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1993/11/26 産経新聞朝刊
【沈黙の大国】(214)憲法への視角(9)消えた論争
 
 昨年後半から今年前半にかけて、国際貢献や政界再編の動きとからみ、憲法をめぐる論議が急速に高まった。ところが、宮沢政権崩壊、非自民連立政権誕生という政治転換のなかで、憲法論議はどこかへ消えてしまったようだ。与野党それぞれに改憲派、護憲派が入り乱れるという複雑な“ねじれ”現象によって、ある種の“タブー化”が生じつつあるのではないか。
 
◆対立の枠組みが変わる
 今年八月二十五日、野党・自民党の河野洋平総裁は初の衆院代表質問で細川護煕首相に迫った。
 国際社会での日本の進路について二つの道があると提起、(1)軍事以外の手段により、世界政治に控えめなあり方を模索する道(2)国連の武力行使への参加、安保理入りなど、“普通の国”を目指す“ミニ超大国路線”−のいずれを選択するか、とただしたのだ。
 河野氏は、このうち前者を「日本国憲法の理念に忠実な路線」だとした。これに対して、首相は「ミニ超大国路線は取らない」と、河野氏に同調する考えを示した。
 自民党は保守合同以来の党是として「自主憲法制定」を掲げてきたが、河野氏は“護憲派”を標ぼうしてはばからない。細川首相の日本新党は、「護憲」の立場を取るとしながらも「旧来の改憲論者とは違う立場からの改憲」を訴え、第九条に人的国際貢献に必要な規定を付け加えることなどを提起している。
 冷戦時代の日本では、改憲−護憲両派の激しいぶつかり合いが展開されてきた。憲法をめぐる対立の枠組みが、当時とは様相を変えつつあることを象徴する国会論戦といえた。
 昨年から今年にかけて、憲法論争は急速に盛りあがった。国際貢献のあり方、政界再編への主導権争い、自民党内のポスト宮沢攻防などが重なり合ったためだ。
 当時、渡辺美智雄外相、梶山静六幹事長、三塚博政調会長、中曽根康弘元首相ら自民党の実力者は、いっせいに憲法改正の必要性を唱えた。湾岸戦争後に発足した「国際社会における日本の役割に関する特別調査会」(小沢一郎会長=現在・新生党代表幹事)が、従来の憲法解釈を見直し「自衛隊の国連軍参加は可能」とする見解を打ち出しており、これに対抗する思惑もあった。
 憲法見直し論争は自民党内にとどまらなかった。
 
◆労働界からも改憲論
 山岸章連合会長、鷲尾悦也鉄鋼労連委員長らは「世界と日本の現状にあった改正論議があっていい」などと打ち上げた。労働界から改憲論が出たのは、かつてなかったことだ。
 かねてから改憲の立場を取っていた民社党の大内啓伍委員長(現在・厚相)は「政界再編の中心課題は憲法だ」と一段とトーンをあげ、護憲派であったはずの公明党も見直しの必要性に踏み込んだ。
 社会党の山花貞夫委員長(現在・政治改革担当相)は「創憲論」なる新説を打ち上げる。
 「日本国憲法では不十分にしか規定されていなかったり、まったく顧慮されていないテーマがあり、これを憲法として定着させていかなければならない」として、人権規定、国民投票制度、環境権、地域主権などをあげた。
 先の総選挙敗北後、非自民連立政権に参画した社会党が、七月二十七日に開いた全国書記長会議。
 「今度の選挙では、護憲、平和といった、社会党が従来ずっと主張してきた言葉が非常に少なくなってしまった。民社党から護憲の党はだめだといわれて、社会党は何を訴えようとしているのか、国民には見えない」
 地方の党幹部の発言は、かつての護憲一辺倒のムードとは様相を変えるものであった。
 
