテープを配布した。それが、思想、良心の自由を保障した憲法に反し、教育基本法が定めた教育の自由と国家不介入の原則に反する、というのが原告側の主張だ。
 市教委は基本法と学校教育法に基づいた指導である点を強調して、「国歌を指導するために教材を整備するのは適法」と反論する。だが「世論が2分しているのに、国歌だからと子どもたちに押しつけるのが果たして本当の教育だろうか」(松本康夫京都市教組副委員長)という素朴な疑問も少なくない。国は教育にどのようなかかわりをもつのが望ましいのか、そして、教育基本法がめざす教育とは何だろうか。
 「君が代」「日の丸」の歩みをみると、国の文教行政が、政治状況に敏感に反応したことがわかる。文部省は、43年に初めて学習指導要領(官報への告示)で、「君が代」の斉唱、「日の丸」の掲揚を奨励、52年にはそれぞれ国歌、国旗と規定し、「斉唱し、掲揚させることが望ましい」との方針を打ち出した。そして、60年8月、各都道府県教委に「徹底化」を指示、学校教育の中での指導方針を強化していった。
 
○法的根拠ない国歌
 「君が代」「日の丸」は、戦前の「忠君愛国」の象徴だったし、現在、国歌、国旗としての法的根拠はない。国歌、国旗として扱うことに異議を唱える人たちは、主としてそこを問題にしている。文部省の指導は価値観の異なる問題について、国の判断基準を学校教育に強要しようとしている、というのだ。原告側代表の飯沼二郎京大名誉教授は「『君が代』を歌わせさえすれば、愛国心ができると教育委員会は思っている」という。
 文部省は、斉唱、掲揚は「学校長の自由裁量による」ことをしきりに強調する。だが、文部省―教委―学校長という中央集権的な文教行政の仕組みの中で、「自由裁量」が貫かれているといえるだろうか。
 昨年、沖縄県教委は、「日の丸」の掲揚に反対した高校教諭18人を、最高停職1カ月の懲戒処分にした。京都市では、60年3月の卒業式で「君が代」を斉唱した小、中学校はほとんどなかったが、文部省と市教委の指導が行われたこの2年間に急増、学校指導課によると、ことしは小学校で85%(169校)、中学校で65%(49校)が斉唱したり、テープを流したりしたという。
 この事実は、文教行政が「指導、助言、援助」(地方教育行政法)の域にとどまらず、事実上の“強制力”を持つ場合があることを物語っている。「『君が代』の強要で、職員室や教室の空気が重くるしくなった。文部省や教育委員会の方針が前面に出すぎて、子どものための教育という原点が見失われている」と松本市教組副委員長はいう。そして、教育現場に国が介入しすぎて、「個人の尊厳」を重んずる教育基本法が空洞化している、と指摘する。
 毎年開かれる日教組の教研集会では、「いまの教科書は、子どもの個性や創造力を伸ばしていくうえで最適の教材とはいえない」という批判がよく聞かれる。中国や韓国などからゆがみが指摘された歴史教科書にみられるように、政府・自民党の政治主張に沿った内容に書き改められるケースが少なくない。教科書の公正、中立性にしばしば疑問が投げられる。さらに、膨大な量の細かい教科内容が、学習指導要領で定められているため、それに基づいて厳しいチェックが行われる。文部省の意向は、教科書の細部にまで及ぶ。
 
○検定制の骨格不変
 文教行政は「学校教育は国の責任領域に属する」という意識が強い、といわれる。教育の目標や進め方について、文部省の役割を重視し、統制や管理を強めようとする意思が幅をきかす。がんじがらめの校則に象徴される管理主義的な学校教育は、こうした文部省の姿勢を反映している。
 臨時教育審議会は1日の第3次答申で、現行の3段階審査を1回に改める教科書検定制度の簡略化を提言した。だが、文部大臣の合否裁量権など検定制の骨格に手をつけることはできなかったし、学習指導要領についても、第2次答申で大綱化を打ち出したにとどまった。学習指導要領を国の基準とし、教科書検定で統制機能を確保しようとするいまの文教行政の枠組みは引き続き維持されることになったわけだ。
 アメリカなどでは、全国一本の学習指導要領や教科書検定制度はなく、学校運営は大幅に各学校や地方自治体にまかされている。わが国の場合、学力水準の高さを他国から評価されているものの、国の関与が強すぎて、学校が「人格の完成をめざす」(基本法第1条)ための場として十分機能しているといえるだろうか。「君が代」訴訟は、その問題を提起している。(大森和夫編集委員)


 
 
 
 
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