2002/04/25 朝日新聞朝刊
私の有事法制論 国会審議を前に
田中明彦氏(東京大学教授)
――有事法制関連3法案をどう評価しますか。
国際情勢のいかんにかかわらず、国家として、非常事態における法律は整備しておくべきだ。法案提出自体は評価する。ただ、自衛隊法改正案は昔準備したものそのままだし、武力攻撃事態法案はまだ未完成品、第一歩という感じがする。
――どのへんが足りませんか。
今の世界情勢からすれば、古典的な武力侵攻より、都市中枢に対する大規模テロや弾道ミサイル攻撃の方が可能性が高い。武力攻撃事態法案が、事態を幅広くとらえ、政策決定のメカニズムを考えていることは評価する。だが、いかなる非常事態にも、首相を中心とした政府や国会が当然のごとく存在しているような想定は気がかりだ。米国の同時多発テロを見ればわかるように、まず最初に国家中枢が狙われる可能性がある。
ドイツの基本法では、連邦の上下両院が機能しない時、一部の議員による「合同委員会」を設けて、緊急議会の役割を果たすことになっている。いかなる緊急事態でも、合法、正当な意思決定ができるような仕組みを整えておくことが重要だ。特に議会が平時のように機能し得ない場合の対応を考えておいた方がいい。首相がいなくなっても、国会さえあれば首相は選べる。首相がいても、国会が機能しなくなったら、民主主義体制でなくなってしまう。
○シナリオで論議
――有事への対応に関連して、集団的自衛権の行使を認めるよう、憲法解釈の変更を求める議論があります。
日本が攻撃されれば、完全に個別的自衛権の話だから、今回は法解釈上の大問題にはならないのではないか。
ただ、ミサイルの脅威に対し、米国と共同で防衛構想を進めたり、米軍に発射基地への先制攻撃や反撃を要請したりするような場合には、ややこしい議論になるかもしれない。
私は個人的には、政府が憲法解釈を変えてくれるのが一番いいと思う。しかし、袋小路に入るような、不毛な神学論争を繰り返すのは賢明ではない。それより、ある都市がミサイル攻撃を受けた場合、特に生物・化学兵器が弾頭に使われていた場合などを想定し、政府がどんな行動をとるかという具体的なシナリオに基づいた法制を考える方が先決だと思う。
――私権制限を含む国民の協力や責務をどう考えますか。
基本的には、あまりきつい罰則は望ましくない。ただ、緊急時にすべて努力規定でいいというわけにはいかない。
要は個人への強制に対し、有事が終わった後、異議申し立てや、補償、復旧ができる体制を十分にとることが重要だ。有事における権利侵害を最小限にしようとする余り、責任の所在があいまいになる方が困る。地方自治体にも国への協力義務を課していい。ただ、有事の後で、命令が正しかったかどうかを検証し、不当と判断された場合は、回復の措置をとれるようにすればいい。
○実効性ある法に
――国会審議への注文はありますか。
国民に多くの影響を与える問題だから、できるだけ多くの議員が賛同できるような法律にしてほしい。ぎりぎり過半数で通るようでは問題がある。一方で、実効ある法律でなければいけない。妥協に妥協を重ねて、わけのわからないものになるようなら、いったん仕切り直しをして、改めて議論した方がいい。想像力豊かに緊急事態を考え、実効性のある法律を作ってほしい。
(このシリーズは政治部・武井宏之、有馬央記、小沢秀行が担当しました)
◇田中 明彦(たなか あきひこ)
1954年生まれ。
東京大学教養学部卒業。米マサチューセッツ工科大学大学院修了。
東京大学助教授を経て、東京大学教授。東京大学東洋文化研究所所長。
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