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2002/05/13 産経新聞東京朝刊
【一筆多論】家族軽視の源は憲法に 論説委員 石川水穂
 
 「『ふつうの家族』『当たり前の親子関係』というのは、思い込みに過ぎません。誰もが自分にとっての『家族』をもっていて、そのメンバーを『家族』だとみなすかどうかは、周りの人たちがあれこれ言うことではなく、その人が決めることです」
 特定の政治団体によるプロパガンダではない。文部科学省の委嘱で作られた子育て用教材の文言である。一種のミーイズム(自己中心主義)の思想に近く、これが行政にも深く浸透している現実に、慄然とした。
 五十六年前の昭和二十一年二月十三日、GHQ(連合国軍総司令部)が日本側に示した憲法草案における家族に関する規定は、次のような文言だった。
 第二三条 家族は人類社会の基底にして其の伝統は善かれ悪しかれ国民に浸透す。婚姻は男女両性の法律上及社会上の争ふ可からざる平等の上に存し・・・。
 GHQ民生局のシロタ嬢が起草し、ケーディス次長が修正を加えたものだが、日本側の修正を経た同年三月六日の発表では、こう変わっていた。
 第二二条 婚姻は両性双方の合意に基きてのみ成立し且夫婦が同等の権利を有することを基本とし・・・。
 なぜか、冒頭の「家族は人類社会の基底にして・・・」というくだりが消えていた。そのいきさつについて、当時、日本側の法制局第一部長だった佐藤達夫氏は自著『日本国憲法誕生記』で、こう書いている。
 「『家族は・・・』のところは、わざわざ憲法に書くまでのこともなかろう、ということで黙殺してしまった」「昨今、憲法改正論議の一つの題目に家族の尊重ということがあげられているのに関連して、いささかのこそばゆさをもって思い出される条文である」
 その後、同年七月下旬から開かれた衆院の憲法改正小委員会(芦田均委員長)で、社会党の鈴木義男氏や森戸辰男氏らが「国民の家庭生活は保護される」との文言の追加を求めたが、認められなかった。同年八月末から開かれた貴族院でも、法律学者の牧野英一氏らが「家族生活は、これを尊重する」という文言を加える修正案を出したが、賛成百六十五票、反対百三十五票で、改正に必要な三分の二に達せず、否決された。
 結局、現行憲法(二四条)には、家族の価値(ファミリー・バリュー)をうたう規定は入らなかった。今日の家族を軽視する風潮の源は、ここにあるように思われる。
 来春から高校で使われる家庭科教科書には、こんな記述がある。「専業主婦として、日中家で子どもと過ごす母親は、生きがいは子どもだけとなり、一方で孤立感やいらだちを募らせる。子どもは友だちとの関係がきずけなくなる」。専業主婦を一方的に批判した記述である。別の教科書では、高校生が『桃太郎』の話を『ももからうまれたももこちゃん』と改題してジェンダーフリーな絵本につくりかえ、保育園児に読ませる場面が出てくる。その絵本は、鬼退治に行ったももこちゃんが見たものは、鬼と仲良く遊び、共生している子供たちだった−という内容だ。
 ジェンダーフリーは、男らしさや女らしさまで否定する過激なフェミニズムの思想である。それを幼い子に植えつけようというのは、危険な洗脳教育ともいえる。
 高校の家庭科は平成六年から男女共修が義務づけられている。ゆとり教育で減らされた数少ない必修科目の一つである。社会科だけでなく、家庭科教科書のあり方にも関心を向ける必要がありそうだ。


 
 
 
 
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