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1996/03/22 読売新聞朝刊
[明日への条件―日本総点検]第2部憲法再考(3)あふれる性表現(連載)
 
◆ルールなき「自由」
 成田など国内空港から米国各地へ向け毎週百八十便が飛ぶノースウエスト航空機。乗客の大半は日本人だが、国内の週刊誌の多くは機内サービス用として搭載されない。理由はグラビアのヌードにある。
 松村正・太平洋地区広報部長(37)は説明する。「機内は、女性も子供もいる公共の場。米国では当然のルールです。日本はルーズ過ぎるのでは」
 同じ米国のユナイテッド航空も三年前、米国女性から苦情が出たのを機に、「裸が載っている雑誌をすべてやめた」。ドイツのルフトハンザ航空も同様に搭載していない。一方、日本の航空会社は「需要があるので」(日本航空)と週刊誌の搭載を続けている。「国情の違い」ですませていていいのだろうか。
 海の玄関・横浜港。米国などから毎月船便で男性雑誌が届く。税関職員が、わいせつ出版物の輸入を禁じる関税定率法に引っかかる個所に付せんを張り、専門業者の社員十数人が数日かけて紙ヤスリで削る。
 検査に携わる税関職員(52)が苦笑する。「国内で売られている写真集が、仮に今、国外から持ち込まれたら、引っかかるかもしれないなあ」。わいせつ出版物を水際で阻止しているはずが、部分的にしろ“逆転現象”が生じている。
 一九九一年、篠山紀信さんの写真集が“ヘア解禁”の口火を切って以来、洪水のように「ヘア写真集」が出され、ピーク時の九四年四月には一か月で二十九冊、ほぼ一日一冊の割。やや下火とはいえ、昨年も百七十冊近くが出版された。
 露骨な性描写が国会でも問題にされた有害コミックや、レディースコミックの内容もますます先鋭化、書店だけでなくコンビニでも簡単に手に入る。「売れるから」の論理が先行し、「見たくない自由」や未成年者への影響は二の次だ。
 加えて、マルチメディア時代を迎え、インターネットで無修整ポルノ画像を提供していた会社員が摘発されるケースも出てきた。いったいどこまでいくのか。
 写真家の加納典明さん(54)が、写真集をめぐりわいせつ図画販売の疑いで警視庁に逮捕されたのは昨年二月。その加納さんが先月、都心のギャラリーで久しぶりの個展を開いた。
 入り口には、「十八歳未満おことわり」の看板を出した。ニューヨークのゲイの恋人たちをとらえた作品四十九点の局部にはすべて黒い絵の具を塗った。「桜田門(警視庁)はもうごめんだからね」
 加納さん一流のジョークを交えこう話す。「僕は表現者としてこの時代に生きている。それは認めてほしい。しかし、それをどう受け取るかは社会の問題。社会的な規制の必要性を必ずしも否定はしない」。加納さんも、野放しに決して賛成の風ではない。
 「チャタレイ判決」で最高裁は表現の自由といえども絶対無制限ではないとの判断を示した。わいせつの概念は性意識や社会通念とともに変わるとしても、常に求められるのが公共性とのバランスだ。米国では、暴力やセックス・シーンを子供の目に触れさせないよう、内容によりテレビ番組をランク付けする制度を来年から導入する予定という。
 「表現の自由は公共性に優越する」という立場の清水英夫・青山学院大名誉教授(73)も、「性表現には一定のコントロールが必要だ。市民社会のルールづくりが、日本は著しく遅れている」と指摘する。
 経済活動も言論・表現も自由であることが近代市民社会の大原則だが、その自由はルールなしにはなりたたない。憲法が、「侵すことのできない永久の権利」として基本的人権を保障(一一条)する一方、自由や権利を「乱用してはならない」(一二条)と戒めているのもこのためだ。
 とめどもない“性のはんらん”は、「自由の享受」に急なあまり、自由社会を守るための条件を軽視してきた戦後日本の、ひとつの縮図といえる。
 自由と秩序はともに憲法上の義務として含まれていることを、今、改めて確認することが必要だ。(文化部 石田 汗太)
 
〈チャタレイ判決〉
 (出版・表現の)自由は、・・・公共の福祉によって制限される・・・。性的秩序を守り、最小限の性道徳を維持することが公共の福祉の内容をなすことについて疑問の余地がないので・・・本件訳書をわいせつ文書と認め・・・公共の福祉に違反するものとなした原判決は正当である。(一九五七年三月十三日、最高裁大法廷)


 
 
 
 
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