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私はこう考える【憲法改正について】

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


1964/07/03 毎日新聞朝刊
[社説]憲法調査報告を評価する
 
 憲法調査会は、足かけ八年にわたって、現行憲法の制定経過、運用の実態など、広範囲に及ぶ調査審議を行い、三日その最終報告書を内閣に提出する。この報告書ならびに付属文書十三冊は、量的にも膨大なものであるが、そのおもな内容については、審議の過程で、すでにそのつど明らかにされている。しかし、報告書の提出を機会に、国民が改めて憲法に対する関心を深め、この際さらにこの問題を考え直してみることは、きわめて重要といえよう。
 憲法調査会の委員として、この調査審議に参加したのは、政治家と学識経験者といわれる人たちであるが、ゆうまでもなく、憲法は国民のものであって、一部政治家や学者の占有物ではない。しかも、この調査会には、革新陣営が委員を送ることを拒否したため、残念ながら、国民のあらゆる分野の意見が十分にもりこまれているとはいえない。したがって、どういう意見が多数意見であり、なにが少数意見であるということよりは、むしろ、どの意見が正しいか、どの解釈が当をえているかという観点からこの報告書をみることが重要と思われるのである。
 現行憲法に対するかなり強い抵抗の一つは、それが「押しつけ憲法ではないか」という点であろう。およそ成文憲法というのは、通常、革命や独立などの歴史的所産というべきものが多く、周知のように現行憲法は敗戦の結果、占領下において制定された成文憲法である。国会の手続きを経ている、というかぎりにおいては、この憲法が国民の代表によって適法に成立したものであることにまちがいはないが、その背景が占領下という異常な情勢下にあったことは無視できない。そのため「真に日本国民による自主憲法を」という気持は、その内容の是非とは無関係に国民感情の底流にありうるであろう。しかし、重要なのは、これはあくまで「感情的」なものであって、あくまで「理性的」なものではない、ということである。もとより、憲法は国の基本法であり、感情によって支配されてはならない。したがって、報告書に対する態度も、あくまで「理性的」でなければならないと思う。
 
政党の道具ではない
 憲法調査会の任務は「日本国憲法に検討を加え、関係諸問題を調査審議し、その結果を内閣および内閣を通じて国会に報告する」ことにあった。したがって、憲法を改正するかどうか、改正するなら、どう改正するか、などの意見をまとめることはもともと、その任務ではなかったのである。
 しかし、報告書をみてもわかるように、審議の過程において、事実上「改憲か非改憲か」の意見が活発に出され、しかもその内容はきわめて多種多様であった。一般的には、保守陣営が改憲で、革新陣営は非改憲とみられているが、深くその内容に立ち入ってみると、問題はそう簡単に割り切れるものではなかった。しかも、日本国憲法に対して最初に改正論を提起したのは、むしろ革新的陣営であった。それは平和、民主主義、人権尊重の諸原則をさらに徹底強化しようとするもので、問題の第九条についても「無条件で自衛のために軍隊をもたないといっているのではない、と解釈される恐れがある」と指摘しているほどである。その後、革新陣営は朝鮮戦争を契機として「改憲反対」を強く打ち出してきたものの、現に、成田社会党書記長のように「ブルジョア憲法のもとでも、構造改革の政策を実現することもできるが、それには限度がある。社会主義社会になれば、憲法はおのずから変わってくる。当然変わらなければならないと思う」という考えが、革新陣営の底流としてあることも否定しえないだろう。保守陣営では、池田首相は、つねに「国民の声に従う」といっており、少なくとも現在、改憲のための積極的な動きはみせていないが「自主憲法の制定」が自民党の党是であることには、なんらの変わりもない。
 したがって、保守、革新両陣営ともに、立場の相違こそあれ、現行憲法が終局的には、それぞれの政治的目標の達成にとって一つの障害を感じているのは明らかといえよう。このことは、現行憲法が、わが国の政治の秩序ある前進を確保するための一つの安全弁的意義を期待させるものともいえる。憲法は、政党その他の政治勢力の野望を満たすための道具に使われてはならない。あくまで国家、国民の平和と繁栄のための基本法として、つねに、しっかりと国民の手に握られていなければならないことをこのさいとくに再認識する必要がある。
 
常識との調和が必要
 現行憲法は、世界に例のないほど徹底した平和憲法であるが、それには前文でいうように「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼」することが大前提となっている。しかし、現実の世界は、その絶対平和の悲願を十全には保障してくれないところからくる多くの悩みがある。ここで問題になるのが、憲法第九条の戦争放棄に関する規定である。いわゆる砂川事件に対する最高裁判決は「統治行為の理論」によって、自衛隊違憲論争に事実上、終止符をうった形にはなっている。しかし「自衛隊は違憲である」という意見は、いまなお強いのである。調査会の審議をみると、積極的な改憲論者で、自衛隊を違憲とするものもあり、高柳会長のように「第九条は、法規定というより政治的宣言である」とし「現状では、自衛力をもつことはやむをえない」という意見もある。
 その他、憲法の各条章について、調査会各委員の意見は多岐に分かれており、一般国民がいま直ちに、どの考え方が正しいかの結論を出すのは困難でもあり、危険でもあろう。ただ一つ、ここで考えねばならぬのは、法と常識との関係ということである。近代社会にあっては、法が常識と断絶することは、生きた法の実現のために、致命的とされている。民主的な体制が進めば進むほど、法と常識の距離は接近しなければならないはずである。調査会の成立事情や、その調査審議の内容およびこれをめぐる論議をふりかえって、われわれは憲法に対するこのような理解の必要を、改めて痛感するものである。
 もっとも、常識といっても、それ自体まことに不安定なものである。そこで、必要なのは憲法解釈、運用における信頼の確立ということである。そして、この重要役割を担うのが、最高裁判所である。現在の最高裁が、この任務を果たす機能をもっているかどうかには疑問もあろう。しかし、調査会の報告も、改憲、非改憲より以前に、憲法そのものの重要性と同時にその複雑さを国民の前に提示している。それだけに、最高裁の機能と機構の充実強化の必要をいっそう強く感じるのである。それと同時に、われわれ自身、常時憲法に親しむことによって、真にわれわれの生活と権利に直結する憲法が、どうあったらよいか、真剣に考えてみなければならない。それでこそ、八年に及ぶ憲法調査が国民の間に生きることになるのである。また、そうすることによってのみ、憲法がはじめて国家的、国民的良識を背景に、民主国家としての日本の強力な背景となりうるのである。


 
 
 
 
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