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1985/07/01 朝日新聞朝刊
正念場に立つ日教祖(社説)
日教組が発表した今年の運動方針案を読んで目立つのは、臨教審による教育改革論議に対する日教組としての危機意識を強くにじませていることである。
1年後には本格的な「基本答申」を予定している臨教審について日教組は、「財界と首相主導のもとで、今日の教育問題の責任を教師と父母に押しつけ、戦後教育の理念と成果を否定しようとしている」と反対してきた。その立場を貫いて、ではどのような教育改革を進めることができるか、文字通りの正念場に立っているからだ。
方針案を見ると、「真の国民合意に基づく教育改革」運動にいっそう力を注ぐとし、父母・国民が本当に願っている切実な要求をくみ上げ、独自の教育改革大綱にまとめてゆく運動が、新たに打ち出されている。
現場の実情を踏まえ、父母の支持を得ながら、下からの改革案づくりに成功すれば、確かに大きな意味をもつといえよう。だが、方針案も認めるように、従来、父母・地域住民との連携のために進めてきた教育実態総合調査は、思うように広がっていない。
その原因を明確にし、乗り越えない限り、今度もまた掛け声倒れに終わりかねまい。方針案は、今日の教育状況のもとで、父母との連携を進めようとすれば、批判は避けて通れないといい、「本音で語り合うことが求められている」との見方を述べる。
そして、今年2月、「学校なんか破産すればいい」と書き残してビルから飛び降り自殺した横浜の小学校5年生は、「学校とは、教育とは何なのか」を、あらためて鋭く問うたのだとして、自分たちの日常の実践を厳しく反省する必要がある、と強調している。
このように、子どもたちが苦しんでいる事実を、つぶさに認めたうえで、その場となっている「学校」を立て直そうとする方向が、色濃く出ている。教師にとっての職場である以上に、そこは子どもが主人公として自由に伸び伸びと生きる場でなければならない。
職場闘争でなく、職場活動の活性化といった言葉で、教育実践への取り組みに多く言及しているのは、その原点に立とうとする姿勢を意味しているのだろうか。
スローガンを叫ぶにとどまっては、もはや父母・国民の支持は得られず、臨教審による改革の動きの中で、組織の存立さえ危うい。そういう深刻な現状認識がこもっているように感じられる。
日教組が批判される最大の根拠は、スト問題だった。だが、この15年間は、早朝2時間、午後3時以降といった授業に影響の出ないよう気をつかう戦術がほとんどで、参加県教組の数も30を超えたことの方が少ない。
一方、スト参加者の昇給延期などの補償給付で、日教組の財政は、きわめて切迫している。今年も、一般会計が35億円なのに、救援資金会計161億円にのぼる。そして方針案は、今後の戦術について「教育闘争を展望し、現状に適したあり方」を検討する、と微妙な表現をしている。
自分たちもまた追いつめられて、そうさせられているとはいえ、いま「学校」で、教師は、子どもの全き味方ではなくなっている。少なくとも、子どもや親の側の実感では、そうなのではないだろうか。
日教組が、何よりも優先させて「学校」を大事にし、組合員1人ひとりの日常の教育実践を充実させることに、活路を求めようとするのであるならば、その理由が何であれ、評価されていい。この方針案が、どこまで現実に移されることになるのか、大会での論議の中に、まずその可能性を見たい。
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