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私はこう考える【憲法改正について】

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


1993/05/04 読売新聞朝刊
[論点]憲法に沿った「貢献」の道(寄稿)
松原隆一郎(東大教養学部助教授)
 
 九一年の湾岸戦争という不幸な事件は、一方で、冷戦後の国際秩序をどう形成するかを我々に実際に考えさせるきっかけとなった。これを機に、冷戦時代には実質的に停止していた国連の機能が再評価され、国連平和維持活動(PKO)が相次いで世界各紛争地域に派遣された。そこで、日本だけがこれまで同様憲法第九条を盾に諸国の国連活動への協力を傍観していてよいのか、という形で改憲論議が活発化している。
 政府主導の改憲論議は今回をもって戦後第三回目だ、といわれる。一度目は五〇年の朝鮮戦争の折のことで、アメリカが再軍備を求め、これに応じて違憲としか思えない自衛隊を発足させてしまった。そこで鳩山・岸内閣はアメリカの「押しつけ憲法」を批判し自主憲法の制定をめざしたが、結局は六〇年の安保闘争の際に世論から反発を受け挫折した。二度目は八〇年以降、ソ連のアフガニスタン侵攻とレーガン政権の軍拡路線を背景に中曽根内閣が軍事力の増強を模索し、自衛権確立をもくろんで行われたが、これも冷戦の終結によって立ち消えとなっていた。
 こうした独立国家としての自主憲法制定論議にせよ、自衛権確立のための九条改正論議にせよ、世論にとっては日本が法的ないし軍事的に「独立」をめざしているという意味で戦前回帰を印象づけてしまうものだったが、今回の改憲論議で目新しいのは、他国からの独立よりも他国との「共生」をめざす「国際貢献」という、否定しがたい価値観のもとに行われている点である。昨年提出された自民党・小沢調査会の提言も「国際貢献」を前面に押し出し、国連の指揮下にある武力行使はむしろ憲法前文の平和主義の精神に沿うものだ、と主張している。
 この国際貢献という価値観は、すでに相当程度支持されていると見ていいだろう。九一年の読売新聞調査によると、改正論が五年前よりも一一ポイント増えて三三%で、その理由として「国際情勢にそぐわない面がある」と答えた人が四五%にものぼるという。これまで憲法の基本理念とされてきた平和主義・国民主権・基本的人権にはさほどの反対意見は見られないから、それらに加え国際貢献の理念をいかに盛り込むかをめぐって、改正論議がなされているということだといえよう。具体的には、第九条に議論の焦点を絞り、国際貢献の理念を盛り込んだ形で改正しようというわけである。
 確かに、憲法改正は、第九六条に改正条項が存在することからすれば自然であるはずなのに、戦後かたくなに拒否されてきた。そこで政治的場面においては憲法の全体の見直しではなく一部の逐次改正をめざすことがありうべき戦略となるのだろう。しかし、私のように憲法学や政治論の門外漢である者としては、むしろ国際貢献なる理念の導入が憲法の全体に何を要求しているのかに興味がある。いくつもの理念のパッチワークは果たして可能なのだろうか。
 日本人が平和維持活動を中心とした国際貢献を義務と感じるようになったのは、日本が経済力の点で有力な国になったことを契機としている。憲法制定当時世界の一%にも満たなかったGNPは、現在では一六%に達している。平和の存在が国際社会における公共財であるとするなら、その費用負担を義務とみなすのは、いわゆる応能原則にのっとっている。
 応能原則とは、公共財供給にかかる費用は所得能力のあるものが負担すべきだという立場である。これが成り立つのは、経済のゲームにおいて、機会の平等と法のもとの自由が満たされており、その結果として各経済主体の天賦の能力の格差が所得に反映されるとみなされる場合だろう。費用負担の義務は、天賦の能力格差という機会の不平等を修正すると考えるわけである。つまり、国際貢献という理念を立てるならば、ボーダーレス経済といわれて久しいにもかかわらず国際社会においては、機会の平等という民主主義と法のもとの自由という自由主義のもとで国を単位とする経済ゲームが営まれているということが、同時に前提とされると思われるのである。
 ここで興味深いのは、国際社会において行為する主体が、個人ではなく国家だと想定されている点である。国連ボランティアのように、個人として崇高な理想をもつ人もいるのだが、私も含め多くの日本人は、苛烈(かれつ)な国際社会の現実と我々個人の間に国家を置こうとし、その調整能力に期待をかけている。たとえば、日本に出稼ぎにやって来る外国人と日本人労働者を区別すべきだと考え、一方で経済的弱者である彼らの母国に国家によるODAをもって貢献しようと考えている。
 こうした点を考慮すれば、憲法前文に「人類普遍の原理」という言葉が見られ、またそれが多くの欠陥をもつことが明らかになってきたにもかかわらず、いまだ日本人は「国家」という枠組みを必要としているのである。そうだとすれば、国際法や国連活動に従うのだとしても、憲法にのっとった日本なりのやり方が模索されるべきだろう。また、憲法の中で無定義の「国民」の内容を明らかにすることも求められていると思われる。(社会経済学)
 
◇松原 隆一郎(まつばら りゅういちろう)
1956年生まれ。
東京大学大学院修了。
現在、東京大学教授。


 
 
 
 
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