1986/04/24 朝日新聞朝刊
教育行政の根幹には触れず 臨教審第2次答申<解説>
臨時教育審議会の第2次答申は、教育の歴史や荒廃の要因について丹念に分析し、新しい教育の目標、改革の方向を示している。それをひと言でいえば、第1次答申が原則として掲げた「個性重視」の立場から、文部省が教育の方法や内容に細かく口出しするのはやめようということだ。しかし、現実の教育行政の根幹に踏み込む内容はほとんど盛り込まれていない。受験競争に勝つことが教育の主たる目的とすらみられている現状を改める処方せんも、必ずしも描かれていない。教育関係者はそこに、基本答申としての物足りなさを感じるだろう。
第2次答申には3つの特徴がある。教育基本法の尊重を明記して国民が求める教育改革をめざす姿勢を明確にしたこと、学校中心の教育から生涯学習体系への移行を改革の方向として掲げたこと、そして規制緩和、地方分権など教育行政の“自由化”を進めようとしていることだ。だが、具体策の中身、実行の手順については、政府(文部省)にゆだねられている部分が多く、生涯学習社会の仕組みをどう実現するかの裏付けが乏しい答申となっている。
第2次答申が教育基本法の精神の実践、具体化を強調している点はそれなりの意味をもつ。臨教審が教育基本法を改革論議の基本的視点に据えた表れであり、「憲法、教育基本法の精神の尊重」に「国民的合意」のよりどころを求めようとする姿勢は評価されよう。臨教審が「中曽根首相主導」で発足したために日教組や社会、共産両党などから指摘された「改憲、教育基本法改悪をめざすもの」という疑念や不信感は、かなり解消されたとみてよさそうだ。
「人生80年時代」に入り、小学校から大学まで16年間の学校教育の比重が「人生50年時代」に比べて軽くなるのは必然だ。教育は学校がすべてではないし、学校だけで終わるものではない。学校中心から脱却し、家庭や社会の教育力を高めて生涯学習社会をめざす答申の方向は、それなりに理解されるだろう。ただ、生涯学習社会の構想は「家庭・学校・社会の3者が一体となった総合的な学習機会の拡大、整備」という表現にとどまり、「どこで、いつ学んでも、学習の成果が適切に評価される社会」の設計図は示されていない。
今回の答申が「“第3の教育改革”といわれた昭和46年の中央教育審議会答申と大きく違うのは、画一より多様、統制より自由などの考えを大幅に取り入れたことだろう。学習指導要領の大綱化、大学設置基準の簡素化、大学入学資格の自由化・弾力化、教育委員会の活性化などの提案は、それぞれに従来の教育行政の枠を超えた新しい視点を含んでいる。ただ、スローガンの域を出ず、具体性に欠けるきらいがある。
例えば学習指導要領の大綱化は、その範囲をめぐって意見が割れ、具体的内容は示されなかった。「大綱化」が、自由化・弾力化の重要な部分として提起されたため、歯止めを求める意見が出され「基礎・基本の明確化、充実」が同時に盛り込まれた。教科によっては「大綱化」と逆行する内容が生じる恐れもなくはない。さらに提言の具体化は、各種審議会の運営方法、諮問内容などにかかわってくるため、答申を受け止める文部省の対応が大きなカギを握る。
そのうえ答申は、教育行政を支える主要な制度にはほとんど言及していない。法的拘束力をもつ学習指導要領の基本的性格、教科書検定、都道府県教育長の任命を文部大臣が承認する制度、教育委員の任命制、国立大学の設置形態などの論議はことごとく見送られた。いずれも文部省や自民党文教関係議員にとって「臨教審が踏み込んでくるのを最も警戒していた」(文部省のある幹部)問題であり、そうした意向が臨教審に影響を与えたことは否めない。首相直属機関の限界といえなくもないが、文部大臣の指導、助言、援助の下にある各都道府県教育委員会がどれだけ「多様な創意工夫」(答申)ができるか、疑問がありそうだ。大幅な権限委譲を伴わない限り、地方分権、教委の活性化も“絵にかいたモチ”に終わる恐れがある。
具体策のうち教員の初任者長期研修制は、文部省が長年実施をめざしていた試補制(仮採用期間の研修の結果で採否を決定)に近く「個性重視」とは裏腹に文部省や教委にとって好ましい教師づくりの不安が残る。私立小、中学校設置の促進、通学区域の弾力的運用などにみられる自由化・弾力化の手法は“教育の企業化”を強める可能性もあり、今後、公立学校を主体とした義務教育の見直し論議に発展することも予想される。
臨教審が見落としている重要なテーマもある。高校進学率94%という現状で、高校入試を廃止して希望者全員の高校入学を認めることは不可能なのか、共通1次(64年度から共通テスト)の廃止を含めて、いまの大学を「入りやすく出にくい大学」に改めることはできないか、などについて、じっくりとした論議を望む声も少なくない。第2次答申が示している新しい教育改革の方向と、裏付けが十分でない提言との落差を埋めるためにも、こうした身近な問題にどう答えるかが、あと1年4カ月の任期を残している臨教審の大きな課題だ。
(大森和夫記者)
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