1985/07/26 朝日新聞朝刊
チャレンジ 転校重ね“安住地”(「いじめ」が問うもの:4)
東京・練馬の閑静な住宅地に1人の母親(44)を訪ねた。長男(15)をいじめから守るため、苦労し尽くした人である。その母親は身をよじるようにして、3年前の悔しさを訴えた。
○積極的に対応せず
「先生ってあんなものですかねえ。疲れたって感じのする50代の女の方だったけど、子どもがいじめられているのを知っていながら、何も積極的に対応してくれない。あげくに『校長先生とも相談したが、お宅のお子さんは養護学校に入れた方がいいんじゃないですか』って」
確かに幼いころは、言葉に不自由した。話せるようになると、今度は話題があちこちに飛んだ。いま話したことと、結論が違っていても平気だった。性格も頑固で、人間関係がうまく行かないことに、親は悩んだ。
作文を見ると、字はしっかりしていた。文章も筋が通っていた。だが勉強は嫌い。手に職を付けさせようにも、こんなに手間のかかる子の面倒を見てくれる人はいるだろうか。思いあまった父親(51)は、脱サラを決意した。商売を始め、それを子どもに継がせようと、埼玉県南部のベッドタウンから東京に移った。少年が中学に入学する直前である。だがこの転校で少年はいじめの対象にされてしまった。
○女生徒までが暴力
中学1年の6月。母親は帰宅した少年の姿を見て、がく然とする。首がガクンと落ち、ズボンを脱がすと下半身がアザだらけだった。女生徒までが、背の低い、やせた少年を「正露丸」(臭いこと)、「バイキン」とののしり、暴力を振るった。水泳の時間、パンツをはぎ取られてさらし者にされた。
母親が学校に行くと、廊下にはたばこの吸いガラが落ちていた。いじめのひどさを担任に訴えると、すぐ子どもたちに伝わり、チクッたと、さらにいじめられた。少年は学校に行かなくなった。しかし担任が家庭訪問に来ることもなかった。
10月。思いあぐねて、母親は新聞で知った東京近郊の塾を訪ねる。登校拒否の子の面倒を見ることで知られた塾だった。
「転校してみるか」と塾長がいった。「いじめられなければ」と少年も乗り気だった。
塾の近くにアパートを借り、母子は越した。そして少年は、区域の中学に転校した。毎朝、少年を学校に送り出すと、母親は2時間かけて練馬の自宅まで帰った。
転校で、いじめが消えたわけではない。いまでも「身障」といわれたり、「物をとった」とはやされることはある。だが、暴力はなくなった。
「先生の対応がまるっきり違うんです。何かあると担任以外の先生からも、すぐ連絡が入ります。いじめを訴えても、うちの子がしゃべったとわかるような指導はしませんね」。母親は、いまの学校の先生は絶対、信頼できる、と言い切った。
3者面談があった。「中学を出たら父親の手伝いを」という親子に、担任が励ました。「商売するにしても商業高校ぐらい出ておかなくちゃ。勉強しなさいよ。ダメでもともと。チャレンジよ。チャレンジ」
「ああ、この子は切り捨てられてはいないんだな、とわかって、うれしくて……」。母親はその「チャレンジ」という言葉を、何度もつぶやいた。
○わび状書いた子も
「何も変わったことをしているわけじゃないんですよ」。若い女性の担任は、ちょっぴり当惑げだった。
チクッたと思われないように、いじめっ子に反省を促したり、班活動では、やさしい心遣いのできる子の多い班に入れ、班全体で少年がいじめられないよう仕向けたり。そういえばボクが悪いことをしましたって、あの子にわび状を書いてた子がいましたねえ……。
文部省は先月、いじめ問題の指導にあたっては、転校も含め、適切に対処されたい、と通知した。都道府県教育長協議会が全国235市町村について調べたところ、中学校では昨年度は3000件が登校拒否、生徒指導上の配慮、友人関係などで学校指定の変更や区域外就学を承認されていた。いじめも、何件かは含まれていたと、推定されている。
だが、転校だけで問題は解決するものかどうか。少年に転校を勧めた塾長はいった。
「やる気と力のある先生が、その学校にいて、よし引き受けてやるか、といってくれないと。そんな学校がどこにあるのか、私にもわからないですね」
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