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私はこう考える【教育問題について】

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


1985/06/27 朝日新聞朝刊
展望ひらけぬ教育改革(社説)
 
 臨時教育審議会が、教育改革についての第1次答申をした。率直にいって、いまの教育がおちいっている八方ふさがりに似た状態に風穴があき、あかるい展望が開かれた、という感じを与えてくれるものではない。
 答申は、まず目指すべき改革の基本方向を述べ、そのために今後どのような点を検討しようと考えているかを列挙する。そのうえで、当面すぐ着手を求めたい具体案として、大学入試に新しく「共通テスト」を導入すること、6年制中等学校・単位制高校の制度を設けることなどを提唱している。
 
○自由化めぐるあいまいさ
 そこに書かれている内容を、項目ごとに見てゆくと、1つ1つの分析や見方には、それぞれうなずけることも多い。
 しかし、もっともなことが書かれてはいるが、ただ「あれも大事」「これも大切」と並列されるにとどまっている。それら相互の間の構造的な関係があいまいなままだから、結局のところ、どこから、どう手を着けようというのか、大きい方向性がくっきりと浮かび上がってこない。
 まして、違う方向を腹に置いての分析が、一緒に並べられていたのでは、ますますその印象は深まる。いわゆる「自由化」をめぐっての論争が、いきなり第一部会と第3部会の真っ向からの対立になってしまい、じっくり議論することのないまま、答申を作ることになった。木に竹を継いだ無理が、全体としての説得力を失わせているのだと思う。
 例えば、教育の現状分析で答申は、制度、運用、教育内容、指導のあり方など、ほとんどあらゆる面で画一化の弊害を指摘している。とすれば、当然それをもたらしている大本にさかのぼって、ゆるめる方策を探らなくてはならない。
 改革の基本方向や、今後の検討課題のところで、「教育行政や制度は柔軟で分権的な構造にし、関連する規制の緩和が必要」といい、「義務教育、教科書検定、学習指導要領、学校設置基準などにかかわる許認可や規制について、文部省の指導・助言など実態面も含め広く見直す」としているのは、自然な論理の流れといえる。
 ところが、同時に「教師の意識、指導体制、指導力などの諸要因により、学校における徳育が十分な成果をあげていない」ので、「学校においては、徳育、知育、体育について、さらに基礎・基本の徹底が図られねばならない」とも強調している。
 
○どう見る高学歴の流れ
 基礎・基本の大切さということには、言葉としてはだれもが賛成だろう。ただ、どういう内容、どこまでの範囲を、国民共通の基礎・基本と見るのか。そしてそれは、だれがどういう手続きで定め、どこまで強制するのか。なぜ画一化がはびこったかを考えるうえで、ここは重要な問題点なのである。
 根の深いところで、この2つの主張は矛盾し合う関係にある。「自由化」は主に高校以上でやることに限定し、義務教育はこれまで通り、といった安易な方便は通用しない。自由化論は、これまで聖域視されてきた義務教育の領域に向けて提出されたがゆえに、新鮮な意味をもっていたからである。
 察するに、前の方は「自由化」論者、後の方は「反自由化」論者の考え方が表れているのであろう。このような、ちぐはぐな点は、ほかにも見受けられる。6月答申の日程にこだわったための拙速が、せっかくの作業を意味の薄いものにしてしまった。残念というほかない。意見の違いがある以上、言葉の妥協でごまかして通らず、今後の審議ではきちんと議論し直して、国民に判断の材料を提供するよう、あらためて要望したい。
 さらに、答申を読んで1つ欠けていると感じられるのは、高学歴社会化の流れに対する評価である。現状分析では、今日さまざまな問題現象の根源に「著しい経済発展のもたらした教育の量的拡大」がある、という認識を強く打ち出している。
 しかし、この傾向を積極的に評価したうえで、今後の教育の体系を構想しようとしているのか、いまの進学率の高さは教育混乱のもとなのだから、これからは抑える方向を基本線にしようと考えているのか、いまひとつはっきりしない。
 大学入試制度改革の必要性を述べた部分で「国公私立を通じ高等教育について、質、量ともに整備、充実」することは、きわめて重要な基本的課題だといってはいる。だが、改革の基本方向のなかでは、「量から質へ」重点を移すときだと強調している。
 
○大事な量と質の考え方
 これは、高等教育だけの問題ではなく、実は教育制度全体のありようを考える際の、1つの大きな分かれ道である。つまり「量も質も」と、「量より質」とでは、個性の重視といい、多様化といっても、意味するところが違ってこざるをえない。
 「量より質」に重きを置く立場に立っての改革は、どうしてもエリート教育指向になりがちである。6年制中等学校、単位制高校の提案にしても、そこがあいまいである限りは賛否を決めにくい。
 これまでのような画一的な評価では、劣った人間として扱われるであろう子どもたちに光をあて、その成長を積極的に援助する。そういう趣旨かどうかを判断できるよう、今後の審議の中で、この点についての基本姿勢を明らかにすべきである。
 大学入試改革の具体策として、「共通テスト」の構想が出されている。弊害が深刻化している共通1次試験制度を、事実上の廃止に持ち込むための代案かと思われる。
 だが、これまでも指摘してきたが、この高進学率時代に大学をいかなる教育機関として位置づけ、変革するのかの問題と切り離して、入試の部分だけいくらいじっても、受験生を混乱させるばかりで、事態の本質は変わりはしない。
 「高等教育の質量ともに整備、充実」を前提に、内容の多様化、個性化をはかるというのであれば、やはり大学が昔ながらのエリート教育機関的な意識から大胆に脱皮するのが先決であろう。国公立と私立が、ただ偏差値だけを目安に学生を奪い合っているなどは、醜態というほかない。
 そこで、その手立ての1つとして、アメリカで行われているような「大学評価」の仕組み、つまり教育機関としての実績を第三者が客観的に調査して公表するやり方を、わが国でも検討してみてはどうだろうか。これまでの実績から見て、残念ながら大学自体の改革努力には、あまり期待できないからである。
 
○もっと謙虚に審議を
 臨教審は、来年春に出す「本答申」づくりに向けての審議にはいるという。これからは本当に重要な検討課題を的確に選び、構造的な論議を組み立ててほしいものである。今回の答申に至る経過を見たところでは、臨教審発足時に危ぶまれた面がやはり出ている。
 委員に教育の専門家でない「素人」が多いことへの不安だった。一方、今日の時代状況は、日本が初めて経験するもので、絶対の専門家などいないのも事実である。さまざまな分野から衆知を集めることで、新しい展望が開けるかもしれない、という期待がそこに生まれた。
 それが、始まってみると、自説に自信を持ち過ぎた主張が表に出た観がある。子どもの現実を前に、思い迷っている親や教師たちと一緒に考えてゆく。「素人」なればこその、そうした謙虚さ、誠実さの伝わってくる審議を、いま一度要請しておきたい。


 
 
 
 
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