◆与野党双方に“ねじれ”
 連立政権が発足して、憲法論争は急速に沈静化した。与野党双方の憲法観に相当の濃淡、ねじれがあって、うかつに持ち出せないためだ。昨年、見直し論争をリードした一人であったはずの鷲尾氏もその後、連合事務局長になって、「憲法問題はノーコメント」。
 連立与党の幹部の一人はこういう。
 「社会党も、山花創憲論によって憲法見直しに多少は柔軟な姿勢が生まれていることを印象づけた。これによって、少なくも憲法問題での連立参加の障害はなくなったということだ」
 つまりは、盛り上がった憲法論争は連立時代の入り口に至るための方便でもあったということのようなのだ。
 細川首相は八月二十六日、代表質問への答弁で、「連立八会派は憲法の理念を守ることで合意した」として、憲法審議機関の設置についても「内閣として政治日程に乗せることは考えていない」と述べた。
 評論家の屋山太郎氏は、連立政権と憲法をめぐる状況をこうみる。
 「細川政権は外交・安保にかかわる部分が二−三割。あとの七−八割は政治改革など国内改造にウエートをおいている。憲法問題に消極的になったのは、この二−三割の部分でたとえ失敗しても、冷戦時代ではないので、たいしたことはないということでしょう。しかし、理念論争から第二の政界再編が必ず起こる。憲法感覚ではほとんど同じ小沢、渡辺両氏が与野党に分かれているのだから。二、三回、選挙をやっているうちに、変わってくると思いますよ」
 
 相次いだ要人の憲法関連発言・提言 
(昨年末〜今年初め、肩書は原則として当時)
 
【見直し派】
◆細川護煕日本新党代表(現・首相)
 憲法論争をタブーにしたままでは、新しい国家理念を樹立することは不可能。国連指揮下に行われる海外での治安維持活動に国が参画することを是認する条
項を憲法に盛り込む。(4・12・16 政策大綱など)
 
◆渡辺美智雄外相
 PKOを積極的に行うために自衛隊法を改正する必要がある。憲法が障害になるというのなら、正々堂々と改正の議論をすればよい。(5・1・2 講演)
 
◆山岸章連合会長
 憲法をタブー視してはいけない。近い将来、憲法を見直すことは考えてもいい。自衛隊の憲法論議の棚上げは困る。(5・1・9 NHK)
 
◆中曽根康弘元首相
 憲法と国連憲章を基軸にした大きな政治をやるべきだ。内閣あるいは国会に臨時憲法問題調査会をつくって議論したらどうか。(5・1・10 フジテレビ)
 
◆羽田孜自民党羽田派代表(現・外相)
 憲法をタブーにしてはいけない。幅広く議論すべきだ。9条だけでなく私権の問題などでもいろいろな政策上、ぶつかることがある。(5・1・12 記者会見)
 
◆市川雄一公明党書記長
 憲法を「不磨の大典」ととらえる必要はない。国民主権、基本的人権、平和主義の3原則を擁護、発展させる。ただ、9条もタブー視しない。国民投票制、環境権、地方分権なども議論する。(5・1・14 記者会見)
 
【慎重派】
◆宮沢喜一首相
 議論をすることはいいことだ。自民党には憲法調査会がある。そこでやるのが常識的だろう。党内で議論すべきだ。考えれば考えるほどそうやさしい問題ではないことがわかってくるんじゃないか。ことはそう軽々しい話ではない。(5・1・17 記者懇談)
◆河野洋平官房長官(現・自民党総裁)
 首相は9条の(改正)問題については、今まったく考えることはないと言っている。(5・1・11 記者会見)
 
◆後藤田正晴法相
 憲法改正を前提とした議論はまだ早い。国際貢献を果たす道はいくらでもある。過去の戦いの反省に立ち、新しい国家理念で今の日本を築いたのは大変な成果だ。(5・1・12 講演)
 
【玉虫色派】
◆山花貞夫社会党委員長(現・政治改革担当相)
 護憲の立場をさらに発展させ、憲法の創造的展開を図る「創憲」を提唱する。自衛隊については違憲の実態にあるが、合憲・違憲の二元論的論議から脱すべきだ。(5・1・4 記者会見)


 
 
 
 
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