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1985/04/04 朝日新聞朝刊
いま「高校」とは何なのか(社説)
高校中退者の数が依然として増えていることが、文部省の調査で明らかになった。こんどの数字は五十八年度の分だが、全国の公立・私立高校で十一万千五百余人。前年度より5.2%多くなっている。
生徒総数の2.4%で、0.1ポイントの上昇だから、爆発的に多くなったということではない。高校進学率が80%を超えたのは昭和四十五年、90%を超えたのは四十九年である。以来、じりじりと増えつづけて、どうにもそれが止まらない、というわけだ。
だから、「能力のない子や、行きたくない子まで高校へ行くようになった。適応できなくて中退する者が増えるのは、当然だ」という見方もある。こんどの調査でも、約40%は「学校生活・学業不適応」「学業不振」が原因だとされている。
前年度の調査に比べ、「進路変更」に分類される者が今回は目立って多くなっている。ここにも不適応の結果として進路を変えた者が含まれている、と見ていいだろう。これも合わせると60%である。
そこで「この程度の中退が出るのは、やむをえない」と考えることもできるし、もう一歩進めて「無理して高校にいるよりも、自分なりの道を探す者が多くなるのは健全な方向」ととらえることが可能かもしれない。
げんに文部省は、「進路変更」に分類された者には専修学校へ移った者も増えているはず、と推定して、前向きの面を評価しているようだ。米国の高校の中退率が23%であることを引き合いに出して、日本は良いほうだ、といいたがっているようにも見える。
しかし、やはり、そういう姿勢でこの問題を受けとめるのは、適切ではないと思う。まず、高校にいられなくなった十万人単位の未成年の若者たちを、大人社会が一体どのように受け入れているか。その現実への目くばりなしに議論をするのは一面的にすぎる。
こんどの数字が出たのを契機に、ようやく文部省も、中退者のその後についての追跡調査をする気になったらしい。それが文部省の仕事かどうか、などという理屈は二の次である。すべての若者に対し、教育担当省として愛情の存するところを、そうした行動で示してほしいと願う。
もう一つ忘れてならないのは、いまの高校に不適応を起こしているのは、やめていった生徒だけではない、という事実である。二月に日教組がまとめた中・高校生の意識調査によると、高校生の約45%が「高校をやめたいと思ったことがある」と答えている。
その理由の約60%は「学校に行く目的がつかめない」「学校が自分に合わない」であった。「授業についてゆけない」は、半分の31%だった。「高卒」の肩書を、かつての義務教育並みのものとして要求する社会的圧力がなければ、はるかに多くの生徒が高校を去ってゆくかもしれない。
かりに、そのような事態が起きたとき、大人社会には対応できる条件があるだろうか。産業構造の変化によって、それは失われているし、条件がなくなったからこそ、現在の高校進学率が生まれているといえる。
ひたすら考えるべきは、高校生世代の若者たちが、その年齢のころにふさわしい時間を過ごせる場所を、どう保障してやるか、だと思われる。大人の経験したことのないような時代に生まれ、育っている若い人たちには、それに見合った教育制度が要る。
教育改革が急がれねばならないのは、まさにその視点からである。大人の側が、いつまでも「高校を置いている目的がつかめない」ままでいてはなるまい。
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